サイアスの千日物語 百六十日目 その十四
さて、と小さく呟いて、ベオルクは懐に
手をやった。隙無く盗み見た玻璃の珠時計は
午後6時手前、概ね45分辺りを指していた。
最大戦速で最短距離を飛翔しひた駆ける
サイアスとシヴァであれば、そろそろ
現地入りしている頃合だ。
地を大回りで往く一行や眼前の大形異形が
かの地の戦局を左右する事はできないが、
それでも仕切っているであろう魔は
両の戦局を同時に観ていよう。
ほぼ思惑通りに足止めを果たせたのだから、
そろそろこちらの戦局を見切ってきそうだ。
然様な当たりを付けたベオルクは
自身の後方に控える3騎の気配を窺った。
ベオルクの後方、西手に控える3騎はさらに
後方の車両の一行ともやりとりをすべく、未だ
火の燻る基地の残骸の半ばまで退いて諸々相談
を続けていた。
車両側からは鉄騎衆5名の他ロイエと
ロイエ直下の美人隊よりアクラが出張って
きていた。両名とも後ほど鉄騎衆から軍馬を
借り受けて前線に加わる意向のようだ。
重装騎兵たる鉄騎衆の軍馬は馬格も膂力も
身的能力では中央城砦の軍馬と変わらない。
異なるのは異形に怯まぬ胆力だけだ。そこで
ロイエらは鉄騎衆と共に前線ほど近くまで
寄り、大形異形を目前にしてなお恐怖に竦まぬ
竜の如き心胆を持つ馬を見定めるつもりだった。
「幾ら見た目がカニっぽいっつっても
横歩きだけたぁ限らねぇんだよな?」
とラーズが問うた。
「その辺は足の生え方次第だなー。
アイツは正面しか見えてないから
油断しない方が良いだろう。中には
ジャンプするヤツも居る」
とデレク。
「反復横飛びとか得意そうだわ」
とロイエは肩を竦めた。
「とりあえず適宜牽制射で
横の動きを抑えて貰うか」
「伝令承ります」
デレクの言に鉄騎衆の部隊長が応じた。
自身の馬はアクラに貸したため今は徒歩だ。
「斬り込みは俺が一方を受け持って
もう一方は女衆3名でって事になるな」
「了解!」
ミカを駆るクリン、そして鉄騎を借りた
ロイエにアクラは声を揃えて短く応じた。
「ラーズはお髯様含め
みんな纏めて援護してくれ」
「任せて貰いましょう」
車両から届けられた補充の矢を確認し
ラーズがデレクへと頷いた。
「じゃああとはアレだ。
どっちが右でどっちが左かって話だが……」
デレクは腕組みし、
首をグリグリと回した。
件の大形異形の容貌のうち、向かって
右側には巨大な鋏の付いた節足がある。
この異形を蟹と呼ばしめている特徴的な
その鋏は往路に敷設された基地を根こそぎ
斬り取るほど豪壮で、その外殻はラーズの
魔弾を弾く程頑強だ。
魔弾は精度重視の曲射だが、用いた矢は
短剣並みに刃長のある征矢だった。
まともに打撃の通る強度ではないのだろう。
もっとも左右両翼からの切り込みは、必ずしも
攻撃部位を破壊するところまでいかずともよい。
少なくとも動きを封じる事さえできれば
他部位の損害を先に募らせてじっくり
料理できるからだ。
さて今一方はまるで蟹らしからぬ、明らかに
違和感を感じざるを得ぬ触手様の器官だ。
大ヒルに比べれば小振りだが太さは人の胴程で
ぬらりくらりと揺れ動くその長さは人の背丈に
倍していた。
軌道が読めぬ点では鋏より厄介やも知れず、
たとえば上位眷属「はたこ」宜しく毒を有して
いるやも知れぬ。向かって右手の鋏と比しても
けして易しい相手とは思えなかった。
「うーむ」
一言で言えば、どっちもどっちだ。
実に悩ましいところだが、さっさと
決めねば前方でチラ見するベオルクが
まずもってキレるだろう。そこで
「よし、俺が鋏を受け持とう」
とデレクは決断してみせた。
だが。
「はぁ? うちらが鋏でしょ」
「触手はデレク様にお任せします」
「ぶっちゃけキモいし!」
ロイエ、クリンそして
アクラは口々に異議申し立てた。
これに思考の虚を衝かれたものか、
「何言ってる。
触手と言えば女戦士だろ
常識的に考えて」
とデレクは反論し、
鉄騎衆がそうだそうだと賛成した。
「……アンタらって」
と鋭い眼光でロイエ。
「……本当に、最低の」
と冷たく吐き捨てるようにクリン。
そしてアクラと後方の車両の女衆が一斉に
「クズだわッ!!」
と誠心誠意、心を込めて罵倒した。




