サイアスの千日物語 三十二日目 その三十四
のんびりと、うとうとしつつも湯浴みを済ませ、
支給された平服に着替えたサイアスは洗面所を出て応接室へと入った。
応接室にはいつの間にやらデネブがおり、
サイアスのブーツや手袋を乾拭きしていた。
サイアスは自室にデネブがいることには特に驚かず、
「自分でやるから良いよ?」
といつもの調子でデネブに話しかけた。
かつて住んでいた州都イニティウムの邸宅しかり、
城砦領の開拓村であるラインドルフの屋敷しかり、
使用人等、人の出入りが多い環境で育ったため、
自室に人がいることに特段の抵抗がなかったのだった。
デネブは相変わらず大兜に板金鎧のまま、器用に小手の指を動かして
サイアスの装備の汚れを落とし、元あった場所に並べていた。
丁度サイアスが出てきた折に、最後の一つが済んだようだった。
「すっかり綺麗だね。ありがとう」
サイアスは率直な感想と礼を述べた。デネブはコクコクと頷いた。
「何か用件が…… っと、そうだった」
デネブに話しかけたサイアスは、慌てて書斎兼寝室へと向かい、
日記帳らしき白紙の帳面と筆記具を取ってきた。
「筆談用の備品、渡していなかったね…… 申し訳ない」
デネブはそれらを受け取ると、流麗な筆致でありがとう、と書いた。
古代文字である点を除いても、相当水準の高い教育を受けてきたのだと
思わせる所作だった。
「デネブの装備の手入れ、手伝おうか?」
(大丈夫、済んでいます)
デネブはそう書いて答えた。鎧も兜も、
背中から爪先に至るまで十二分に整備が行き届いているようだった。
「そう。じゃあ一緒に食事に行く?」
デネブは左右に首を振った。さらに、用件が済んだと思われるものの、
デネブは一向に部屋から出て行くそぶりを見せなかった。
「……デネブ?」
サイアスは首を傾げつつデネブを見やった。
(ここが良いです)
デネブはそう書いて示した。
「ここって、この応接室のことかな」
デネブはコクリと頷いた。兵士長の居室にある簡易の応接室は、
デネブにあてがわれた二人部屋より狭く、寝台もない。
こちらを好む理由がイマイチ見えないサイアスであったが、
「判った。好きにしてくれていいよ。
そこのソファーで寝られるといいけど」
と、特に拘らずあっさりと受け入れた。
書斎兼寝室への扉の脇にはゆったりとした大きさのソファーがあり、
その脇には食器棚と食品庫が設置されていた。
寝心地が良いかどうかは不明だが、当人がそれでいいなら良いのだろう
との判断で、サイアスは応諾することにした。
「飲み物や保存食、多少なら入っているので自由に飲んで食べてね。
じゃあちょっと私は食事に出てくるよ。 ……それと」
サイアスはデネブにやや微笑を浮かべて言った。
「もし私がいない間に隣室で気配がしても、そっとしておいて」
サイアスは一旦隣室に戻り、毛布一枚を腕に掛け、
ベルトに繚星と小袋を帯びて応接室へと出てきた。
「行ってくるよ。楽にしていて」
サイアスは毛布を手渡しそう告げると、居室を出て食堂へと向かった。
デネブはサイアスを見送ると、兜も鎧もそのままにソファーへ腰掛け、
毛布を外套のように羽織って、そのまま微動だにしなくなった。
食堂に入ったサイアスをロイエと厨房長が出迎えた。
「サイアス。あんたのんびりしてるわねー。
私はとっくに食べ終わったわよ」
ロイエはそう言って手を出してきた。
どうやらデザートにカエリアの実を寄越せという意味らしかった。
「はいはい。お待たせ様」
サイアスはそう言うとロイエの手にカエリアの実を二つ乗せた。
ロイエは一つを厨房長へと渡した。
「おや坊ちゃん。悪いねぇ私まで」
厨房長は笑顔でそう言うと、ロイエと共にカエリアの実を味わっていた。
ロイエと厨房長は娘と母ほどの年齢差があった。そしてお互いそういう
意識で接しているのか、短時間のうちに随分親密になっているようだった。
「女将さんにここのこと色々聞いてたのよ。
今女性兵士少ないみたいだしねー」
現状第四戦隊に所属する女性は、騎士マナサ及びマナサと共に異動して
きた2名の配下を含め、10に満たない数であった。
もっとも第四戦隊自体の員数が現状30名以下であるため、
他戦隊と比して割合が低いということではなかった。
「お嬢ちゃんに不便がないよう、なるたけ世話を焼かせて貰うよ」
女将さんにお嬢ちゃんか、確かにそんな感じだな、
などと感想を抱きつつ、サイアスは話し込む二人から離れて
カウンターへと向かい、自分の食事を注文した。
今夜の食事は小麦粉をこねて短い筒状にしたものに
煮込んだ野菜や肉を絡め、味の濃いソースをたっぷり掛けて
香草を加え焼き上げたものと、醗酵乳と果実酒とを合わせて
冷やしたらしい、やや酸味のある飲み物だった。
サイアスはカウンターから手近な席に着こうとしたが、
全力で手招きするロイエと厨房長に折れ、
そちらで食事することにした。




