サイアスの千日物語 百六十二日目 その二
大王国内の反乱分子を悉く平らげ、遂には
平原全土の命運を背負って人魔の大戦の要の
一城を預かるに至った希代の武人にして将帥。
赤の覇王の二つ名で畏れ称えられる同国最強、
当代三女傑の一角。フェルモリア大王の実妹。
大王国第一藩国イェデン王妃。そしてかの
戦の主、武王たる城砦騎士団長の妻。
チェルヴェナー・フェルモリア。
苛烈な武功や凡その世評とは裏腹に、今
サイアスら一行をもてなす様は実に気さくだ。
武人らしい威風を纏うも物腰はけして荒くれず、
柔和といって良い程の実に典雅な佇まいだった。
噂に聞くのとは随分異なるその様に、
サイアスはチェルヴェナーを覇王と畏れ
恐れているのは実は男性ばかりだと、それも
名だたるお困り様ばかりなのだと気付いた。
今一行の前で手ずから酌をして回り、
共に語らい笑いあうその様は至極穏やかで
洒脱で気品に満ちた妙齢の女性に過ぎない。
少なくともサイアスはそう感じていた。
もっとも。
あの母しかり乳母しかり、そして自身の
細君ら然り。サイアスがこれまでに知遇を
得た女性というのは大同小異、こんな感じだ。
かつ、比較対象とすべき平原風のたおやかな
女性とやらと親しく接した試しがなかった。
平素より凶猛なる女性に慣れ切っている。
だから欠片の違和感も感じていない。
そういう事かも知れなかった。
自らの足で戦地に赴き
自らの意志で大敵に臨む
世にも男にも媚びぬ強者たち。
愛しき者の傍らでは無辺の慈悲と母性に満ち、
裏腹に戦地戦場では憤怒に滾る阿修羅の如く
破壊と殺戮の限りを尽くす大地母神。
フェルモリア地方の創世神話に語られる
「黒き母」の化身たち。
つまりは魔よりもおっかない
「荒野の女」。そういう事だろう。
アイスチャイによる乾杯の後、一行は
チェルヴェナーの従者らが適宜運んでくる
とびきりの酒肴にしこたま舌鼓を打っていた。
王妃自ら饗応役を務める様に一行は当初
頻りに恐縮していたのだが、一行の8割方を
占める女性、それも名だたる荒野の女たちは
すぐに赤の覇王チェルヴェナーもまた
自身らの同類なのだと勘付いた。
そこからは王侯貴族に対してというより
むしろ先輩女戦士と対する格好での敬意
と思慕を示し始めた。
チェルヴェナーはこれに我が意を得たりと
従者が怯えるほど上機嫌となり、すっかり
打ち解け親しげに語り合っていた。
貴賓の間に居るのはベオルクとデレク
ラーズとサイアスを除けば全て女性だ。
ベオルクは只管酒肴とスイーツに夢中だ。
デレクとラーズは障らぬ神に何とやら、
と極力空気に成ろうと勤めていたし
サイアスは歌姫なので何も問題は無かった。
お陰で宴席はいつからかすっかりと
荒野の女衆による女子会の様相を呈していた。
姉たるマナサに似ていると言って、マナサへ
贈ったのと同じ絹の衣をニティヤに与えたり。
戦象クリシュナ同様の家族である虎と雰囲気が
似ていると言って、クリンに武具を与えたり。
とにかく上機嫌で気前良く、後輩戦士
一人一人と楽しいひと時を過ごしていた
チェルヴェナーであったが、やがてある者の
前に来ると、それまでとは打って変わって
神妙な、むしろ沈痛な面持ちとなり
「……よくぞ生きていてくれた」
苦労して言葉を紡ぐチェルヴェナー。
「そなたが荒野へ赴く羽目となったのは
反乱鎮圧に明け暮れて自身の国とその民を。
政を顧みる事の無かった、我が不徳ゆえだ」
苦しげに言葉を紡ぐチェルヴェナー。
「今ここでそなた一人に詫びたとて、
けして許されるものではない。
この咎は覇王の名と共に、
生涯この身に背負うつもりだ。
だが、それでも一言謝罪させてほしい。
ベリルよ、本当に済まなかった……」
周囲が驚愕に瞠目する中。
赤の覇王チェルヴェナー・フェルモリアは
ベリルに深々と頭を垂れ、許しを乞うた。
フェルモリア大王国の第一藩国イェデン。
チェルヴェナー・フェルモリアはその王妃だ。
そして第一藩国イェデンの北境、
山地の寒村。そこがベリルの出生地だ。
治める王が国を空け、悪官汚吏がのさばって
闇の勢力と結託し、寒村を兵士提供義務の
ための「子売り」の工場へと作り変え。
そうしてベリルの悲劇は始まった。
帰国し悪官汚吏を駆逐して、闇の勢力を
根絶すべくチェルヴェナーが山地の寒村に
攻め入った折には時既に遅く、もぬけの殻。
闇の勢力は騎士団領内に逃げ果せ、
商品たる子らも取り戻す事はできなかった。
そんな中、ただ一人。
ただ一人だけ消息が判明した。
荒野の死地へと送られた
その子はベリルと名付けられ、
今も存命であると言う。
庇護すべき幼子らを災禍に巻き込んだ事に
強い自責の念を感じていたチェルヴェナーに
とり、ベリルは未だ健在なただ一人だったのだ。
こうして対面したチェルヴェナーに胸中には
余人に量り難い万感の想いがあったろう。
「チェルヴェナー様、
お顔をお上げください」
周囲が陛下とは呼ばぬのでそれに合わせ
努めて明るく柔らかく。ベリルは
チェルヴェナーへと声を掛けた。
「私は荒野で本当の家族に会えました。
それからはずっと幸せいっぱいなんです。
だからどうか、お気になさらないでください」
ベリルは朗らかに笑んでみせた。
「そうか…… そうだったな」
夫たる騎士団長からの書簡により。
或いは騎士団長の従者からの報告により
そういう話は聞いていた。
荒野の死地だ、常に気を張っていなければ
生きてはいけぬ。ゆえに気丈に振舞っている
のだろう。そうチェルヴェナーは推測していた。
だが面と向かってベリル当人が笑む様は
気丈さもあるものの、何よりも。心の底から
幸せを感じている、そんな笑顔であった。
「私は城砦騎士団第四戦隊所属
特務中隊サイアス小隊付き衛生士。
城砦兵士長ベリル。
幼くても平原の護り手で、
『荒野の女』の一人なんです。
だから、チェルヴェナー様。
何も心配しないでくださいね」
ややはにかみつつも得意げに
誇らしげにそう名乗るベリル。
「そうか。失礼した。
頼もしい限りだ、ベリル」
チェルヴェナーは目を潤ませつつも
笑ってベリルに握手を求めた。
差し出された手は酷く小さく柔らかく。
それでいて力強かった。




