サイアスの千日物語 百六十二日目 その七
在トーラナな5000もの兵を人柱として
その状態を洗練し尽くし、遂には生食に
耐え得る域に至ったドカテリヤの、それも
飛びきり上等な爪の中の身を。
葱に白菜、豆腐に白滝と、劇的に食糧事情の
改善された昨今の中央城砦でも中々御目に
掛かれぬふんだんな東方諸国の食材らと共に。
収穫を待ち焦がれる秋の麦畑を彷彿させる
黄金色の割り下がふつふつ煮立つ鍋へと
誘い浸しそっと解き放っていく。
するとどうだろう。緑と白の入江の汀に
波打ちよせる黄金色の海で、揺らめく
湯気を背に身は舞い踊るではないか。
そうして仄かな赤と白の半透明だった
その身の色味は、さながら炊き立てた
白米の如く艶やかな乳白へ変貌を遂げる。
黄金の海で起こる見目麗しく鮮やかな変化は
芳しき香りの呼び水でもあった。気品に満ちた
その香りは湯気を翼と羽ばたいて、貴賓の間へと
充ちゆくのであった。
幻想的な黄金郷を飛び立ったその芳香は
これでもかと待ち受ける一同の鼻孔をくすぐり、
当初は高みの見物を決め込むつもりであった
肉娘以外の面々にも耐え難き食欲をもたらした。
そこでチェルヴェナー含む一同は最早堪らぬと
給仕を要求し、我が意を得たりとほくそ笑む
ロルーシ以下厨房員や従者らによって、
まずは小振りの椀で一杯。
即座に平らげさらに一杯、二杯三杯と
次々お代わりして飽くなき食欲を満たした。
ドカテリヤは基地を担ぐ程に大形なる異形だ。
その爪ともなると実に軍馬数頭より大。そこに
詰まった身の在り様も並みの蟹とは比ぶべくも
なく、下処理を経て剣身ほどに太く長かった。
流石にこれをそのままずびずばと屠る訳にも
いかぬので、適宜刃を入れちょちょんと刻み、
丁度東方諸国の餅に程近い一口大にしてあった。
湧き立つ鍋の黄金の海にてたっぷり踊り
泳いだそれらは色付くと共にほんのり膨らみ、
もっちりとした表面には鍋の出汁を抱え込む。
頬張り噛んでみたならばその身の内に秘めた
身本来の旨味が溢れ、出汁と邂逅し渾然一体と
成って口中に広がり、余りの美味にくぐもった
言葉なき歓声をあげさせた。
身のみを頬張ってこれ程ならば、共に煮立った
野菜らと共に頬張った場合どうなるのだろうか。
そう思い立ち、これを試さずに居られる者など
この場に居ろうはずもなく、一同は躊躇なく
着想を現実のものとした。
成果は甚大。天頂を突破し未曾有の領域へと
旅立たんがばかりの絶品振りであった。
元々肉娘6名を始めとする有志のためにと
用意されていた事もあり、声なき悲鳴が
響き渡る中次々と鍋は干され、ものの
数分で完食と相成った。
お陰で食い足りぬ。いやそもそも宴席で
さんざ飲み食いした後での事なので
食い足りぬなどあろうはずもない。
蓋しは別腹というヤツだろうか。
とまれ覇王含む貴賓一同は未だ充ち足りぬ
眼差しを鍋へ、鍋の傍らの厨房員らへ向けた。
もっとも厨房員らとしては心得たもの。
もしもに備えて端からきっちり人数分を
用意して、貴賓の間の外で待機させてあった。
そこでさらなる台車を運び込んで、
適宜鍋ごとお代わりとする一方、それすら
待てぬと暴れ出す者もあろうかと見越して
別途調理してあった料理をも提供した。
まずは再び黄金色の逸品だ。
ドカテリヤの身を鍋用よりさらに細かくし、
溶き卵や千切り野菜と共に火に掛けて、とろみ
のある濃厚な餡を掛けた、その名もドカタマ。
次に千切りレタスと同様の域にまで刻んだものを
共に熱した鉄板に踊らせ、秘伝の調味料と共に
白米と炒め上げた、ドカレタチャーハン。
さらには細長く裂いた身にふわりと衣を
纏わせて、一気にからりと揚げたドカ天や
茹で上げた上で裂いたものを季節の野菜と共に
マヨラーセで和えたドカサラダ、等々。
5000ものトーラナ兵の胃袋を預かる厨房勢
が威信と腕によりを掛けまくった珠玉の逸品が
次々と運ばれ、これでもかと振る舞われた。
それから暫く至福過ぎる天上のひと時を満喫し、
そろそろ腹も充ちてきて、後は一皿くらいかな、
と一同が落ち着きを見せ始めた頃、ついに此度の
宴席、そしてドカ料理を締めくくる最後の逸品が
準備されはじめた。
猛獣を通り越し怪獣の如き胃袋を有する肉娘らが
繰り返しお代わりを要求しその都度煮炊きに
用いられてきたドカ鍋の鍋には、これまでに
繰り返し投入されてきた葱に白菜豆腐に白滝と
多数のドカ身らの忘れ形見ともいうべき、
豊穣極まる出汁が充ち満ちていた。
これをこのままにするなぞ愚の骨頂。
食に対する侮辱に他ならぬ。そう、
ここからが宴の本尊なのだ。
500の厨房員を率い5000の兵の食を賄う
厨房長ロルーシ自らの手により、鍋には白米が
踊り込み、溶き卵や風味付けの葉物なぞも
添えられて、鍋は幾度目か煮立ち。
締めを飾るドカ雑炊が用意されたのだった。
帰境の一行が持ち込んだドカテリヤの身は、
5000の兵らによる試食と貴賓の間での
馳走によって、こうして全て消費された。
試食を担った兵らの一部に軽い痺れ等が出た
以外は、身の摂取による特段の異常はなかった。
また異常をきたした兵らについては聴取の結果
元々蟹アレルギーだと判ったため、実質異常は
無いものと判断されていた。
その一方で此度の食材が荒野に巣食う異形の、
それもとびきり大物の肉であると、理解した
上で食した影響から、料理に関与した総員に
魔力の獲得や上昇がみられた。
人智の外なる世界に棲まう異形を調理の末に
捕食するという行為は言わば、人智の境界を
助走を付け奇声を放ちつつ踏み外すような
ものである。魔の側に寄るのはむべなるかな。
とまれ結果としてトーラナの将兵は魔力の獲得
により少なからぬ戦力上昇を得たようだ。げに
ドカテリヤ料理恐るべしであった。




