サイアスの千日物語 百六十二日目 その八
完全に夜型な城砦騎士団にあわせる形で
深夜に始まったトーラナ王宮での歓待の宴。
翌日の旅程に影響が出ぬよう、当初は
2時間程の予定であったものが、余りに
気が合い盛り上がり過ぎて気が付けば朝。
夜明け後間もない6時過ぎだった。
要は1時間区分丸ごと飲み食い騒ぎ倒した訳だ。
疲れを残したまま出立させるわけにはいかぬ
のでまずは仮眠を勧める一方。
東西に長い楕円をした平原の、西端二割を
占める城砦騎士団領は広大だ。その最西端な
トーラナから中央北部のアウクシリウムへは
馬車でゆるりと半日は掛かる。
要するに今から一眠りしその後送りだした
のではまたしても夜間行軍となるわけで、
それはそれで心苦しいものがある。
そこでチェルヴェナーはやや申し訳なさげに
トーラナでのもう一泊を勧めた。既に平原入り
している事。さらにはさんざ楽しんだ結果でも
ある事ゆえ一行的には一も二もなく応諾を。
これにチェルヴェナーは随分と喜んで、
まずは午後までぐっすりと休ませ、その後
再び貴賓の間へとやってきた。
そうして武具を作ってやるといって女衆を
自身専用の工房へと招き入れたり、ベリルを
戦象クリシュナに乗せトーラナ東域へと散歩
に出向いたりと、控えめに言って大はしゃぎ。
だがそれも。赤の覇王と畏れ傅かれる
チェルヴェナー・フェルモリアという人の
孤高の境遇を思えば無理からぬ事やも知れぬ。
そう考えたサイアスは、荒野の戦で疲弊した
心身が平原に馴染むまでもう数日、当地に
逗留させて貰えぬかとチェルヴェナーに請うた。
チェルヴェナーはこれに照れ笑いして
「貴卿が天下の女たらしだと
評判なのがとてもよく判ったぞ。
これなら神魔とて惚れるわけだな」
「えぇ……」
と困惑するサイアスを
一家や肉娘と共に冷やかし
「その心遣いは有り難く頂戴する。だが
連合諸国の王侯らとて、貴卿らに
会えるのを心待ちにしている。
矢張り明日には出立されるが宜しかろう」
と柔らかい表情で頷き、
「代わりに一つ頼みがある。
騎士団領南東域を速やかに平らげて
貴領をトーラナ近郊にまで拡げておくれ。
それなら何時でも気軽に遊びに来れよう?」
実に覇王らしい茶目っ気を見せた。
騎士団領内の生活圏は、中央北部にある
物資集積所を前身とする西方諸国中でも最大の
都市、西方諸国連合本部のあるアウクシリウム
を中心として拡がっていた。
一方中部や南部はかつての未曾有の大災厄
「血の宴」より100年以上を経た今日も
なお当時の荒廃をそのままに遺していた。
お陰でそうした一帯の廃墟や遺構に闇の勢力が
巣食って雌伏を期しているのだが、茶目っ気
たっぷりな台詞とは、こうした連中を西の
トーラナと東のラインシュタットで挟撃し
殲滅しようとの軍事提案でもあった。
「良いですね。東の一件が片付いたら
是非ともそうさせて頂きます」
クスリと笑んで応じるサイアス。
「よし、約束だ。
完遂の暁には大王宮から
有りっ丈の宝石を分捕り進呈する」
「直ちに」
いざ出陣と即座に踵を返し、ロイエに
首根っこを引っ掴まれるサイアス。
「何をする」
「どこへ行く気だ!」
「ここから直接東を攻める」
「一旦帰宅してからにしなさい!」
「えぇー」
サイアスはたいそう不満げだが
ロイエが怖いので踏みとどまった。
「ハハハ! 石狂いとの評も確かだな!
まぁ細君らを怒らせるのは本意ではない。
ここは一つ、是非気長に取り組んでおくれ」
チェルヴェナーはヴァディス宜しく
声を立てて笑った。
そしてチェルヴェナーは自身の胸元を飾る
黒鉄の装飾を持つ赤子の拳大な、凡そ在り得ぬ
極大粒の。漆黒に輝く金剛石の首飾りを外し、
サイアスに差し出した。
「『覇王の心臓』、そう呼ばれている。
世にこれ以上のものは無いだろう。
クリシュナの件、先刻の言。
とても嬉しかった。その礼を。
そして夫共々不変の友誼を誓う証に、
是非とも貴卿に受け取って欲しい」
黒金剛石を飾る宝飾はどうやら自身の手による
ものらしく、手にして出来栄えを再確認し
満足げに頷くチェルヴェナー。
「陛下、その宝珠は
大王位継承権者の証では……」
とサイアス。天下に名立たる宝物だ。
石が余りにも好き過ぎるサイアスが
その詳細を知らぬはずもなかった。
「フフ、よく知っている……
だがそんなものは些事だ。何なら
貴卿が継げばいい。民もその方が喜ぶ」
「お戯れを……」
薄く笑みつつ嘯く覇王に
サイアスは流石に恐縮してみせた。
「冗談だ。困らせる意図はない。
だがこれは受け取ってくれ」
「それはもう喜んで」
「おぃ……」
どうやら恐縮は形だけだったようだ。
ロイエは呆れて突っ込んだ。
単なる宝飾の贈与に留まらぬ、途轍もなく重い
意味合いを持つであろう、覇王の心臓を、
サイアスはロイエを始め細君らが呆れるのを
まったく無視して、満面の笑みで受け取った。
そして、しょうがないわね、と呆れつつも
ロイエ程には深刻視せぬニティヤに早速
見せびらかし、付けて貰って
「やった! ありがとにゃー!」
と雀躍りし、シヴァと散歩すべく退出した。
うっかりチェルヴェナーの気が変わったり、
事態を重く見たロイエらに返却させられる
その前に、空へと逃げる気満々であった。




