サイアスの千日物語 百六十五日目 その八
曰く、狡兎死して走狗煮らる。
むしろ捕食者である魔や眷属を兎扱いは
流石に無理があるが、西方諸国連合隷下な
城砦騎士団の立場とは走狗で間違いないだろう。
騎士団が荒野東域を制圧し、平原を魔軍の脅威
より完全に解放した暁には、平原西方諸国は
騎士団を魔軍に代わる新たな脅威と見做し
排除に動く蓋然性は低くない。
荒野での人魔の大戦が下火となって平原内での
乱世の気配が強まる事、それに合わせ闇の勢力
の動きが活発になった事、だけではなく。
平原西方諸国連合そのものが騎士団の敵となり
騎士団領を脅かす可能性をも憂慮して、その上
で騎士団の成した選択。それが騎士団領の東の
最前線であるラインシュタットを、領主たる
サイアスに防衛させる事だった。
要は転ばぬ先の杖なのだ。
もっとも現段階では西方諸国連合や加盟国は
騎士団にとり欠くべからざる誠実な後援者で
あり、けして疑ってはならぬ相手なため、
憂慮もけして表に出すわけにはいかぬ。
よってあくまでサイアスのラインシュタット
駐屯については「乱世の気配に備えるため」と
のみ名分を掲げていたものだが、どうやら
元城砦騎士団長たるセミラミスにはその辺り
看破されていたようだ。
そうした状況下において、現在は西方諸国
連合軍の最高司令官であるセミラミスは、
サイアスを言わば西方諸国全体を防衛する
総督へと任命した。
つまり騎士団上層部がサイアスに指示した
防衛対象を、騎士団領から西方諸国全体に
拡大したわけだ。
ラインシュタット駐屯の大義名分としては
この方が通りが良いのは間違いない。ただ、
問題は城砦騎士団と西方諸国連合が相争う
事となった場合だ。
騎士団も連合もどちらも防衛対象である
サイアスは、両者の狭間で板挟みとなり
身動きが取れなくなるのだ。
徹底した結果主義者であるセミラミスの
性分を思えば、或いはそれこそが彼女の
狙いかも知れなかった。
いや、セミラミスだけではないだろう。
サイアスの拝受した、形骸とはいえ連合大王位
に迫る軍権は、大公位たるセミラミスが単独で
差配するには重すぎるのだ。
つまりセミラミス以上の爵位の者が此度の
一件に関わっている。要は三大国家の意向
でもあるということだ。
そして場内の諸王の少なからぬどよめきから、
連合加盟国全体に諮っての事ではないと
サイアスには察せられた。
昨日面会した折にも軍権や軍旗以外の話は一切
なかった事からみても、連合軍上層部、それも
上澄みのみの意向とみて間違いはなさそうだ。
三大国家は西方諸国連合加盟国ではあるが
西方諸国そのものではない。西方諸国に
とっては騎士団領が魔軍との緩衝域だが、
三大国家にとっては西方諸国こそがそうだ。
荒野、騎士団領、西方諸国、三大国家。
西からこういう並びで存在している事から、
騎士団領が魔軍の領土たる荒野の内部に確固
たる国土を確保したその時点で既に、三大国家
には西方諸国より一足早い完全な安全が担保
されているのだ。
ゆえに西方諸国とは魔軍や騎士団に対する思惑
や方策において、異なった部分も多々あろう。
とまれ今の平原内、それも西域には、大別して
四種の意思が複雑に絡みあい存在していた。
一つ目は騎士団の意思。
次に、西方諸国の意思。
更に、三大国家の意思。
そして闇の勢力の意思。
それぞれの意思の内側でも、更に
多くの意思たちが渦巻いている。
誰が敵で、誰が味方か。
しかと見極めていかねばならぬ。
荒野での苛烈ながらも明快な戦とは異なった
時に陰惨で時に華麗な権謀術数渦巻く戦へと
どうやらサイアスは放り込まれたようだ。
さしあたってはセミラミスだ。
連合軍最高司令官旗を贈呈すべく、
壇上よりサイアスを手招いている。
先代城砦騎士団長だ。
当時は間違いなく騎士団の味方だったろう。
だが今はどうだろう。その行いは騎士団の
ためとも取れるし連合のためとも取れる。
実際両方のためであって、どう転んでも良い
ように布石を打った、というのが正解なのかも
知れないが、とにかくサイアスとしてはどうにも
彼女の真意を量りかねた。
未だ18のサイアスが海千山千な老君の思惑を
推し量れるはずもない、といってしまえば
それまでだが、いずれにせよ今まさに採るべき
挙措や意向を手早く固めねばならなかった。
サイアスは一礼して応じ、壇へと向かい
平素の通りのお澄まし顔で至極自然に
軍旗と軍配を拝領した。
総兵力が10万に大きく届かぬ当世では
形骸に過ぎぬといえど、連合軍総兵力たる
10万の兵の指揮権は余りに重い。
兵には兵の家族がある。預かる命は数十万
ではきかぬのだ。そしてそれだけ膨大な命を
その手に預かる事となる。
世界そのものを背負うような圧倒的な重み。
仮に騎士団と連合が争う事になれば、重みは
耐え難い痛みとなってサイアスを蝕むだろう。
だがサイアスは平然と。
さも当然の如くに受け取った。
そして受け取ったからには自分のものだと
言わんばかりに軍旗を右手で槍の如くブン回し、
派手に風切り棚引かせた上、ズン、と地に立て
左手を腰に。壇の前より列席を見渡し、
「城砦騎士団の流儀にて御免」
と声を響かせて、軍旗を胸前に引きつけ
頂点を天に。連合軍最高司令官旗にて剣礼を。
列席の諸王どころか護衛たるベオルクすら
呆気に取られる中お次は優雅に貴族の礼を。
その上ついでとばかりに一席ぶちはじめた。
度肝を抜かれた諸王らは、式典開始早々の
一幕による警戒も抵抗もまるで空しくその
美貌、魔力を帯びたその美声に大いに
酔わされるところとなった。
魅了を免れ得た者らとしても、その度胸、
その覚悟の見事は、やはり膨大な命を預る
者として大いに共感できる好ましいもの。
よって彼らもまたサイアスの王器や
将器をしかと認めるところとなった。
やがて拍手が起き、喝采が後を追った。
緊張と動揺、驚愕で自失気味だった諸王と
張り詰めた議場は暫し大いに沸き上がった。
兵権10万、何するものぞ。
100万だろうと問題ない。
いざとなったらみんなまとめて
ねんねこにゃーにしてやるにゃ。
随分柔らかくなった眼差しを
ツンとお澄ましで一身に浴びつつ。
内心然様に嘯いて、脳裏の語尾に
すら「にゃ」を付ける自身に、小首を傾げる
連合辺境伯サイアスであった。




