サイアスの千日物語 百六十一日目 その三
北往路のうち第二基地より東手は現状工兵らの
往来が頻りなため、一行は馬足を随分と落とし
邪魔にならぬよう、護衛も兼ねる格好で進んだ。
第一基地より500オッピも進むと随分視界も
広々としてくる。そんな中でとりわけ際立つのが
「あれが……」
とサイアスが見上げる北東の彼方。
荒野南方の断崖もかくやな
鈍色をした人口の尾根。
「うむ。北城砦だ」
そう、ベオルクが頷いてみせる通り。
人の住まう平原と異形の巣食う荒野の
狭間を分かつ本来の最終防衛ラインである、
西域守護城砦3城の1つ。北城砦であった。
荒野東域の北方を東西に流れる大河。
いわゆる北方河川はその源流を遥か北東、
霊峰山脈の裾野な高原である湖水地方に有して
おり、同地から徐々に川幅を増して南南西へと
下って荒野と平原の狭間で大きく西へ。
以降は東域中央にでんと横たわる大湿原の
北方を併走し、さらに西の彼方へと続く。
大きく西へと折れる一帯は東手が高地へと
続く岩なりな上りの浅い断層となっていて、
荒野と平原とを物理的に隔てている。
この地勢を最大限に利し、北方河川の東岸を
そっくりそのまま巨大な防壁へと作り変え
北方河川を壮大な水掘りとして魔軍の侵攻を
阻むのが北城砦だ。
下方は断崖、半ばから上は鉄塊。
そういう強引かつ合理的な、水面より7オッピ
はある垂直な壁の上部や東手には、矢に岩
さらには丸太に煮えた油など西へと何でも
雨あられと降らせる攻城兵器が満載だ。
荒野東域に棲息する、現状知られている
異形らの中には、川面より垂直高7オッピを
よじ登って攻め入る固体は存在していない。
少なくとも北城砦が建設されてより今日までの
150年余でそうした固体の出現例は無かった。
もっとも、少なくとも城砦騎士団では
この常識が最早通用しない事を知っていた。
先のアイーダ作戦における野戦で奸智公が
用いて見せた恐るべき、馬鹿馬鹿しい程に
恐るべき「超縦長」。
あの発想で仕掛けてこられたら
これまでの人の常識なぞあっさり覆る。
荒野では凡そ在り得ぬ事など無いと言えた。
いずれにせよこれまでの戦歴と常識では
金城湯池たる北城砦への魔軍の侵攻は無かった。
さらに過日、城砦騎士団が中央城砦の北方領域
を制圧し所領と成した事により、北往路自体の
安全度も増し益々北城砦への魔軍侵攻の
蓋然性は減少していた。
つまりは退魔の楔作戦が発動されて以降、
北城砦における対魔軍戦闘は一切起きては
いなかった。精々野良の水の眷属なりズー
なりがふらりと姿を見せる程度だ。
近似しての戦闘がけして発生しない前提で
あれば、恐怖判定に失敗し一時的な心身の
麻痺をきたしたとて、物理的、時間的に
回復のための余裕が約束されている。
安全圏から遠巻きに極少数を眺める分には
人の側にも余裕はあるのだ。もっともそれで
莫大な戦闘経験を得られる事もないのだが。
とまれそうした事由により、北城砦に詰める
のは、対異形戦闘のできぬ平原基準の兵で良い。
よって西方諸国連合軍が同城砦を管轄し、
西方諸国に所属する常備軍を有する国家から
一般兵が持ち回りで派遣され、適宜同地の
守備を担っていた。
流石に将官が異形に疎くては務まらぬので、
連合軍本部のあるアウクシリウムより、引退
した城砦騎士団関係者が派遣されてくる事も。
また北城砦の東手には城砦騎士団の実質的な
王位であるブーク公爵の所領、ブークブルグが
存在している。
そのためブークが入砦して以降同城の物資管理
や運営面については中央城砦と同様にブークと
その家中が中心となって担っていた。
そのため北城砦はブークブルグの
西の国境と呼ばれる事も少なくはなかった。
初夏に平原の所領を発って当時の駐留騎士団
であったカエリア王立騎士団の担う物資輸送の
部隊と共に中央城砦を目指したサイアス。
その際輸送部隊は魔軍による妨害工作ゆえに
常々用いる北往路ではなく、大湿原と南方の
断崖絶壁の狭間である南往路を用いた。
そのためサイアスが北往路から北東を臨み
こうして北城砦を見やるのは初めての事だった。
魔軍を誘引する餌箱としての要件に因り
異形がぎりぎり越えられるか否かを狙った
中央城砦の外郭防壁は高さ3から4オッピだ。
一方で北城砦の防壁は7オッピ前後。
南往路で馬車から見上げた断崖よりは幾分
低そうな気はするが、それでも呆れる程高い。
攻め入る気すら起こさせぬ、本来的な防壁だ。
先の合同作戦で南往路を塞いだという防壁も
これに近いものなのだろうか、とサイアスは
思惟に耽りつつ徐々に視線を南へと。
往く手である東へと戻し、さらに一層南へと
向けた。すると大湿原外延部の潅木の奥。
見上げた未だ数千オッピ先の彼方には、
北城砦に負けず劣らずの威容を誇る
くろがねの壁が見え隠れしていた。
昨夜はもっと近くで見ても地表を象る
影絵の一部でしかなかった。だが明るい
時分であれば、この距離でもはっきり見える。
そしてやはり、随分大きい。
そうした印象を抱て眺めるその防壁。
それこそ一行が目指す目的地であり、現状
騎士団領最西端。すなわち平原最西端の拠点。
西方諸国連合軍所属、軍事拠点トーラナだった。
1オッピ≒4メートル




