サイアスの千日物語 百六十二日目 その五
それは、圧倒的に赤だった。
深紅の一語で表しきるには余りにも深く
濃密で、それでいてどこまでも澄明だった。
大きなものは人の胴ほど。
小さなものは拳大。
大小様々の深紅の板。
それが3つ目の台座に載せられて
ベールに包まれていた正体であり総体だ。
多くは長方形を象っており、大振りなものほど
長い辺に沿った浅い反りを持つようだ。そして
それらは皆一様に、貴賓の間に満ちた灯りを
浴びて、どこまでも己が赤さを誇っていた。
我知らず嘆息を零す一同。
鍋に気もそぞろであった肉娘すらも
最上級の珊瑚を思わせるそれらの赤さに
すっかり目を奪われていた。
ルビー、ガーネット、ルベライト、ジャスパー。
赤い石の名を次々想起して、それらと比した
眼前の赤の赤さを推し量っていたサイアス。
灯りを浴びて浮かび上がる六条の光芒から
スタールビーが最も近そうだと結論付け、
あ、そういえば、と自身のティアラの中心に
座す瞳大な特級のルビーの来歴を思い出した。
これは、某第一藩国の王位の証な王冠を
他ならぬ某第一藩国王その人が剣の柄頭で
小突き倒して外し寄越したものだった。
某第一藩国王とは要するに、
某第一藩国王妃の夫である。
流石に色々マズいのではないかと
今さらながらに思い至ったのであった。
一言でいえば、あちゃー、という感じを
そのお澄まし顔に滲ませるサイアスに
「よく似合っている。
貴卿にこそ相応しい」
とクスクス笑う覇王。
とうに承知で了承済みのようだ。
「有難う御座います。
しかし美しい、美事な赤ですね。
『赤の覇王』の名に相応しいほどに」
「フフフ、そう言ってくれるか」
まさに禦感斜めならずなチェルヴェナー。
これらを献上されたがゆえにお困り様な
アレケンをこの場へ通しもしたのだろう。
「諸君らからの馬車詰めな手土産を
アレケンとロルーシが上手く処理した」
チェルヴェナーはそう語り、半拍ほどの間を
置いてロルーシが「処理」の概要を説明した。
「連絡路を、タンドリーに……?」
空いた口の塞がらぬ風なベオルク。
他も一部を除いてみな同様の体だ。
もっとも往路で似たような提案をしたクリンや
肉娘らは我が意を得たりと大いに喝采していた。
「カレーで消臭し
コーヒーで磨くって……
はぁ、流石にその発想はちょっと」
二の句が告げぬロイエ。
ディードは厨房長ロルーシに
「フェルモリア王家の方ですか?」
「いえ違います」
と問い掛け音速で否定された。
「ドカテリヤの甲殻の表面はどうやら
多層構造をして成していたようだ。
最も外側には大湿原のものと思われる
蘚苔や泥炭が付着し、これが恐るべき
悪臭の原因となっていた」
とチェルヴェナー。
察するに悪臭は甲殻の表面のみに
留まるものだったようだ。
「次にクチクラと呼ばれる甲殻特有の膜が
分厚い層を成していた。まずは十分な火力と
時間を費やしてこれらを焼き切り炭化させた」
とさらにチェルヴェナー。
クチクラとは主に水生の甲殻などの表面に
形成される生物由来の丈夫な膜を指し、
キューティクルと呼ばれる事もある。
蘚苔や泥炭とクチクラの成す多層部分からは
征矢の鏃と思われる金属片が見つかったとの事。
ラーズの放った魔弾は両者二層を貫通し、
次の層で砕かれた事になるようだ。
「炭化した多層をコーヒーの滓を用いて
強引に研磨した後、遂に露出した言わば
『本体』がこれだ」
3つ目の台座に並ぶ深紅の板を指す覇王。
「見目麗しさもさることながら、
鉄や鋼では刃が立たぬほど硬い。
金剛石の鏨を打ち込んでようやく
解体できたとの事だ。強度の調査では
剣斧槌矢はおろか破城鎚でさえ弾いた。
これを実戦で斬断した諸君の武量には
ただただ感服するばかりだ」
暗中に遭遇した初見の大形異形との一戦、
それも刹那の交錯の最中において、破城鎚
すら弾き返す甲殻を流れのままに斬断する。
果たして如何なる神技かと武辺話をいたく
愛するチェルヴェナーは興味津津であり、
畏れかしこみて言上するデレクや
照れつつ語るロイエらの説明に聞き耽った。
「関節を瞬時に即断し
かの剣聖の御業を放ったと?
……剣聖剣技を教わりたい!
剣聖殿はいつ戻られるのだ!?」
興奮して叫ぶチェルヴェナー。
「年内は難しいでしょうな…… ですが
書状にて陛下の意向をお伝えいたします。
閣下よりの返信をお待ちくだされ」
「うむ、頼むぞ! 楽しみにしている」
黒おじさまはしれっと赤おじさまに丸投げし
ひとまずは落ち着くチェルヴェナーであった。
「とまれこのドカテリヤの甲殻は
装甲としては抜群だが、硬すぎるため
加工が困難だ。作れる鎧は限定的だな」
落ち着きを取り戻しそう語るチェルヴェナー。
例えば甲冑の装甲などは、それを纏う人体に
合わせた複雑な曲面で出来ている。硬さは
脆さと等しいため、これほど硬いものだと
曲がらず割れてしまいがち。そのため
そうした加工には適していないとの事だった。
素材を小札程度に細分し、ラメラーアーマー
やスケイルメイルとする事はできそうだが、
それだとこの素材本来の硬度は活かせない。
ただし熱耐性が高いので、炎の息吹を
吐くような相手には相応に有用やも知れぬ。
とまれ最も活かせるのは盾または刃との事だ。
「さしあたっては剣と盾を削り出し、
工程で出た破片を鱗鎧にするつもりだ。
仕上がり次第ラインシュタットへ届けよう。
是非楽しみにしていてくれ」
薄く笑ってそう語るチェルヴェナー。
揃いも揃って武辺者。それも天下に名だたる
錚々たる面々だ。武具は何にも勝る宝物であり
一同大いに沸きたってチェルヴェナーを称賛した。




