サイアスの千日物語 百六十日目 その七
平原では秋が深まり始める頃、
荒野では木枯らしが吹き始める。
北には大河、南には潅木朽木泥炭地。
その奥には100年未踏の毒性の湿地。
時折僅かに屈曲するも総じて東西に
一直線な北往路では、木枯らしも東西に
一直線に吹く。
無論紆余曲折した上での事だ。
幸い今は追い風となっている。
川面を撫でる寒風も大湿原より染み出す悪臭も
背後から迫る格好で、一行は追いつかれまいと
木枯らし以上に懸命に駆けていた。
小湿原に根付く世界樹とも呼ばれる巨大な
樹木の根とその眷属たる薬草による浄化は
羽牙たるズーの撤収で早くもその進捗を
加速させていた。
大小の湿原の狭間には泥炭の海が横たわる。
ゆえに小湿原の植物相が大湿原へと直接
影響を及ぼしこれを浄化せしめる事はない。
もっとも、直接が無理ならば、と
「ゼルミーラ作戦」以降継続して小湿原への
実地調査を監督する参謀部の猫耳軍師らが
主導して、小湿原から大湿原への薬草類の
株分けが開始されていた。
丁度ズーらが大湿原から小湿原へと侵攻した
のと真逆の事をおこなって、大湿原に浄化の
先鞭を付けていたのだった。
とまれ大湿原は未だ毒性に満ち溢れ、
外縁部の潅木類が防波堤の如く機能して
北往路の居住性を保っていた。
木枯らし同様背後から鋭角に差す斜陽の色が
北方河川と往路を染め上げ、ともすれば
川面を地面と錯覚させもする。
隘路を除けば北往路の道幅は優に5オッピある。
そして一行の布陣は2オッピ幅に収まっていた。
よって一行は河川に吸い寄せられぬよう
南手の起伏を目印に、徐々に影絵の世界へと
落ちゆく斜陽の荒野をひた駆けていた。
午後5時過ぎ。いよいよ日没が誤差の範囲と
なってきた頃、一行の行く手に施設が見えた。
強行前の休息の際に仮設の基地で確認した通り、
かの地より1000オッピ進む毎に、小休止の
ための基地が敷設されていた。
基地の規模と外観は確かに行く手を進むほど
造りの確かなものとなっており、最も手前の
ものは南の壁面と支柱を渡す確固たる屋根が。
二つ目のものには東西の側面にも壁が出来、
三つ目は往路に面し簡易の門を有する砦に
近い形状となっていた。
そして前方に見えてきた四つ目は
より一層に堅牢であり絢爛でもあった。
これまでの基地とは基本的に、5オッピ幅の
北往路の南手2オッピ程を占拠した、進軍途上
一時停止してそのまま休むための、言わば
停留所とでも呼ぶべきものであった。
東西方向に壁面を伴うようになってからは
北側から内部へと入る形となり、門や簡易の
櫓などを奢って最悪夜を明かす事も可能な造り
にまで仕上がっていた。
これらの基地には一目で判る共通点があった。
それは必ず往路の南側に寄り添う格好で敷設
され、北側は少なくともそのまま立ち寄らず
通行できる程度には道を残してある点だ。
だが四つ目のこれは往路を横断するほどに
北へとせり出しており、入り口は進行方向に
面して付いていた。さながら関所のようだった。
空の縁は未だ斜陽の色を残し、その上に
夜空へのグラデーションを積んでいる。
地表は既に黒一色に染まりつつあり、
関所の如き基地の壁面の材質を判ずるのは
困難で、時折艶やかに走る光沢が石か金属製
だと推測させた。
色味の判別が困難なその基地だが、向かって
中央正面にはやや周囲より暗い部分があるよう
に感じられる。恐らくはそこが門だろう。
さらに恐らく門は開け放たれているのだろう。
強行軍の終着点たる四つ目の基地。
その西手およそ30オッピにまで迫った
一行の先頭を往くデレクはすぅと右手を上げ、
駆足後の並足をさらに人の歩速まで落として
愛馬たる名馬フレックの首を左手で軽く撫でた。
デレクの合図に合わせ後続も速やかに馬足を
落として人の歩く速さとなり、これまでの
責め苦の如き走りを詫びるかの如く愛馬らを
労ってゆるりゆるりと基地へと寄った。
カコッ、カッコ、カッ、コカッコ……
基地までおよそ20オッピ。
馬蹄は眠りに落ちるかの如く穏やかになり
ゴムの靴を履く車輪の軋みは聞こえなくなった。
カッ、コカッ。コカ、コカ……
基地までおよそ10オッピ。
此処まで来たら最早焦る事もない。
然様に判断したものか馬蹄は緩やかで、
一行を待ちわびるような開門の暗がりに
迫ってはいなかった。
全ての軍馬らはピアッフェを。
すなわちその場で足踏みをしていた。
そして
「放て」
と嘲弄気味に命ずる
ベオルクの声に合わせ、
多量の火線が暗がりに走った。
ヴァオオェアァアオォオォオッッ!!
暗がりから奈落の咆哮が響いた。
連射される火線はぼぅ、と火球をも伴って
咆哮の背後で鳴動する大山の如きその形を
束の間一行の下に明かした。
それは、確かに敷設された基地では在った。
否、より確かに叙述するならそれは在ろう事か
基地を被っていた。
それは、これまでのものと同様南手沿いに
敷設されていた基地を根こそぎ引っこ抜き
担ぐようにひっ被って、本来は北手に
面している門を正面に向け待ち構えていた。
それはそうしてぽっかり開いた門の奥から、
一行が自ら飛び込んでくるのを待っていたのだ。
「せめて篝火を炊いておけ」
はなで笑ってそう告げるベオルク。
城砦騎士団の施設では、昼夜を問わず
絶やす事なく篝火を炊いているものだ。
篝火が見えぬその時点で、騙まし討ちなぞ
話にならぬ。つまりはそういう事であった。
だが火を嫌う異形には聊か酷というものか。
となおも苦笑し魔剣の鞘を払うベオルク。
突如往路が夜明の色に染まった。
ベオルクと愛馬ヘルヴォルを剣身より迸る
蒼炎が包み、余の者は巻き添えを避けるべく
速やかに後方へと退避。
車列は各々南手へ横付けされ、さらに降車した
完全武装なサイアス一家の面々が迎撃態勢を
整えて敵の増援を警戒していた。
1オッピ≒4メートル




