サイアスの千日物語 百六十一日目 その六
高度100オッピの見晴らしとは
一言で言えば絶景だ。
全方位がとめどなくどこまでも開け渡り、
その末端は心なしか丸みを帯びて見えた。
西を見やれば大湿原の彼方で中央城砦が佇み
東を見やれば聳え立つくろがねの壁の裏で
トーラナの城郭が露となっている。
北東の彼方にはアウクシリウムらしき影も。
流石に故郷ラインシュタットは見えないが
ライン川らしき光の帯が時折地平線に
混じっている気がした。
かつてセラエノに中央城砦上空を遊覧飛行
して貰った事のあるベリルだが、城砦近郊は
基本的に会戦に適した平地が多い。
地表の様相が変化に富むこの辺りの空は
二度目ながら一度目以上に衝撃的だった。
お陰ですっかり景色に夢中で、その気配に
シヴァもまたどこか得意げだったが、何やら
背後がややこしい感じだ。
ほんのり横目で振り返るシヴァともども、
やれやれと呆れる風であった。
「どういう事か説明して頂戴」
魔術の飛翔は翼に因らぬ。
ゆえに気力が尽きれば落ちる。
上空100オッピから落ちれば
痛い目に合うどころでは済まぬ話だ。
だがサイアス同様異様なまでに落ち着いた、
ただし余裕をカマすサイアスには割とイラっと
きたらしき、ニティヤはピシャリとそう告げた。
「ひぁ、へぃふぃへぅんひゃぁふへぇ?」
とサイアス。脱力感満載であった。
「ちゃんとしゃべりなさい」
イラっと感増し増しのニティヤ。もっとも
「ほっへひっはぅぉひゃへぇ」
との事だ。流石に致し方ないところか。
「虚空のソレアによる飛翔とは魔術の履行に
他ならない。魔術の発現には魔力と魔術技能
が深く関わっている。具体的には」
「状況が判っているの? 手短になさい」
「お得ぽい」
「手短過ぎる。やり直し」
「」
なんだか懐かしいやり取りに
サイアスは二の句を継げぬ感であった。
サイアスにせよニティヤにせよ、今そこに在る
らしき危機的な状況をまるで顧みる気配がない。
つまるところ、逆説として、危機的な状況では
ないのだろう。なぁんだじゃぁいいや、と早速
ベリルは説明とやらを聞き流す事にした。
シヴァも同様の判断らしく、とりあえず適当で
良いか、と高度を維持したままプラプラした。
「虚空のソレアという魔術は気力消耗の
基本値が5なんだ。これを魔力で割った
値が使用時に実際の消耗値になる。
これがまずは一点目」
とりあえずニティヤを納得させねば
この状況は変わらない。そのため結局
サイアスは説明に戻った。
魔術とその履行については騎士団でも特級な
機密の類だ。ベリルとしてもサイアスの語る
内容に興味はあった。
だが。今は。それよりも。
先刻自身のすぐ手前なシヴァの首鎧の背に
に忽然と顕現した魔法の地図に、意識と
興味とを全力で引っ張られていた。
「魔術の効果は魔術技能で倍増する。
魔術技能値が2ならば、1秒分の消耗値で
2秒履行できるという事だね。これが二点目。
三点目。シヴァは魔力と魔術の素養を持つ。
自身のみの力で飛べるのかは判らないけれど
私と一緒に飛ぶ際は魔具な鞍のお陰で人馬の
数値が合算されているらしい。
これは以前の飛行試験で判明した事だね。
お陰で私がシヴァを駆る際の魔力は15。
魔術技能は5という扱いになる」
サイアスの知力は実に15。
平原4億の人のうちでも上位2割に含まれる。
軍師の目をも有しているため即興でも説明は
極めて理路整然としており、何より声が美しい。
お陰でニティヤは説明を聞くより詩吟を聴く
心地であり、そこはかとなく機嫌も直った。
一方ベリルは地図に夢中だ。
中空に浮いてまるで厚みなく影もない。
輝く水面、或いは光の膜といった具合だ。
そこに色彩豊かに地図が在り、時折水底から
水泡が湧き上がるようにして数値や文字が
現れて暫しの後かき消える。
その在り様は水のよう。
サイアスと同じ感想を抱いたベリルは
手指をおっかなびっくり地図へと伸ばし、
伸ばしては慌てて引っ込め、と遊びだした。
「これら三点を総合すると、虚空のソレアを
用いた飛翔による1分当たりの気力消耗は4。
鞍の七宝に蓄積された気力の残りは20。
飛翔時間はそろそろ4分になる。なら気力は
16消耗され、七宝的には残り一つが弱めに
光っている、そういう状態であるはず。
しかし実際には10しか減っていない。
なのでおかしいと言う話さ」
こうしてサイアスは一通り説明し終え、
合点の言ったニティヤはとりあえず頷いた。
「成程……
不思議な事もあるものね」
「そうだね」
一方魔法の地図をつんつくしていた
ベリルは何やらカサカサと。
「原因は判るの?」
「今探るのは難しいかな」
両親の相談をまったく無視し、
何やらカサカサと熱中していた。
「それもそうね……
まぁお得な話という事なら
不思議でも何でも別に良いわ」
「確かに」
畢竟魔術は人智の外。
認知の埒外の事象なのだ。
判らぬままでも使えるなら良し。
そういう判断は蓋し正解と言えた。
「ところで」
「ふむ」
会話に熱中していたニティヤとサイアスは
上空より臨む絶景に歓声を上げていたはずの
愛娘ベリルがいつの間にやら黙りこくり、
俯いている様に気付いた。
もぞもぞしているから眠ってはいない。
どうやら前方下方の何かに夢中だ。
ベリルの前方下方にあるものと言えば、
と両親が気付き覗き込んでみると。
「……」
「……」
「……あっ」
ベリルはバレた事に気付いた。
「原因、判ったわね……」
「何て事だ。いつの間に」
驚くやら呆れるやら絶句する
ニティヤとサイアス。
ベリルの前方下方に在る
水面によく似た光の膜。
魔術により顕現した概念物質。
魔宝たる魔法の地図のその表面には、
何時の間にやら落書きが上書きされていた。
それは翼の生えた白猫の絵だ。
白猫はどこか得意げな、ささやかな
笑みを浮かべており、傍らには
お父さん、と書かれていた。
うっかりトラブると困るので
一応著作権の記載をば……
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