サイアスの千日物語 百六十五日目 その三
城砦歴107年の夏より城砦騎士団は
サイアスを積極的に広報に活用していた。
とかく破格で劇的なその活躍は、神話伝承や
英雄叙事詩になぞらえられ、連合諸国元首らの
耳目にも随分馴染みのあるものとなってはいた。
だが大前提として城砦騎士団は軍事組織であり
その活躍は荒野における魔軍との戦闘に根差す
もの。人より遥かに強大な人智の外なる異形ら
との、阿鼻叫喚、食うか食われるかの死闘を
制した結果としてのもののはず。
つまりサイアスの活躍についても基本は武略
武功の延長であって――実際その通りではある
のだが――そこに大衆受けのする荒唐無稽な
尾ひれが付いて広まっているのだと考えていた。
つまり大ヒルを魅惑の歌声で誘き出すだの
羽牙と空中戦を繰り広げただのは、他の秀でた
騎士や兵士らがそうであるように普通の仕方で
撃破したところに広報用の脚色を加えて喧伝
されているのだと。
要はサイアスの父、武神ライナスよろしく
圧倒的な武量を誇る天下無双の武人の類だと
常識の範疇で類推していたものであった。
だが実際に会った当人は
余りにもイメージとかけ離れていた。
美々しいといえどそれはあくまで武人としての
美であって、まさか本当にたおやかな美姫(♂)
だとは思ってみなかったのだ。
また魔性の歌声についても単に歌唱に優れる
程度としか見做してはおらず、まさか噂が
掛け値なし、誇張なしにその通りだとは
夢想だにしていなかったのであった。
諸王らがアウクシリウムで目にする城砦騎士団
関係者は皆相当に高い魔力を有し、一目で
それと判る異質な気配をも有している。
だがサイアスのそれは異常の数乗。
完全に常識の埒外であった。
荒野の死地で魔軍との激戦を制する武神の子
ならば野太く吠える無骨極まる盛りマッチョ
でしかるべき。
そうでない時点で当初はあぁこれは完全に
「広報用」の人材だ、などとあなどる向き
もなくはなかった諸王だが。
ようやくこの現実離れした歌姫が大いなる
人の世の守護者にして絶対強者、すなわち
城砦騎士でもあったという事を事実として
理解し始めていた。
この様子だと本当に空を飛べるのやもしれぬ。
平たく言えば大国の後見や騎士団のお飾り
ではなく本物の「神話的存在」だ。
そう認知したのだった。
とまれ平原西方諸国連合中1位と4位の大国の
代表同士により戦乱勃発の危機が――当人らは
欠片も立場なぞ気にしてはおらず、単なる
口喧嘩程度に思っている――起こされ回避され、
のっけから波乱含み過ぎる戦勝式典ではあった。
だがおよそヤバげな盛り上がりはそれっきり。
ビーラーとしてはとにかく不満の残る状況だが、
すぐ左隣に座すカエリア王その人が実に冷やか
な眼差しで自身を見やるのを受けて流石に
マズいと感じだしたようだ。
フェルモリア大王国は連合大王位。
カエリア王国は連合王位だが実のところ
両者の国力に格別の差があるわけではない。
序列1位、連合帝位だったトリクティアを
連合し攻めて大公位に引きずり下ろして新体制
となった後、どちらも帝位を称するには及ばず。
ただし序列を正すために戦後の論功行賞で
カエリアが一歩フェルモリアに譲った。ゆえに
フェルモリアが暫定1位の大王位に。そして
カエリアが2位の王位に在ったのだった。
要は連合内の序列においてフェルモリアは
カエリアに小ならざる借りがあるわけで、
何よりビーラーは実は太子ですらなく
――これは完全に大王のせいだが――
一方あちらは王その人だ。
不興を買って良い相手ではない。そういえば
サイアス個人はカエリア王の臣下でもあったと
漸く思い出したビーラーは当座大人しくなった。
そういうことだった。
式典の内容は概ね既に連合加盟国の諸王が
見聞きし知っていたものを、公的に追認
する格好で進んでいった。
まずは戦果概要と今後の兵士提供義務の減免。
概ね2月に一度200名であった提供義務が、
戦後の急遽補充等特別な事情の起こらぬ限り
数カ月に一度100名と半減以下となった。
兵士提供義務に供出されるのは15から45の
壮健なる男女だ。西方諸国における成人年齢は
15前後が専らであり、平均寿命は55前後。
つまるところ成人以降のほぼ総員が該当した。
さらに申さば、かつての旧文明圏が有し
た優れた衛生インフラが壊滅したため、
体力のない乳幼児や高齢者はすぐに死ぬ。
お陰で一部の先進国を除き、乳幼児の成人率は
5割ほどと低い。そうした狭き門をくぐって
生き延びた、労働力としても人口にとっても
エース級である資産が荒野へと召し上げられる。
召し上げられた人資たる補充兵の大半は
一年と経たずに戦死するので、結果定期的に
補充し続けねばならない。それが西方諸国に
とっての直接的な人魔の戦であった。
とまれ兵士提供義務とは連合加盟国に対する
一種の人頭税であり、具体的な数値としては
戸数10に対し1名の補充兵、そういう
扱いとなっていた。
これが今後は戸数30に対し1名とされる。
人魔の大戦のみならず、西方諸国連合国間の
不戦協定のための費用であると見做せば
十分許容し得る範囲ではあった。
もっとも各国の民にとってみれば、各国が
独自に課す賦役に加えての事であるから
必ずしも楽なものではない。精々地獄の
三丁目から一丁目に越したようなものだった。
また兵士提供義務の減免と裏腹に、
物資提供義務は増加傾向にあった。
これはかつての血の宴における実の侵攻範囲
であった平原西端の2割、つまりは騎士団領が
荒野に国土を得た事で直接の侵攻範囲ではなく
緩衝域へと変じた事。
つまりかなりの安寧が担保された平原内の
騎士団領を自立し得るほどに富ませる事で
人魔の大戦を平原全土規模から騎士団領内で
完結するものへと卑小化する事が目的な、
おそらくは一過性のものであった。
ただし100年来領内のほとんどを荒廃の
ままに放置してきた騎士団領だ。名実共に
三大国家に次ぐ大国と成すにはまだまだ何も
かも足りぬ上、騎士団の主力はこぞって
化け物クラスの大喰らいときている。
要は益々扶養せよ、兵士提供義務が減った分で
物資増産に励みきっちり養え、とそういう事だ。
水の文明圏の再来とはいかずとも、騎士団領内
が相応に復旧するまで間の話だ。人資が潤えば
国力は富む。さすれば十二分に対応可能。
この点は大手の国家ほど楽観視していた。
向こう数年を凌ぎ切れば確実に国力は上向く。
少なくともそう見做す国家は多く、連合の
課す賦役の変化は歓迎されていたのだった。




