サイアスの千日物語 百六十五日目 その十
「……ぉぃ、おい!
お前その宝石をどうした!?」
平原随一の大国の代王に相応な鷹揚の仮面を
かなぐり捨て、典雅な挙措も口調も忘れて
サイアスに指突きつけて詰問するビーラー。
余りの変貌振りに周囲は引きつり、サイアスの
傍らに侍る護衛のベオルクはすぅ、と腰の魔剣
フルーレティに手を伸ばし。お陰で周囲はより
一層の恐怖に凍り付いた。
眠るような、心此処にあらずな風情で演奏に
耽っていたサイアス。奉じる天之御中主神は
銀河の中心で妙なる音色に包まれて、永久に
微睡み続けているという。
その神に聴かすが如き心地で笛に耽っていた
歌姫たる彼女いや彼にとり、演奏の中途での
難詰などは、言語道断の不快事ではあった。
もっとも相手が相手なので、柳眉を顰めて
じっとりと。然様にビーラーを見やった上
愛用のステラディマリウスを口元より離し
「チェルヴェナー様より頂戴しました」
と一言。すぐに演奏に戻ろうとした。
「!! !? ??」
驚愕と興奮に挙措が追いつかず言葉にならぬ
といったビーラー。その脳裏では無数の予断
が電光石火で飛び交っていた。
サイアスの胸元で輝く漆黒の金剛石とは
フェルモリア大王国重代の至宝であり
王位継承権者の証。
赤の覇王チェルヴェナー・フェルモリアの
所有していた別名「覇王の心臓」なのだ。
天然のブラックダイヤは極々稀少。そも
拳大のダイヤなぞおよそ有り得ぬ代物だ。
ゆえに大王位継承権の証左として、継承権
1位のビーラーや上位権者が所持していた。
その宝珠がサイアスの胸元にある。そして
貰ったと、しれっと語るサイアスによれば。
贈り主はよりにもよって実質の継承権2位。
ビーラーの叔母。ビーラーの父たる大王の妹。
「赤の覇王」チェルヴェナー・フェルモリア
その人なのだという事だ。
ビーラーの混乱、むべなるかな。
フェルモリア大王国第一藩国の王妃である
チェルヴェナーは、以前から兄たる大王の主催
推進する玉座争いには否定的だった。
国内外の反乱を大王位継承権争いに転嫁させ、
集約し制御して、ついでに国民向けの娯楽に。
おまけに自身の色を好み過ぎるアレな面をも
ポコジャガと活かす。
大王国全体の治世を思えば頗る有益で実際成果
もあげているこの鬼手に対し否定的な彼女は、
極力本国の大王宮には寄り付かなかった。
そもチェルヴェナーは「狩り」が趣味なのだ。
折角の獲物を根絶やしにされてなるものか、と
国土の中心たる本国を離れ、藩国へと下向して
未だ服ろわぬ一派を狩りまくり、遂には
騎士団領へと出向した。そういう次第だった。
とまれチェルヴェナー王妃当人としては、
とうに王位継承権放棄の意向を示していた。
だが文武両道に通じ政戦両略に長けた、同国を
興した初代王女の再来とも言われる実の妹の
千乗の才を惜しむ兄王により、もしもの時の
ためだから、と放棄は凍結されていたのだ。
「もしもの時」とは王位継承権の確定前に
大王が死去するような事態を。或いは継承権者
が全て相果て死滅した場合を指していた。
だが大王は御歳50を越えてなお壮健に過ぎ
変わらず継承権者をポコジャガと量産中であり、
第一王子たるビーラーは成人以来継承権争いに
只管勝利し続けていた。
そも継承権第一位たるビーラーがけして
負けぬ事。また2位と3位が継承権放棄の
意向を示し国外へと出ている事。
要するに大王家の中核、屋台骨を成す部分が
揺ぎ無く、絶対に「胴元」が儲かるシステム
だからこそ、大王は玉座争いを統治に利用
しているのではあった。
大王位継承権1位。大王の第一王子たる
ビーラーにとり、仮に争った場合絶対に
勝てぬ相手は3名いた。
一人は圧倒的な軍事力を有する己が父、
ズラトー・フェルモリア大王その人。
けして抗って勝てぬゆえ、大王の策たる
玉座争いに積極的に参加し、多くの兄弟を
手に掛けてきた。それがビーラーの半生だった。
今一人は赤の覇王チェルヴェナー。
政戦両略に長ける上一個の武人として規格外。
幼くして悪漢を素手でバラバラに引き裂き
長じては手刀で熊の首を撥ねるような豪傑だ。
極力近寄りたくはない。それが本音であった。
さらに一人は実質の継承権3位。
武王、戦の主とも称される歴史的な英雄にして
赤の覇王の夫である、第一藩国イェデン王。
城砦騎士団長チェルニー・フェルモリアだ。
野戦の名手として名高く、平原においては
百戦無敗。荒野にあって人魔の大戦で戦果を
上げ続ける平原史でも異数の英傑だ。
絶対強者であり人の世の守護者と謳われる
城砦騎士でもある。此処まで来ると敵意を
持つ事それ自体が敗死を意味するとも言えた。
ビーラーが如何に大軍を擁し如何に武芸を
磨いたとして、この3名にはけして勝てぬ。
幸い武王と覇王はどちらも大王位を望んで
はおらず、希代のうつけと評判の第七王子
シェダーを後見して、継承権を寄越すなら
これに与えると脅してもいた。
またシェダーを含め揃って大王国を離れており、
どうやら帰国を望んでもいなさそうだ。なので
勝負する必要がなく自身の地位は安泰、と
そう思っていたものだが。
叔母は継承権者の証である宝珠を余人に与え
こうして連合の中枢へ。それも地勢的には
――合間に国家が存在しないという意味で――
第一藩国イェデンの隣国に当たる小領の主へと
与え、こうして西方諸国連合の中枢へと
送り込んできた。
よもやそれは第一藩国イェデンや大王位
継承権の譲渡をも、内々に伴っているのでは
ないか。いやそうでなくともこの件を父たる
大王が知ったなら、絶対オオウケ間違いなし
とて戯れに継承権者と認定し、自身の新たな
敵となる可能性があるのではないか。
叔父チェルニーや叔母チェルヴェナーと同様に
武神の子たる城砦騎士サイアスは、ビーラーが
武量で敵う相手ではない。
軍事的、政治的に見ても平原第4位の大国と
成った城砦騎士団領の代表であり、さらに
かのカエリア王その人が後見に付いている。
そういった面ではより厄介な相手でもあった。
そのサイアスが「覇王の心臓」を有する事。
これはビーラーにとり狂気に満ちた凶事なのだ。
お陰ですっかり取り乱し、狼狽しまくる
大王の代王たるビーラー・フェルモリア。
そんな彼の様を胡乱気に眺めるサイアスは
「騎士団長より『武王の竜胆』も
以前褒美として頂戴しましたが」
と何気なく一言。
次いで戦場ではその背に負い、今は腰元で
生きた剣帯に張り付いているコンプレクトラに
抱かれて眠る十束の剣を。その柄頭そのものな
これまたずば抜けて大振りな宝珠を示した。
武王の竜胆。
それは実質継承権3位にあたる赤の覇王の夫、
チェルニー・フェルモリアの所有していた
ブラックダイヤであり、当然ながら大王位
継承権者の証であった。
叔母だけでなく叔父までも。
これはつまり、サイアスをシェダーに代わる
自身らの後継者と任じ、玉座争いへと参戦
させる、そういう意図の示唆ではなかろうか。
ビーラーは目の前が真っ暗になった。




