サイアスの千日物語 百六十一日目 その五
馬の積載能力は、大の大人が二人半だ。
軍馬には武装した兵士が乗る。武装した
屈強な兵士の重みは大の大人二人分近い。
よって軍馬は一人乗りが常だった。
もっともサイアスは小柄で華奢で軽装だ。
ニティヤやベリルの重みを足しても
武装したデレクやベオルクと大差ない。
よって勢い三人で乗る事が俊馬たる名馬
シヴァの足並みを鈍らせる事はなかった。
もっとも師範級な馬術の錬達者と人馬一体で
戦場を飛び交うのと行楽気味の親子連れを
乗せ暢気に宙を闊歩するのとでは足運びを
随分変えねばならない。
サイアスは自身が馬を駆る際、大まかな
指示のみ伝えた後は馬の好きにさせていた。
此度も首鎧を撫で宜しくと笑むのみ。
なのでシヴァは常どおり好きにした。
サイアス一人なら滝登りの如く荒っぽい
急上昇も平気だが、流石に今それをやるのは
頂けぬとて、シヴァは随分と積荷に気を遣った。
そこでシヴァは背を極力地と並行に保つべく
九十九折の山道を峠目掛けて歩むが如く飛翔。
徐々に高まり広がる荒野の景色に、サイアスに
抱えられたベリルは目を丸くし歓声を上げた。
まずは地表高さ4オッピ。
中央城砦の外郭防壁のうち、機械仕掛けの
三重の城門や四隅な一角と同高度に駆け上った。
そこから折り返してさらに4オッピ上昇。
支城ビフレストの物見塔の頂上高に迫った。
地上で振り仰ぐ人馬が徐々に点景へと近付く。
ただこの高さでは地表に立つのと景観以外の
変化が見られなかった。
シヴァはさらに一往復。
合計で地表高16オッピにまで至った。
中央城砦で言えば本城の中層のど真ん中だ。
対魔軍決戦兵器である火竜のうち、本城分、
4方4器ずつな16器が展開される辺りだ。
高所より打ち下ろす事により、本城の火竜群は
中央城砦のある高台とその近郊を全て効力射程
圏内に収めている。
城砦近郊に魔軍として飛来するズーらの
平時の限界高度は3から4オッピなため、
火竜の存在は大いに脅威として機能していた。
もっともズーらも率いる者次第では四角錘を
した本城の斜面を利用して本来は届かぬ
火竜の設置場所まで電撃してくる事はあった。
地表高16オッピな荒野の空は随分と肌寒い。
時折吹き付ける風も地表のものより野放図で
岸壁に打ち寄せる波濤の如く力強かった。
仮に翼を有していたならば、この風に乗り
空を気ままに泳げもしよう。だがシヴァの
飛翔は魔術によるものだ。風は単に邪魔者
でしかなかった。
とまれこの辺りでも取り立てて特別な事はない。
ごくありふれた――そういう感想を抱ける者は
恐ろしく限定されているが――常の空だった。
自身の背に乗る愛しき主らはこの散策をいたく
気に入り、歓声を上げ時には自身を励まし
労いの言葉を掛けてもくれる。
無論普段から十二分の愛情を受けてはいるが
それはピリピリとした戦地の只中での事だ。
安全が大きく保障された空を往くとなると
楽しさもまた一入であった。
よってシヴァは気分をよくしてさらに1往復、
2往復。実に地表高32オッピに至り、なおも
姿なき羽を伸ばすが如く2往復。遂には地表高
50オッピ程に至った。
ここまで来ると中央城砦本城の天頂部より高い。
シヴァ自身数えるほどしか経験のない高さだ。
そしてこの高度では大抵の場合、大物異形と
出くわしてもいた。
そんな記憶がシヴァの心に聊かの警戒心を
生じさせ、これは主たるサイアスも同様だ。
シヴァは参謀長たるセラエノと同様に他者の
思考を読み取り得る。専ら魔力絡みな所以だが、
主な上魔法生物と意思疎通のできる高魔力者な
サイアスとの間では、最早以心伝心の域に近い。
自然これ以上の上昇には慎重となった。
が、それで此度はこれまでと大人しく自重して
見せる程、人馬共可愛らしい性格はしていない。
「この先の高度へ至るのは稀だ。
一応油断はしないようにね」
と一声妻子に掛けたのみで平然と。
至極平然とさらに進む事数分。遂には
地表高100オッピへと至った。
無理無茶無謀を絵に描いたような
実に美々しくふてぶてしき人馬一体だが
揃って非凡なる叡智の持ち主でもある。
未知の状況に興奮し浮かれる風でいて、
きっちり冷静に諸々の計算は尽くしていた。
サイアスは左手でベリルを抱え、その手指には
滅多に用いぬ手綱を何気なく引っ掛けたまま、
右手でシヴァの首鎧の背へと、昨夜と同様に
魔法の地図を顕現させた。
中央塔指令室の闇夜色の壁面に現れる画像の
類とは異なって、日中昼日中にあっても地図は
自ずから発光して瞭然と色彩豊かにそこに在る。
目と鼻の先に現れた地図にベリルは
ひゃあ、と驚きの声を上げ、ん? と
サイアスの肩ごしにニティヤが覗き込んだ。
「先日参謀長に貰ったんだよ。
綺麗な上に便利なのでお気に入り」
凡そ人智の外なる魔術的事象に対して
サイアスの抱く感想とはその程度のものだ。
だからこそ意思を持つ事もあるとされる魔具の
側でも付き合い仕え易いのかも知れなかった。
魔宝である魔法の地図は虚空のソレアと同様に
本来的には概念物質であり魔術の術式そのものだ。
虚空のソレア同様サイアスの身の内に取り込まれ
一体化したものであり、内部的に同期していた。
ゆえに地図上には虚空のソレアに関わる諸々の
情報も表示させ得、既にサイアスは成功していた。
そしてサイアスは地図の片隅に表示された
飛翔に関わる諸数値を。次いで鞍の縁に
具わった七宝の状況を見て
「ん……?
気力消耗の計算が合わない……」
小首を傾げ、ボソリと呟いた。
サイアスらの飛翔は魔術に因る。
魔術には気力を消耗する。ゆえに
気力消耗の如何は飛翔限界に関わる。
その計算が合わぬ。
それも上空100オッピで。
恐るべきに過ぎる事態であった。
もっとも死をも殺し得る暗殺者。
美姫ニティヤは特段慌てた風もなく
「とんでもない事を言い出すわね」
と言い、
「とんでる最中に悪いね」
「怒るわよ?」
余りにもしれっとし過ぎな
サイアスの頬を引っ張った。




