サイアスの千日物語 百六十一日目 その十四
程なく一嗅ぎでそれと判る芳香と共に、
2層奥側から台車に土砂の如く満載な
コーヒーのかすが届けられた。
フェルモリア大王国ではチャイと人気を
二分する国民的な飲料、コーヒー。象と同じく
大王国内でも南方の藩国で広く親しまれる。
涼しい高地発祥な大王家では、気候に即して
栽培される茶葉で煎れたチャイを専ら好む。
が、男子に限ってはコーヒー党も多い。
特に砂糖ドバドバミルクどぼどぼ、では
飽き足らず卵に蜂蜜もありったけブチ込んで
最早練り物の如くに変貌した、多様な意味で
最大限な逸品を好む手合いも少なくない。
幸い赤の覇王も夫の第一藩国王な騎士団長も
甘味はスイーツでとる派。チャイもコーヒーも
煎れ立ての澄み渡った状態を好む。自然トーラナ
のコーヒーもほんのりミルクで化粧する程度だ。
もっとも幼少よりこの二人の庇護下にあった
甥っ子な大王の第七王子はというと、最大級に
諸々アリアリでギトギトな逸物を愛飲していた。
「……てっきり一服するのかと思ったら」
どうやら差し入れの類だと思っていたらしい
長官殿。当てが外れて露骨にがっかりした。
「一服してどうするんです?」
と、運ばれてきたコーヒーカスの量や
状態を確認しつつ配下に適宜指示を飛ばし、
「名推理が思い浮かぶかも知れん」
「はぁ、そうですか」
ついでにお困り様な長官殿をあしらう厨房長。
大王国内でも象やコーヒーの原産地とされる
南方の藩国の出であった。
「だのに、これは……」
一方あしらわれるもお構いなく、我道を
ひた走る長官殿。台車一杯のコーヒーカスを
指差しワナワナとその身を震わせ、高ぶりの
極みでグっと拳を握り締め
「敢えて言おう、カスであるとっ!」
とのたまい盛大にオラついた。
厨房長はこれに対し、
ナマズ髭をちょちょいと撫でて
「確かにカスではありますがね。
こいつにゃ色々使い道があるんですよ。
偉い人にはそれが判らんのです」
冷ややかな目でそう言った。
「はっきり言う、気に入らんな!」
「そりゃどうも」
構えば構うほど付け上がるので適当に流し、
ざっくり掴んだコーヒーカスを炭化した蟹、
らしきものの甲殻にぶちまけ、厚手の布を
あてがって、配下と共に擦りだした。
厨房長の出身地である大王国内の南の藩国の
それも庶民層では、煎れ終え役目を終えた
コーヒーカスをそのまま捨てる事はしなかった。
コーヒーカスには高い消臭効果がある事が
知られており、乾燥させたものを小袋に入れて
部屋の隅に置いてみたり、湿ったままのものを
臭いの気になる所に撒いてみたり、と存分に
再利用していたのだった。
膨大な量のカレー粉で汚臭自体は上書きできた。
あれだけの量を以てして相殺が精一杯な事には
驚きを禁じえないが、兎に角一手目としては
上出来といえた。
次は既に炭化し不活性化した、汚臭の原因
そのものを除去したい。それには消臭効果が
高くかつ磨き粉代わりにもなる、さらに申さば
カレー粉同様食品ゆえに万が一甲殻の中身に
染み込んでも問題ない、コーヒーカスが最適だ。
そういう判断であった。
次から次へと余りに突飛な状況なので、
そのうち腹減りを忘れてしまった長官殿が
食い入るように見守る中。
厨房勢や動ける鉄騎衆は厨房長に倣い、
人の背丈の数倍な脚や鋏にコーヒーカスを
塗りたくり、布地で一心不乱にゴシゴシした。
単純、かつやればやるほど成果が瞭然な作業が
楽しそうなのでそのうち長官殿もこれに加わり、
さらに熱中して小一時間。起伏に富んだ炭化物
は次第にこそげ落ち、
「おぉ、これは……」
と感嘆の声がそこかしこで。
焼け出た直後のゴツゴツ振りが嘘のよう。
炭色の表面は磨き上げた鏡面に似て、
艶やかな真紅に光輝いていた。
「焼きしめ磨き上げたのが
功を奏したのかもしれませんな」
厨房長は最高級の珊瑚にも似た麗しき
真紅の輝きを放つ、甲殻を軽く爪弾いた。
キィイン……
金属或いは極度に硬い陶器の如き
涼やかかな音が余韻を作った。




