サイアスの千日物語 百六十四日目 その五
「トリクティアの最終皇帝って、
その…… まだ居るので?」
とデレク。
大振りな厚手の椀にどっと満ち満ちた
赤々とした汁。青々とした葉物の狭間から。
奇妙な形状の麺らしき切片――恐らくは先刻
店主がシュッシュと飛ばしていた手裏剣だ――
を東方の食器、箸で器用に摘みあげ、何やら
思案げに口へと放り込むデレク。
まさに見た目の雰囲気通りの味らしく
はふはふ言いつつ杯へと手を伸ばした。
「辛いなー。うまいけど」
ノリは辛口「だごん汁」らしい。何だか
病みつきらしくついつい手が伸びていた。
「記録抹消刑だ。つまり
過去現在未来何時であれ『居ない』。
存在そのものが纏わる全てと共に
消されている。トリクティアのお家芸だな」
とベオルク。
彼の器は黄金色の汁に満ち、立ち上る湯気も
心なしか甘やかに香る。切片な麺の色味も淡く、
デレクのものとは真逆の風味らしい。
一口試してムフンとニタ付き、
天下無双の英雄の口に合うかと冷や冷や
窺っていた店主は別口の冷や汗を掻いた。
まぁ、気に入ったのは間違いあるまい。
記録抹消刑は単に歴史から事跡の全てを消去
するといった、生温いものではないらしい。
係累全てを根絶やしにして現世そのものに
忘れさせるようだ。と、なると。
「では『長官殿』はどういう事に?」
とサイアス。
サイアスの器は他二名と異なり平皿だ。
しっとりとした雰囲気で汁は無い。
主役は具材と合わせて炒められたらしき
丸みを帯びた粒揃いの三角で、見た目も風味も
西方料理で言えばラザニエに近いものだった。
「これが猫耳……
どちらかと言えば巻貝のような」
サイアスは小首を傾げていた。
丸みを帯びた粒揃いの三角を指して
猫耳。そう呼びならわしているらしい。
もちろん素材には猫の毛一本入っていない。
とはいえねんねこにゃーな辺境伯に共食い
させるわけにもいかぬので、今回のものは
巻貝状に。そういう事らしかった。
帝政トリクティアの最終皇帝が痕跡ごと完全に
――つまりは親類縁者係累もろともに――
「抹消」されたなら、連合軍最高司令官たる
セミラミス・アムネリスは皇家との縁を
有してはいないのだろうか。
「『我々の知っている』最終皇帝とはつまり、
『一つ前』の御仁だという事だ。長官殿は
その方の血縁という事になるな」
要は繰り上げてあるのだとベオルクは語った。
「あー、段々見えてきた……」
とデレク。
手元の椀では底がちらついていた。
「『我こそ真の皇家の末裔だ』
などと嘯く底抜けの不届き者が出ぬよう
先手を打って手駒から軍権のみ公認しておく。
これで帝位を僭称する輩が現れても
そう易々とは求心力を得られぬ。
少なくとも兵が揃わぬだろう。
擾乱の芽を具に摘み取るための極まった
カウンター。先の先というヤツだ。
……あの方は昔から、目的のためには
欠片も手段を選ばぬというか、後先を
まったく考えぬのだ。
フルーレティを討つために躊躇なく
あらゆる人資を掻き集め、根こそぎ
物資を使い込んで見事役目を果たされた。
だがただでさえ火の車であった
中央城砦は完全に経営破綻した。
祖国からブーク閣下を招聘したのは
その尻拭いを押し付けるためだしな……
『やる事はやったし後は宜しく』と
満面の笑みで帰境するあの方を
呆然と見送るブーク閣下のお姿はこぅ、
大変に悲哀に満ちたものだったぞ」
「やっぱりお困り様だー!?」
「うむ。某国の王族連中のお困りは
己が身一つで完結しているが、
あの方は常に他者を巻き込むのだ。
昨日のもそうだ。
疲れているだろうから『休ませたい』
から始まって、確実に休ませるためにと
まずは徹底して『疲れさせる』わけだ。
本末転倒も良いところだが誰も逆らえぬ。
極力関わらぬ、しか打つ手がない」
こうと決めたら万難を拝しこじつけてでも
実現するその圧倒的な手腕というか腕っ節。
また城砦騎士ではないものの異様に膂力、と
いうか腕力が強く、やれ重盾メナンキュラスを
折り曲げただの、酔って暴れたオッピドゥスを
締め落としただの、およそ人外過ぎる逸話から
付いた異名が怪腕ゼミ。
災厄なる古語を捩ってセラミティとも。
また怪鳥宜しいセラエノと「ケセラセラ」なる
謎ユニットを組んで、無法かつ伝法な荒野の
荒くれ者たちを一層の無道で鎮圧し従えた
乱世の女帝、それがかの長官殿だという事だった。
「まともな女が居なさ過ぎる……」
とデレク。
フェルモリアの出だがそこまで辛口好きでなく、
旨辛な料理を食し終えすっかりひぃひぃと
熱そうだった。
余りにも本音、そして一言で言えば
またしても舌禍だが、幸いこの場には
男性しかいない。 ……いや、女性店員も
一人は居たはずだが姿がない。何故だろう?
……デレクは深く考えない事にした。
「まともな環境ではないからな。
力こそ全て、戦いこそ喜びな世界で
君臨するにはあぁならざるを得ん」
とベオルクは慎重にとばっちりを避けた。
「連合軍でも闇の勢力の動向を
把握していた、そういう事でしょうか」
とサイアス。
「荒野で伝え聞く我々よりも遥かに身近に、
きな臭さを嗅ぎ取っていただろうな。
もっとも初手については判らぬまま。
止めようのない状態は続いている。
当座は諜報に明け暮れねばなるまい」
とベオルク。
自身の酒食を平らげつつあった。
サイアスがそうであるように。そして
セラエノら中央塔付属参謀部の軍師衆や
ベオルクら騎士団上層部がそうであるように。
初春に向けて蠢動する闇の勢力の顕在はやはり
かの国でという事になるのだろうか。だが
そこに至るまでの手口やその後の展開は
未だ読み切れぬままだ。
来ると判っていても止められぬ。
鬼手とは常にそういうものだ。
これを凌ぐには魔手が要る。
だから騎士団はサイアスを騎士団領の
東の国境へ置き、これに備えることとした。
そしてセミラミスはこれらを踏まえ、
サイアスに既に形骸化して久しい連合帝位の
軍権を与え、闇の勢力に担がれた何者かによる
帝位の僭称を軍事的に阻害する意向らしい。
つまりはそういう事だった。
「何にしても」
ややあってサイアス。
「美味しかった」
うむ、と異口同音のベオルクとデレク。
恐縮する店主らに会釈して昼食を終えた。




