サイアスの千日物語 百六十日目 その三十三
人界を遠く離れた異形の棲み処、荒野
その荒野で暗き虚空より唐突に
手紙がぽこぺんと降って来た。
信じる、信じないという話ではない。
荒野は在りとあらゆる在り得ない事が
起こる人の常識ではけして計り知れぬ地だ。
だが、嗚呼だがしかし。
手紙とは人の常識が生み出した物だ。
どうせ降るなら血の雨だの何だのともっと
荒野向きのシロモノがあろうに、何で態々手紙
なのかとマジギレしてみたくもなろうものだが、
降って来たものは仕方ない。
ましてやそれを申し訳なさげに報じる先手の長
に当たり散らすなど言語道断というか手紙の主
が身内なだけにむしろ申し訳ない風なデレク。
常識と非常識のめくるめくカクテルに
眩暈を覚えつつデレクは文面を検めた。
おっそろしく整った筆致には見覚えがある。
サイアスが書いたもので間違いなさげだ。
記載は簡潔かつ過不足なく2文のみ。
『北往路第二基地にて未知の大型種と戦闘中。
戦後処理のため北往路第一基地へ進まれたし』
あとは署名と紋章印。本文以外は
事前に用意されていたものらしかった。
逆に言えば本文は飛翔真っ最中に書かれた
ものらしい。にもかかわらず異様なまでに
整っている筆致にサイアスらしさを感じ
小さく苦笑するデレクだった。
手紙は近衛隊が待機位置に到着し布陣を固めて
暫くした頃。午後6時丁度に一切何の前触れも
なく兵士の頭をぽこぺんしたと言う。
内容を確認しほんのり混乱。されど署名も
紋章も正真のものゆえ無視するわけにもいかず、
とりあえずトーラナへと事情を通信し北往路へ
向け進軍開始したのがほぼ5分後。
書状は対異形戦闘を命じるものではなかった事。
また現場が第二基地なため、手前な第一基地は
むしろ安全に違いないと踏んだ事から近衛隊は
100名揃って武装したまま戦闘速度にて。
実に分速150オッピで爆走した。
元々近衛隊は俊足揃いらしく、兜に
あしらわれた孔雀の羽飾りはシェドの
異名と起源が同じだ。
またたとえ単なる事後処理であっても万が一
間に合わず役にも立てずとなったりしたら
帰還次第赤っ恥とて赤の覇王が直々に首を
はねてまわるため、文字通り必死でもあった。
そうして第一基地へと到着したのが7分後、
つまりは午後6時12分前後との事だ。
その後サイアスより諸々の説明を受けて
第一基地の一部を運搬用に解体した。
元々北往路の基地は、輸送部隊に随行する工兵
が細かく区画分けして少しずつ組み立てていく
形で築かれており、逆説的に区画単位での
細かい解体もまた容易であった。
また往路内最東端、つまりトーラナより最も
近いがゆえに物資を運び易い位置にある
第一基地には第二以降の基地を増強するための
資材が常備されても居た。
サイアスは日中の行軍で立ち寄った、より西手の
基地にて壁や柱にそうした施工状況が記載された
張り紙があるのを目にしており、近衛隊が着く頃
には一通り指示を纏め書き出し終えていた。
よって速やかに伝達が済み作業が開始され、
第一基地の警護に30名残して第二基地目指し
基地を山車に練り歩きを開始したのが午後7時。
そういう次第であった。
「成程なー。
すると説明がつかないのは
空から降って沸いた書状だけか」
とデレク。
後の事は全て言わば人智の内なる事柄だ。
異様に手際が良い事を除けば人の理屈で
全て説明が着く。ゆえに問題がない。
「ならいーや。
気にしても仕方ない。
結果オーライって事だな」
幾ら考えても判りそうにないし
判らなくても特に何ら支障がない。
なら気にしなくても問題ない、と
デレクはあっさり割り切った。
「はぁ」
と気のない返事の先手の長。未だ狐狸妖怪に、
否、地獄のねんねこにゃーに絶賛化かされ中
な心持ちであった。
「不思議体験できてよかったろ。
荒野七不思議くらいに思っとけー」
とデレク。
と、唐突に前方を練り歩く
近衛兵らの足が止まった。
「ん、どうした…… っと?」
片手に松明、片手に書状と手綱を用いず
名馬を駆るデレクは、自身と先手の長の前を
往く9名が一斉に一声呻き、不意に殴り付け
られたが如く身を屈めるように怯み後方へと
顔を背ける様を目撃。
かつ自身の駆る愛馬にして名馬フレックも
また唐突にいななき首を背け、結果大きく
揺れたため驚いた。
荒野の戦場で欠片も怖じぬフレックがかくも
露骨に怯むその様の余りの意外さに目を丸く
したデレクは、直ぐに自身もまた他と同様
「ッ、グワァッ!?」
と呻いて身をよじり、ついでに馬首を翻して
後方、基地の山車な数十名の背後へと逃げた。
一方その頃、第二基地跡地。
東手よりゆるゆると練り歩き来る
祭りの山車な近衛隊を待ち草臥れて
欠伸なぞかみ殺していた一行の幹部らは。
既に100オッピ程に迫り肉眼でもそれと
はっきり判る先手の兵らがものっそい勢いで、
恐らく鬼の形相で、腕がもげんばかりに松明を
振り回し、何やら伝えようとしている様を目撃。
「……? 何だアレは」
だごん汁の残りを啜り、或いは干した魚の
端切れを齧ってついでに茶などしばいていた
ベオルクは胡乱気に声を上げた。
「何か訴えてはいるようですが。
連合軍制式の手信号や光通信ではありません」
恐らく必死すぎてフェルモリア大王国軍、
或いは第一藩国イェデン軍の内々の通信を
繰り出しているのだろう。
だが城砦騎士団は西方諸国連合軍隷下。
すんなり通じるのは騎士団と連合軍で
制式採用されている様式のものだけだった。
「緊急を要するのでは」
「行軍は停止していますね」
ディードとクリンが手短に応答し、
背後ではデネブが連合軍標準の光信号を
用いて疎通を試みていた。
ややあって、
「後退しましたね」
「……」
クリンの言にベオルクが呆れ片眉をあげた。
と、ようやく幾らか落ち着いたものか、
東手の一隊より光通信が入った。様式は
一行に最も馴染みのある城砦騎士団の仕様だ。
第四戦隊は総員城砦兵士長の階級にある。
兵士長は指揮官教育を受けており、少なくとも
騎士団仕様の光通信には習熟しているため
デネブの翻訳を待たずとも内容は明らかだった。
光通信の内容は以下の通り。
「臭い、無理。デレク」
どうやらもっとも東手に安置した上で南北を
馬車で囲ったため、北往路を西から東へと
吹き荒ぶ寒風が篝火や焚き火で随分暖まって
結果として生温さを伴いつつ吹きつける、蟹、
らしきものの放つ大湿原の芳醇極まる悪臭に
悶絶してしまったらしい。
一行の幹部一同は顔を合わせ大笑いして、
東手の馬車の配置を変えるよう通達した。
1オッピ≒4メートル




