サイアスの千日物語 百六十五日目 その六
一堂に会した西方諸国連合加盟国の王侯ら。
一身にその眼差しを浴びるサイアス。
人魔を問わず注目される事に慣れきっている
サイアスとしては、その状況に殊更の感慨を
感じてはいなかった。
が、一方でサイアスにはセミラミスの言行に
気掛かりな点があったらしく、その平静な
様相とは裏腹に内心目まぐるしく思索していた。
セミラミスはライナスの戦死を春だと述べた。
だがベオルクがラインドルフに訃報を運んだ
のは初夏だ。優に一月以上ある。その点だ。
訃報が届くまでの一月以上の時差。
その所以は一体何であったろうか。
荒野の中央城砦は平原に対し、狼煙や反射板を
用いた光通信等、即時的な情報伝達をおこなう
術を有している。
よってライナスの戦死に係る事態は今春に起き、
連合軍上層部は間を置かずその報を受けていた。
そこはまず間違いのないところだろう。
その後城砦騎士団、或いは連合軍上層部は
少なくとも一月はその情報を伏せていたようだ。
その所以を推測するとき、まず浮かぶのは
武神と畏敬されるライナスの死が騎士団や
連合軍に与える影響の重さだ。
武神墜つの一報が騎士団の士気を低下させ
連合軍に動揺を招き闇の勢力を増長させ得る
と判断した騎士団や連合軍上層部が、可能な
限り公表を先送りにした。そういう見方だ。
だが城砦騎士団の幹部となりその内部事情に
通じた今のサイアスとしては、この見立ては
恐らく正しくないだろう、そう感じられていた。
理由は中央城砦の立地と城砦騎士団の特性だ。
敵地の只中に孤立する中央城砦と、荒廃した
緩衝地を所領とする城砦騎士団は、人にせよ
物資にせよ、必要な補給を独力で賄う事が
できないからだ。
概ね300日程度おきと目安はあるものの
正確な時期の読めぬ「宴」を遠からず控えた
そんな状況下において。
特務の失敗により失われた、武神たる城砦騎士長
と随行した城砦騎士に軍師、さらに騎士級の猛者
である第四戦隊員らの分の戦力を、可及的速やか
に補充するには。
まずもって平原の西方諸国連合より、膨大な
量の補充兵を送って貰わねばならないのだ。
その「膨大」さについては戦力指数を
基にして考えれば判りやすい。
城砦騎士の戦力指数は最低でも10。
戦力値はその二乗ゆえ最低でも100。
城砦兵士の戦力指数は基準値が1。つまり
城砦騎士1名は城砦兵士100名に相当する。
特務に随行し供に戦死した城砦騎士1名分の
戦力を補充するだけで城砦兵士が100名要る。
補充兵のうち城砦兵士にまで育つのは4割ほど。
よって100名の城砦兵士を得るには最低でも
補充兵が250名要るわけだ。
ライナスに随行していたのは城砦騎士1名だけ
ではない。騎士級の城砦兵士長らもだ。彼らの
分も加味すれば必要な補充兵は数倍になろう。
そして何よりも武神ライナスだ。
彼の戦力指数は38。第一戦隊長オッピドゥス
をも凌駕し、剣聖ローディスに迫るものだった。
彼一人で城砦兵士1444名分だ。
最早補充し得る域になく、宴を控え補充を
求める騎士団の状況が、いかに切迫したもの
だったか判ろうものだ。
要は武神死すの報を隠したままで要求し得る
分量ではなかったということだ。むしろ積極的
に公開し少しでも事態の重さを伝えることが
仕送りを増やす手となるだろう。
こうした理由から、騎士団や連合軍上層部が
武神ライナスの死を影響大なるがゆえに伏せて
いた可能性は低かろうと、サイアスは考えた。
つまりライナスが命を帯び配下の精鋭と供に
特務へと赴き、消息不明となったのは、先刻
セミラミスの語った通り今春で間違いないの
だろうが、その時点では戦死認定までは
されなかったとみるべきだ。
おそらく騎士団と連合軍の上層部はその後
初夏の手前まで。少なくとも騎士団側は、
盛夏の時分と予測していたであろう宴を
鑑みてぎりぎりの頃合まで、ライナスらの
帰還を信じ、待っていたのだ。
或いは手を尽くして捜索したのかも知れない。
ゆえに訃報が初夏に届いたのだろう。荒野の
中央城砦から騎士団領東端のラインドルフまで
遥遥訃報を届けたベオルクの憔悴しきった様を
思い出し、サイアスはそう結論付けた。
だが。
ならばこそ。
武神ライナスは
一体どこへ赴いたのか。
サイアスは新たな――その実これまで何度も
繰り返し問い続けていた――疑問に直面した。
城砦騎士団は荒野の只中に孤立する中央城砦に
拠っての防衛篭城戦を専らとする。昨今では
北方領域を得て制圧圏も大きくなったが、
それでも荒野全体でみれば孤島のままだ。
荒野は専ら夜に跳梁跋扈する異形の巣食う地だ。
城外活動は基本日帰りで、平原へと戻る東への
旅程でなければ、一日以上の旅程を要する範囲
へは出張らぬはずだ。
軍規違反者への刑罰として
夜間の城外放逐があるくらいだ。
城砦兵士ならまず一日もたぬ。
城砦騎士でも数日が限度だろう。
昼夜を問わずふらりと荒野へ「散歩」へ出かけ
手土産と供に戻ってくるマナサや、かつての
剣聖ら紅蓮の愚連隊などは例外中の例外なのだ。
要はいかな武神とその配下といえど。
また或いは先のアイーダ作戦のように
磐石の補給線や仮設陣地を築いて任に
当たっていたのだとしても。
異形の巣食う敵地の只中、人にとりどこにも
安全地帯や補給場所のない荒野において、
唯一の拠り所たる中央城砦を離れて活動できる
限界とは精々数日、そういう事だ。
にもかかわらず、騎士団は消息を絶った
武神ライナスらの帰還を一月近く待った。
恐らくはそういう事なのだろう。
考えるほど、知るほどに
状況は謎を深めるばかりだ。
――父は何の命を帯び、
そしてどこへ向かったのか……
騎士団上層部、特に騎士団長や参謀長。
そして父の副官であったベオルクなら
その答えを当然知っているだろう。
そして城砦騎士となり、命令権をも得た
今のサイアスが問うたなら、ベオルクは己が
知るところを語ってくれそうな気はする。
しかし荒野を離れ平原での任を帯びた今
それを問うのは時宜に適わぬのかも知れぬ。
騎士団領の東の最前線を預かった将にして
王たるサイアスには最早、一身の想いを
満たすべく軽挙する余地がなかった。
――今はまだ。少なくとも
荒野へと戻るその時までは。
サイアスは自身にそう言い聞かせていた。




