サイアスの千日物語 百六十三日目
平原で平穏を享受する民らであれば
まず熟睡していて然るべき、未明の頃。
トーラナ城郭の東手には
美々しく武装した軍勢が在った。
その数およそ3000名。
トーラナの擁する兵員の6割程だ。
小高い城郭や開け放たれた門。さらには
隊伍の狭間などで無数の篝火が炊かれており、
その下で軍勢は三つに分かれ、或いは挙動し
或いは直立不動を保っていた。
三つの軍勢は南北に二つ、東に一つ。
城門のある西を底辺とした正三角形を象る。
南北の二つはそれぞれ500。
南の軍は南方へ、北の軍は北方へ。
それぞれ臨戦態勢を取っていた。
これらは西方に聳え立つ巨大な防壁を
迂回して攻め入らんとする異形らへの備えだ。
先の合同作戦以降トーラナと大湿原の狭間の
領域から異形が駆逐され随分安全度合いが
増してはいた。
だがほんの数日前。
百年来魔軍の侵攻を阻んできた天然の要害、
大湿原そのものから、縦長の一群による
強襲が目論まれ、未遂に終わったところだ。
魔軍全体に対しては依然要害たり得るが、
元来大湿原を棲家とするような、とりわけ
危険な連中が抜けてくる可能性が判明した。
元より人より遥かに強大な魔軍だ。
舐めて掛かって良いものではない。
大勝以降意識の片隅にもたげていた慢心を
切って捨てるべく、合同作戦以前の態勢に
立ち戻る形と成ったのであった。
要は南北の各500は護衛、そういう事だ。
そしてこれらに護られつつ正三角形の頂点に
位置する2000の軍勢から500程が分かれ
西を目指した。
これらは丁度今しがた北東より到着した
物資輸送の大部隊を護衛先導しトーラナ城郭
へと招き入れる役目を担っていた。
物資輸送の大隊とは屋根無き特大の貨車が20。
さらに護衛として鉄騎100が随行していた。
車両も騎兵も連合軍旗と大王国旗を掲げている。
今期の駐留騎士団はフェルモリア大王国が担当
しており、どちらも鉄騎衆と観て良いのだろう。
北東より到着した部隊を護送し見送った東の
軍勢からは、続けて400程の大隊が進発した。
屋根付きの特大貨車が20、鉄騎100。
これはは入城する一隊に同じ。異なるのは
歩兵が300随行する点だ。
これらは荒野の城砦へと物資輸送をおこなう
部隊と、先日破壊された北往路内第二基地の
復旧と改修を引き継ぐ工兵やその護衛だった。
北往路第二基地一帯はこの二日間の尽力で
既に従来の機能を取り戻すところまでには
至っていた。
そこにベオルクの提案した坑道化を加え、
第一第二両基地の一帯をさらに磐石化。要は
転んでもタダでは起きぬための一手であった。
そうして都合500の手勢が分離した後の
東の一軍。概ね1500の兵らに見守られ、
北東を目指さんとする一隊が在った。
屋根付きな特大の貨車5両、騎兵10騎。
これを中核として、前後左右に鉄騎が
20ずつ付き従う。総勢100弱、
平原の水準で言えば中隊規模であった。
中隊の南西には一際大なる篝火の群れがあり、
未だ明けきらぬ空よりも深い漆黒を見に纏う
巨獣が中央で跪いていた。
巨獣の見守る鼻先には緋色のガーブを纏う貴人。
周囲を固め直立不動を保つ兵らの中、彼女は
或いは馬上から、或いは車両から身を乗り出す
一行へと薄く笑んで見せた。
次いで此度も殿となるべく車列後方に
居残っているサイアスへと語りかける。
「戦勝式典での貴卿らの晴れ姿を
直に拝めぬのは残念だ。
国許からは大王の長男が向かう。
継承権1位だ。会っておいて損にはなるまい」
損になるまいと告げつつも、
チェルヴェナーはやや嘆息気味だ。
「第一王子のビーラー殿下ですね。
……やはり王家の男子らしいお方ですか」
チェルヴェナーの嘆息の原因が、お困り様を
ぽこじゃが量産する王家の呪われた血に
あるのだろうか、とサイアスは推測した。
「表面上はそうなのだが。
一言で言えば曲者かな。
大王の戯れな玉座争いで
常に勝ち続けているような男だ。
その名に反して真っ黒と言っていい」
チェルヴェナーが赤チェルニーが黒。
そしてシェダーが灰といった風に、
フェルモリア大王国の王位継承権者には
その証として「色名」が与えられる。
金たるズラトー大王の長子の名、
ビーラーとは白を意味していた。
「満面の笑顔で人を刺す男だ。
まぁ王宮住まいは皆そうだがな……
とまれ用心するに越した事はあるまい。
……サイアス卿。
私と夫は常に貴卿らの味方だ。
どうかその事を忘れずにいて欲しい」
覇王と呼ぶには繊細過ぎる。
そう思わせる懊悩をも垣間見せ、
チェルヴェナーはサイアスに頷いた。
ここにもまた、偉大な先達が一人居て、
またしてもこの身に力を貸してくれる。
背負いがたき荷を背負い、それでも前へと
進むサイアスの往く手を、明るく照らして
くれているのだ。
荒野に巣食う魔や異形に無い、
人の持つ最大の強み、数。
その数を活かす最大の鍵。
意志の継承。
チェルヴェナーは夫チェルニーと同様に
サイアスを次代を担う英雄と認め、
王位などではなく己が意志を。
戦の主、武王、覇王。
然様に畏れ敬われる王者の在り様。
すなわち王器。その継承を、望んでいる。
言外の挙措や眼差しにサイアスはそう感じ、
右手を胸元で黒く輝く覇王の心臓に添え、
しかと頷き言外に告げた。引き継ぐ、と。
「勿体無きお言葉…… いえ、
最早他人行儀は止しましょう。
チェルヴェナー様、有難うございます。
私も貴方の味方です。何かあったら
是非頼ってください」
「あぁ、勿論だ。
また近いうち遊びにきてくれ。
グラドゥス殿にも宜しく。ではな!」
どちらも社交辞令しか口にはしない。
だが確かに意志の継承は成され、ここに
次代を担う新たな王者の誕生が約束された。
チェルヴェナーは肩越しに朗らかに笑い、
戦象クリシュナの背へと戻った。
サイアスは馬上より十束の剣を抜き放ち
切っ先を天にして胸前へと引き付け
チェルヴェナーに対して剣礼を。
帰境の一行、護衛の鉄騎衆。
そしてトーラナ兵1500が一斉に
鍔鳴りを響かせこれに続き、互いの
武運長久を。来る日の再会を願った。
こうしてサイアスら帰境の一行は
トーラナを発って一路北東へ。
西方諸国連合本部のある平原西域最大の都市。
城砦騎士団領アウクシリウムへと進発した。




