サイアスの千日物語 百六十日目 その十八
雷声と共に魔剣フルーレティが振り下ろされ、
剣身の纏う蒼炎が弧を描いて後を追った。
そして青白き弧を覆い上書きするように
後方から火矢が飛来して怒涛の如く弧を成した。
大形異形は魔剣の挙動にのみ反応を見せて
身を低く屈める風であり、雨霰と降る火矢に
ついてはこれをまったく無視していた。
大形異形に火矢が効かぬわけではない事は
邂逅一番の開口した門への斉射から判っている。
それでも火矢を無視するのは、それだけ
魔剣を恐れているという事だ。火矢の嵐は
その身を焦がせど即座に命にまでは届かない。
だが魔剣はまるで有無を言わせず
魂ごと啜り取ってしまうのだから。
時あらば多少の傷は再生する異形らにとり、
その差は歴然以上に在りすぎるものだった。
観点を変えればこの時点で、この大形異形
自身がこの戦局をどう考えているかが
一寸読めるというものだ。
恐るべき魔剣に歯向かってまで一時の余興を
求めるのか、主命は既に果たしおおせたとて
直ちに退散に入るかだ。
無論魔の眷属たる大形異形の意思などは、
魔の下す命の前では塵芥ほども価値が無い。
未だ大形異形を魔の意が束縛しているならば
聊かの躊躇も葛藤もなく某かの成すべき
挙動に移る事だろう。
そこを、ベオルクは見極めようとした。
だが異形は魔剣に竦む以外の挙動を示さず。
つまりはベオルクに戦機を読ませなかったのだ。
大形異形は飽くまで魔剣のみを警戒し、
他に対しては泰山の如く平然と不動。
仮に刹那の逡巡でも見せれば後続の援護にも
成ろうものを、とベオルクは内心苦い顔で、
表立っては表情の無いまま魔剣持つ右手を
肩口にまで引いた。
馬上剣術、それも魔剣による城砦流剣術
における第一構「矢の構え」だ。
繰り出されるのは専ら刺突。
踏み込みは名馬ヘルヴォルが担う。
人より遥かに高い名馬の身的能力を活かした
当に人馬一体の必殺剣は、鋼の如き巨魁の鋏
でも流石に防ぎ切る事はできぬ。
そう考えたものか大形異形はますます
その身を低くして、ベオルクはその様に
かの巨躯の跳躍を予感した。
先刻大形異形の見せた「基地投げ」同様、
圧倒的な質量を活かした攻め手は技量で
防げるものではない。
前後左右、何処へと跳ぶのか。
丁度火矢が着弾を開始し大形異形の巨躯の
左右で奥たる東手へと延びる炎の筋と成った。
かの大形異形は火矢そのものへは無反応だが
燃え盛る炎へは露骨に忌避感を抱く風だ。
少なくともこれで左右、即ち南北方向を
主体とする跳躍は無いだろう。後は
手前たる西か奥たる東か。
騎馬なら如何様にも避けきれようが、と
やや思案気なベオルクの傍らを、ごぅと
突風の如く飛び込むものがある。デレクだ。
デレクは槍斧を構えずただ引っ提げた
ままで、猛然と敵正面へ突き進んだ。
恐らくはベオルク同様敵の跳躍の気配を
察したのだろう。囮を担う役目上敵に近接
するのは当然だが、かくも急ぐのは跳躍が
手前たる西に来ると踏んだためか。
或いは跳躍自体させじと言う意図なのか、
騎士団一と言われる逃げ足を敵へと向けて
猛然と突き進んでいたのだった。
武器を振るうには武器に見合った構えがある。
だが構えは武器を振るう事に特化したもので
あり、移動において最適とは言えないものだ。
瞬時の隙を衝き軽装で高機動して急所に
重武器を叩き込む第二戦隊特有の戦闘流儀を
今尚貫くデレクとしては、少なくとも攻めに
構えは邪魔らしい。
無造作に踏み込み、無造作に振るう。ただし
これを達人が成せば無造作ながらもそれは
研ぎ澄まされた妙技となる。
「無形の構え」。或いは清流の構えと呼ばれ、
城砦流剣術では「守護の構え」のさらに
一段上に位置。技能値7、名人以上の者のみが
使いこなせる構えであった。
そしてデレクに遅れること優に一秒。
一瞬を争う死地においては致命的過ぎる
時差を以て5名の捨て身な男たちが続いた。
城砦騎士団の用いる戦闘時間区分では
4秒を1拍とし1拍を20瞬に分ける。
つまり最小単位である一瞬とは0.2秒であり、
敏捷値1から20がそれぞれの瞬と同期する。
要は城砦騎士デレクは彼ら5名より膂力値や
敏捷値で最小でも5は勝っているという事だ。
敏捷値が単なる反応速度のみを示す事や、
実際の挙動速度は膂力が決定する事。
さらにデレクは相応に武装しており
5名はほぼ裸である事からいっても、
実の数値差は一層大きい可能性が高い。
俗に城砦騎士は常人の2倍を超える身的能力
を有するという。その片鱗が垣間見える、
そんな状況だ。
要は囮を担うと言えど能力差が余りに
在りすぎて囮として機能しないという訳だ。
だがそれでも5名は自らを囮と任じて已まぬ
ものであり、デレクに負けじ、これを追い越せ
とばかりにめいめい気勢を上げて突き進んだ。




