サイアスの千日物語 百六十日目 その三十一
それからおよそ10分後。
既に件の赤光の群れがさらなる敵襲でなく
サイアスの率いる一隊であると判明した事で、
一行は警戒の対象を周辺領域よりの奇襲へと
移し、東からゆるゆる迫るそれらを待ち受けた。
歩速は予測を超えて遅く、分速8オッピ強。
東方諸国の文物でいう牛車の歩みというやつだ。
夜の荒野を最大限に警戒しつつなのは判る。
判るがそれでも遅すぎるのではないか。
発見時点で概ね800、現状500という所。
夜間の視界では遠眼鏡を用いても光点以外は
未だ判然とせぬ。が、ラーズには瞭然で、
「ぬぉっ!? こぃつぁ……」
と目に見えて慌てふためいた。
「どうした。何が見える?」
一斉にラーズへと向き直る顔のうち
ベオルクのそれが総意を代弁した。
「ちょいとお待ちを。
自分の目が信じられねぇんで」
とラーズは深呼吸を一つ。
さらにじっと遠望した。
「間違いねぇな……」
疑念を、というよりむしろ目撃した
モノを否定したげに首を振るラーズ。
「まぁ、実も蓋もなくぶっちゃけちまうと
あれぁ基地。基地が歩いて来てますぜ」
「!?」
その場の全てがラーズ同様
自身の目や耳を疑った。
そして日没直後の影絵の世界で邂逅し、
短くも苛烈な激闘を以て制した件の
大形異形を想起せずにはいられなかった。
かの大形異形も実際は扁平な横長で、
その上に根こそぎぶった切った当地の
仮設基地を担ぎ、巨大な山影を表していた。
その様は基地に足が生えたようなものだった。
大形異形は基地を抱えてその場より動かず
じっとしていたが、今東手に見えるそれは
基地に生えた足が動いて着実に、牛車の歩み
ながらも着実に当地へと迫っているという。
荒野は凡そ人智の外なる世界だ。
だが今当地に迫るそれは人智の外なる
荒野においても飛びきり異質な何物かだ。
その場の皆がそう感じざるを得なかった。
そしてそれを率いているのが
身内なサイアスその人であると言う。
狐につままれたような、
狸に化かされたような。
猫に誑かされたような、
そんな気が、していた。
一行の動揺を他所に件の基地、
らしきものは着実に当地へと迫っている。
もっとも牛車の歩みであり、近侍するまでに
一行が冷静さを取り戻す機会は未だ十分あった。
「先手に松明を手にした10名。
これが最初に見えてたヤツです。
んでその後方に建物にしか見えねぇ
ブツを担いだ連中が続いてます。
数は…… ふむ、4、50てとこか。
その後方にも松明を手にした10名。
ただこっちの松明の灯りは手前の建物ぽい
シロモンで時折塞がれ見え隠れしてますな」
とラーズ。
詳細が取れるにつれ落ち着いてきた風だ。
「ラーズよ。
『建物ぽいシロモン』
とやらについて詳細に頼む」
とベオルク。
こちらも同様ではあるがにゃんこに
誑かされた感に不服があるようだ。
「ある程度小分けにゃされてますが
そのまんま壁も柱も屋根もある。
連中そういったブツを担いでますな……
寸法としちゃ2オッピ四方か。
そういう小分けな建物を担いでんのが数十、
別途基部っぽいのを担いでるのが十数。
後は資材って感じですかね。
んー、何つったかな。
東方諸国の祭りでああいぅのを
見た事があるような……」
ラーズは平原三大国家が一、北のカエリア王国
の出だ。カエリア王国はトリクティア同様東西
に長く、ラーズはそのうち南東端の出だった。
同地は東方諸国と接しており、ラーズは
カエリアからそちらへと流れて傭兵となった。
ゆえに東方諸国の文物にも相応に馴染んでいた。
「『山車』ですか?」
とディード。
こちらは東方諸国出身で元神官だ。
博学才穎で風土文物にも明るい。
「それだ! マジでそんな感じだぜ……」
合点が言った事を喜んでいいのか、
途方の無さに呆れればいいのか。
とまれラーズは声を上げそして嘆息した。
「基地の山車を担いでいるのか」
と顔を顰めるベオルク。
二戦隊の城下町が東方諸国の情緒に
溢れているため絵か何かで見かけた事はあった。
「祭りだわっしょいか。
マジキチだなー基地だけに」
とデレク。
呆れ過ぎて笑っていた。
「ふざけておる場合か!
おぃ、何ぞ連絡はとれんのか!」
デレクの態度にイラっときたベオルク。
問いにはクリンを介してデネブが答えた。
「西方諸国連合軍隷下トーラナ軍所属、
赤の覇王付き近衛隊100名だそうです。
ラインシュタット辺境伯の命により、
北往路第一基地の一部を解体し輸送中との事」
デネブは東手より迫る一隊よりの
通信内容を明らかにした。
「ぬぅ」
ベオルクのみならず多くが呻き、
「無茶苦茶だー!?」
デレクのみならず多くが叫んだ。
「サイアスはどこだ!
何と言っている!」
思わず知らず喚くベオルク。
デネブ、そしてクリンは肩を竦め
「『辺境伯閣下は中で寝てます』との事」
一同は大いに頭を抱える他なかった。




