サイアスの千日物語 百六十日目 その十二
薄暮の邂逅から僅かに数拍。
凡そ最速の時宜にて敵の思惑を看破し
文字通り飛び道具であるサイアスを
救援へと差し向けた帰境の一行。
未だ北往路にて大形異形を前にする一行は
先のベオルクの一声に合わせ一斉に火矢を
放ち、車両ごと10オッピほど西へと退いた。
現状この未知の異形の繰り出し得る攻撃で
最も恐ろしいのは担いだ基地の投げ付けだ。
圧倒的な質量は技量で覆せるものではない。
ゆえに投げ付けの射程より逃れるべく
車両を盾に一気に下がった。
敵が基地を担ぎあげているというのなら、
手の塞がっている今こそ好機。一気呵成に
攻め立てるべき、そう考えるものは一人も
居なかった。
ここは荒野で敵は異形なのだ。
腕が二本きりである可能性の方が低い。
実際大形異形は担いだ基地を傾けて
自身の前面、矢面へと押し出し、火矢に油矢
ついでに飛んでくる可燃物入りの瓶や袋など
を纏めて壁で受け止めて見せた。
同時に硬質な音と火花が数度。
派手な火矢を目隠しとして放たれた
地を這うようなラーズの魔弾が弾かれた。
壁に着弾し拡散して燃え盛る火矢や魔剣の蒼炎、
さらに火花散る魔弾の鏃が明かしたそれは
巨大な、優に軍馬1頭分はあろうかという
巨大で丸みを帯びかつ節くれだった
丸太の如き一対の節足。
そう、余りに大振りな鋏であった。
向かって右手の大振りな鋏で自身の下方を襲う
魔弾を防いだ大形異形は、鋏を盾の如く構え
つつも恐らくは別の手で担ぎかざしている
燃え盛る壁を一行へと投げ付けた。
炎を上空に晦まして影のみと成り、
漆黒の津波の如く降り注ぐ基地の壁面。
げに恐るべき光景だが、ベオルク以下数騎は
降り注ぐ基地には目もくれず躊躇無く突進した。
一方後方より射撃に徹していた一行は壁の津波
の迫力に息をのむも、十二分に間合いを外して
あったため、直撃を受ける事はなかった。
大形異形の投げ付けた、当地に敷設されていた
基地の一部と思しき壁面は実に20オッピ近く
宙を舞い、往路に落ち飛散し西へと転がって
10オッピ程の一帯を炎と残骸とで満たした。
被害は一行が盾代わりにしていた車列の東手
数オッピにまで及び、炎と残骸とで当座は
人馬及び車両通行止めといった有様だ。
結果として、北往路におけるこの戦地のうち
最も東に巨大な鋏もつ大形異形が立ちはだかり、
そこから10オッピほど西に間合いを取って
投げ付けと同時に突進した4騎が対峙。
それら4騎とは城砦騎士長ベオルクを筆頭に
城砦騎士デレク、兵士長ラーズそしてクリンだ。
彼ら4騎の後方には大形異形が投げ付けた
未だ炎の残る基地の残骸が10オッピ程。
そして最も西手に車両6台と人馬20弱。
そういう布陣と成っていた。
「時間稼ぎで間違いなかったようだな」
とベオルク。
喰らうに骨の折れる一行を足止めし、その間に
別働隊を迎えの近衛隊へと差し向けてこれを
喰らわせ、上前たる負の情に満ちた魂を
美味しく召し上がる。
そういう肚積もりの魔の意向に沿った、
この大形異形は囮なのだとベオルクは観た。
「ですねー…… 距離的にサイアスが
間に合うかは、何とも微妙なとこですが」
「意地でも間に合わせるだろう。
むしろその後が問題だな」
「……」
デレクとベオルクの言に
ラーズとクリンは黙した。
当地より迎えの兵らの在所までは
少なく見積もって数千オッピ。毒沼たる
大湿原を横切るため途中で休憩は出来ない。
つまりサイアスとシヴァは数千オッピを
一息に飛翔しきらねばならないのだ。
現地入り自体はしてのけるだろうが
人馬の疲弊は相当なものとなるだろう。
戦闘する余力があるかは不透明だった。
「トーラナで数日ぐっすり、
で済めばいいですけどねー」
「うむ。とりあえずこいつには
落とし前を付けて貰わねばな」
「全くだ」
「仕留めましょう」
4騎はその意を同じくした。
そして恐らくはそういう魔の命なのであろう
往路の真ん中に悠然と立ちはだかり、通せんぼ
に専念するらしき大形異形へと向き直った。
ビフレストより進発するその時点でトーラナ
への到着が夜間に差し掛かると判明していた
ため、物資輸送の回送車含む全ての車両には
十二分の火の用意があった。
また大形異形の投げ付けにより手広く諸々
燃えているため火種に事欠く事もない。
そこで後方の一行はロイエの指示とデネブの
照準に従って、これ幸いとばかりに大形異形
へと曲射を開始した。
これらは大形異形へと直撃させ、損害を
与える事を目的としたものではなかった。
当たれば幸い、当たらずとも周囲を燃やし
異形の全貌を明るみに曝す。そういう意図
での援護射撃だ。
空には星々が現れだし、地表の
影絵の彩りも徐々に薄らぎ出していた。
そうして遂に露と成った
大形異形のその姿。
それは途轍もなく異様であり、
同時に途轍もなく懐かしいものだった。
「蟹か……」
と得心した風のベオルク。
そう、それは確かに蟹に似ていた。
前方投影部は際立って扁平な楕円を成し
その両側面には節くれだった複数の足。
向かって右方、最も手前には件の巨魁たる鋏。
一方向かって左方に巨大な鋏はなく、代わりに
大蛇の如く黒々とうねる触手様の器官が在った。
これだけならまだ荒野特有の一風変わった
蟹という事で通用させ得るかもしれない。
だがこの異形の背にはさながら翼の如く。
或いは触覚の如くに巨大な生白くむくつけき
数本の人の腕が生えており、それらがさながら
裏返した虫の如くにわしゃわしゃと虚空を
掻き毟るよう蠢いていた。




