サイアスの千日物語 百六十二日目
トーラナの最奥、軍事拠点たる城郭と
魔軍を遮断すべく聳え立つ黒壁の狭間に
在る、べらぼうに巨大な切り株めいた建造物。
それがトーラナ城主、赤の覇王のための王宮だ。
トーラナの在所は城砦騎士団の領内だが、
これを所管するのは西方諸国連合軍だ。
そして、言わば西方諸国連合領な
トーラナの内側に在りながら、この王宮は
赤の覇王チェルヴェナー個人の所領であった。
この辺りの事情は荒野の只中な中央城砦の
中央塔が、西方諸国連合の王侯である
城砦騎士団長個人の所領とされるのと同じだ。
中央城砦でもトーラナでも、城主を務めるのは
西方諸国連合から派遣された加盟国の王侯だ。
王侯である彼らには、赴任先で自身の
地位と権能を保障する仮の領地を与えられる。
それが中央城砦では中央塔であり、
トーラナではこの王宮なのだった。
もっとも当代の城砦騎士団長は本来2年な
赴任期間を勝手に延長して既に5年。要は
7年の長きに渡り、自国をほったくって
荒野の中央城砦へと住み着いている。
そして彼の妻である赤の覇王もまた、自国な
フェルモリア大王国第一藩国イェデンを離れ
当地に住み着く気満々であった。
つまり赤の覇王はトーラナ城主の地位を
連合軍内の他者に譲り渡す気がなかった。
他者たる連合加盟国の諸王としては、血の宴
からの復興と城砦騎士団への提供義務履行で
手一杯だ。辺境の僻地へと割く余力がない。
よってお困り夫妻の行状はむしろ渡りに船。
有り難い話なので完全にこれを黙認している。
赤の覇王チェルヴェナーがトーラナ城主と
なって以来、私財と私兵とを投じて当地を
魔改造しまくっているのには、そういう
理由も多分にあったのだ。
トーラナ王宮の4階は全て、貴賓のための
客間となっていた。ここを利用するのは
西方諸国連合加盟国の王侯か、赤の覇王の
個人的な客に限られる。
そうした人々は必ず多数のお付きを伴うので
客間といえどちょっとした屋敷並みに広い。
サイアスは西方諸国連合爵位の保有者だ。
それも辺境伯。現状その地位と権能は
上から数えて4番目に相当していた。
赤の覇王個人にとってもこれまで旦那と甥っ子
の世話を看て貰っていた重要な客人だ。その上
彼女の国イェデンとラインシュタットには
通商協定がある。お得意様でもあるわけだ。
さらに何より。
サイアスは彼女が我が子の如く可愛がる戦象
クリシュナを彼女の子と見做し敬意を払った。
これが何より重要だったようだ。
そのため以前ブークやカエリア王らが滞在時に
利用した最上級の部屋が複数惜しげもなく
提供され、徹底した歓待振りが示されていた。
サイアスらは赤の覇王その人に掻き抱かれる
ようにして貴賓の間まで案内された後、まずは
休養をとることとなった。
城砦騎士団では1日を6時間毎に4区分する。
休養もこれに合わせる形でまずは1時間区分。
次の時間区分は客間でのんびり寛ぐのにあてた。
そうして到着より半日が経過した深夜。
午前0時。第一時間区分の始端より、
一行を歓迎する宴席が設けられた。
主賓はサイアスら帰境の一行のうち、
任務引継ぎや身辺整理のため原隊たる
鉄騎衆の駐留する城郭側に滞在する
サーティノックズの5名以外。
主催は赤の覇王ただ一人。
これに宴席を切り盛りする従者らが従い、
サイアス一家の滞在する間へとやってきた。
重臣の類を一人も伴わぬのは、一行に余計な
気疲れを起こさせぬための配慮であり、かつ
いかに親身に感じているかの表現でもあった。
「平原の安寧に身を置く者らには深夜でも、
荒野で魔軍と戦うそなたらには真昼に等しい。
ゆえに今この時間にお邪魔させて貰った」
チェルヴェナーはそう言って笑い、一行の
一人一人に手ずからチャイを給仕して回った。
ひんやりとしたアイスチャイだ。
胡桃の剥き実を思わせる淡い乳白色の
チャイからは、甘い香りが仄かにしていた。
「ベオルク殿らには申し訳ないが
乾杯はこれでおこないたい。
可愛らしき英雄もおられるのでな」
薄く笑んでみせるチェルヴェナー。
どうやらベリルへの気遣いらしい。
「何の、それがし甘味には目がありませぬ」
ベリルへの気遣いも嬉しいし、
何より比類なきスイーツ好きである。
ベオルクは至極上機嫌でそう応じた。
「あぁ、そうだったな」
チェルヴェナーは苦笑気味に頷いた。
ベオルクは以前チェルニーの供として
これまでに何度か赤の覇王と面会していた。
ベオルクは荒野の城砦へと至る前は
フェルモリア大王国内でも知らぬ者なき
剣豪であったし、そも覇王が来賓について
予備知識を持っていないはずが無かった。
「娘へのお気遣い感謝致します」
クリシュナの件への返礼ともいうべき
愛娘への気遣いにサイアスらが微笑し会釈。
これに合わせてベリルもペコリ。
覇王の表情は益々柔らかなものとなった。
「英雄諸君。よくぞ無事で
平原まで戻ってきてくれた。
諸君の凱旋を心より祝福する」
自身の分も用意したチェルヴェナーは
穏やかながらも厳かにそう告げ、すいと
小さく器を掲げた。
「一気に飲み干す必要はない。
これから平原で過ごすひと時のように
どうかゆるりと堪能していただきたい」
チェルヴェナーは小さく頷き目を細め、
一行は笑顔で頷き、共にチャイを味わった。
こうしてトーラナでの宴席が始まった。




