サイアスの千日物語 百六十日目 その三十二
さらに10分後。
目指すべき地との連絡が取れて進路や
周辺状況への警戒度合いを下げた結果か、
東より迫る一隊はその歩速をやや上げた。
結果としてベオルクら一行の待ち受ける
地点から東手200オッピ程にまで来ていた。
100年来平原と荒野の中央城砦とを
繋ぐ主要な輸送路である北往路は総じて
直線的で、往路内には目立った起伏もない。
そのため200オッピの距離ならば
夜間であってもはっきり見通せる。
徐々に露となってきた一隊の全容は
確かにラーズの言の通りの有様で、
待ちうけ見守る一行はこめかみを
押さえるやら嘆息するやら。
一言で言えば呆れ返っていた。
光通信では何かともどかしく埒が空かぬとて
ベオルクはデレクを一隊へと差し向けた。
ロイエより返却された愛馬にして名馬フレック
の目付きはどことなく冷たい感じであった。
が、デレクはめげずなだめてそそくさと東へ。
トーラナの主力は赤の覇王の手勢。
つまりはフェルモリア大王国の兵だ。
連合軍制式となる共通語での光通信よりも
母語で直接やり取りした方が何かと捗る。
人選にはそういう意図も含んでいた。
「やー諸君ご苦労さん。
何を拗らせたらこうなった?」
10数秒ほどで先手10名の下へと駆け付け、
自身も馬上で松明を掲げて加わったデレクは
孔雀の羽飾り付きな兜へと問うた。
瞥見したところ、先手と殿の各10名のみ
完全武装で残りは鎧すら纏っていない。
代わりに基地を担ぐ40名の後方に、資材だけ
でなく装備を専門に運ぶ10名も見つかった。
赤の覇王が一行の出迎えのために出した
近衛兵は100名。うち70名がこの
非常識極まる行軍に参加していた。
「正直なところ、我々もよく判っては
おりません。何やら夢見心地というか、
今でも半信半疑と申しますか……」
先手の長と思しき近衛兵は
小さく首を振り深く嘆息した。
「ほー?
『ねんねこにゃー』?」
今や城砦中で知らぬ者は無いサイアスの
魔性の魅惑なにゃーにゃー語でメロメロに
でもされたか、とデレクは察し問うた。
もっとも問いとして余りに色々省略し過ぎだ。
これでは流石に幾ら何でも伝わりそうもない。
だが哀しいかな、彼らもまたフェルモリアの
呪われた血を宿しし者たちだ。ノリでバッチリ
伝わるのであり、ゆえにベオルクはデレクを
送り付けたのであった。
「はぁ、確かに第一基地へと到着し
辺境伯閣下にお会いしてからは
ねんねこにゃーですが……」
と先手の長。
ばっちりシンクロできていた。
「ふむ?」
と鷹揚に返しおどけた風のデレク。
だがその眼差しは欠片も笑んではおらず、
先手の長の言を脳裏で怜悧に精査していた。
この者曰く、
・サイアスに会ったのは第一基地に到着後
であり、言い換えれば
・サイアスとは北往路内で出会った
のであって、つまり
・サイアスは近衛兵らが待機していた
数千オッピ先の現場へは出向いていない
という事になる。要は
・サイアスは救援に出向いていない
という事だ。
「待機中異形の襲撃はなかったのか?
ってかそもそも何で往路に入ってきた?」
鷹揚な仮面を被る余裕が失せたか、
デレクは単刀直入に核心を問うた。
サイアスは何らかの事由により数千オッピ先
で待機していた近衛隊への救援を放棄している。
救援を放棄された近衛隊100名がかくも
揃って存命なのは、異形の襲撃そのものが
なかったからと見るべきで、勿論それは
それで大変に結構な事だ。
だが。
では何故彼らは北往路へと侵入したか。
まぁ、仮に侵入目的が一行の
救援であったと仮定せよ。
では何故一行が大形異形の襲撃を
受けている事を知ったのだ?
そこがまるで判らない。
一行が大形異形に関してトーラナへと
報せたのは戦闘状況終了後暫くしてからだ。
つまり大形異形に襲撃されているまさに
その最中には、数千オッピ先で待機していた
近衛隊にも、そのさらに東の拠点トーラナにも
大形異形の襲撃について知る術はないはずだ。
にもかかわらず。
近衛隊は大形異形との邂逅後、少なくとも
狼煙や光通信を送る1時間以上前には往路
へと動き出しているべき進捗で迫っている。
何故か?
誰かが命じたからだろう。
それはサイアスなのだろう。
ではいつ、どうやって?
如何にしてサイアスは数千オッピ先で
待機する近衛隊100名へと最速の時宜で
――自身で向かうより遥かに早く――
そのように命じ得たのか。
鷹揚な挙措の背後に怜悧な眼差しを隠すのが
普段のデレクだが、今は完全に逆転していた。
絶対強者たる城砦騎士の放つ威圧感に
怯みつつもそこは赤の覇王の近衛。
戸惑いつつも過不足なく応じた。
もっとも戸惑いは応答の内容にあるようだ。
「実は、その……
不意に空から書状が
降って参りまして……」
かような答弁をせねばならぬ事を
いたく申し訳なく感じているらしく、
先手の長は切れ切れにそう告げた。
「何だ、と……」
差し出された書状、そこに押印された
ラインシュタット辺境伯の紋章を
マジマジと見つめ、デレクは絶句した。




