サイアスの千日物語 百六十日目 その八
暗がりに火矢、赤の炎。
さらには魔剣、蒼の炎。
浮かび上がった妖かしの大形に
ベオルクは油断なく距離を保った。
夜を明かすほどの魔剣の煌きは
不意を討つ格好の契機をもたらす。
だが初見の敵へと嵩に掛かって斬り付ける
ような粗忽者が、荒野の死地で魔剣を従える
領域に至るまで生き永らえ得る筈もない。
初見の異形との戦では、人は常に不利なのだ。
人にとって異形の種毎の違いとは
戦術を一変させねばならぬほど大きい。
一方異形にとり人の個体差なぞ概ね誤差。
固いか柔いか活きが良いか、その程度の
誤差の範疇でしかない。そういう理由だ。
無論例外は厳然と存する。それが絶対強者たる
城砦騎士であり、なかんずく史上2振りしか
存在せぬ魔剣の使い手ともなれば、異形とて
それは竦まざるを得ぬ。
概ねそういう事情でもって
騙まし討ちに騙まし討ちで返す
実に痛快な仕儀での開幕も、その先は
じっくりと互いに睨みあっていたのだった。
残念ながらこの場に叡智の殿堂の住人たる
参謀部所属城砦軍師は居ない。デネブの有する
至高のうさ耳「カゥムディー」は本城中央塔との
情報統合機構を有する。だが有効半径は
最大でも1000オッピだ。
当地は中央城砦より優に1万オッピ以上は
離れている。トーラナまでも5000オッピ弱
は見込まれ、そもトーラナには検索すべき
対異形戦闘の情報の蓄積がなかった。
よってこの未知の敵への方策は今この場で、
自身らの手で生み出さねばならない。幸いと
いうか流石というべきか、一行に含まれる
城砦騎士以上の3名は皆「軍師の目」をも
有している。
さしあたって威嚇と睨み合いはベオルクに任せ
やや後方に控えるデレクが諸々の分析を開始。
ベオルクやさらに背後で火矢を構える一行にも
聞こえるように声に出した。
「敵、未知の大型種、視認上は1体。
戦力指数不明。まぁ31以上って事で」
「軍師の目」にて初見の敵を観測する場合、
戦力指数の算定が可能なのは「観測技能」の
5倍までと見做されている。
デレクの観測技能は6である。よって相手が
31以上の大物の場合算定ができなかった。
観測技能6とはこの一行のうちでも最高値だ。
戦力指数については不明のまま挑まねばならぬ。
「概寸全幅4オッピ前高2オッピ。
オッピって語イマイチ緊迫感無いよなー」
苦笑し鷹揚に語るデレク。
そもオッピなる単位は異形を前に恐怖を笑殺
できるようにと設定された経緯をも含む。
さればまさに効果は覿面と言えた。
「緊迫感が足らぬのは
間違いなくお前自身だが
取りあえず続きを聞こうか」
馬上で小さく肩を揺するベオルク。
眼光と切っ先は揺ぎ無く異形を捉え続けた。
そして。デレクがふざけた言行の背後に
潜ませているある思惑を探り始めた。
ベオルクとデレクは7年前の第四戦隊発足時
以来の古参であり、共にくぐった修羅場の数は
到底数え切れぬ程だ。言外に含ませたニュアンス
の類でやり取りする、狐と狸の化かしあい的な
阿吽の呼吸も成立している。
デレクは平素より、顔で笑んでも目が笑って
いないとよく評される。表への表れと本心が
一致しない事がとても多く、鷹揚に見えて
本質は怜悧。また義に篤い漢であった。
そんなデレクが緊迫化で冗談を飛ばすのは
決まって懸念のある時で、ベオルクはそれを
鋭敏に察し、眼前の大物への集中を維持しつつ
続く言行の真意を看破せんとした。
「ほいおー。 ……まぁぶっちゃけた話。
こいつ今の見た目よりは小さそうですね。
ここまでの基地の出来から見た場合、
ここの基地の寸法は東西に8南北に3。
高さは1オッピちょいってとこでしょう。
多分基地のうち門の在った一画だけを
切り取るか何かして担ぐか被るか……
そんな感じじゃないっすかねー」
相変わらず鷹揚としたデレク。
見た目より小さい。
大きく見せている。
虚勢、虚仮、時間稼ぎ。
ベオルクの脳裏に幾筋かの光が過ぎった。
「ふむ。こちらが門に入るまで
待ち構える風だったのとも
関係していそうだな」
相手が間抜けならそのまま喰らえばよし。
ただしはなから騙しおおせるとは思って
おらず、気付かれた後睨み合いをする、
そちらが本命であった可能性も出てきた。
「ですねー。んー……
カニかタニシかヤドカリか。
イメージ的にはヤドカリですかね」
とデレク。
「サザエではないのか」
と心底残念そうなベオルク。
そういえばそろそろ夕食の時間だ。
「アワビでもないかと」
しれっとサイアスが混じってきた。
銘酒どころの領主らしく肴は一通り
押さえているようだ。
「まぁ動きは重そうだな」
とベオルク。
対峙する未知の異形、そして後方で
呆れ気味な一行をものともせず、表面上は
実にのんべんだらりと語る城砦騎士3名は
徐々に結論へと近付いた。
「ですね。代わりに馬鹿力っぽいし
基地ぶった切る鋏はヤバい。
このまま距離取って焼きましょう」
とデレク。そして
「ふむ、良かろう。
……サイアス!」
「了解!」
声のみ残し金色の尾を引いて、
サイアスとシヴァは暗がりを飛び去った。
1オッピ≒4メートル




