サイアスの千日物語 百六十日目 その二
「雨も随分久しいな」
中央城砦内郭北西区画、
第四戦隊営舎詰め所にて。
第四戦隊副長ベオルクは
誰に聞かせるでもなくそう呟いた。
第一時間区分終盤、午前5時過ぎ。
深夜に降り始めた雨は今もなお
しとしとと降り続いていた。
降り注ぐ太陽に力なく、また北方河川に
大小の湿原と水の気配の強い荒野東域だが、
まともな雨が降るのは数月に一度。それも
大抵小一時間程度の事だ。
周囲の天候はこの107年間参謀部の専門の
部署が逐次観測し記録して精度を積んでいる。
城砦に拠っての防衛戦が専らとは言え
天候が戦況に与える影響は大きい。
顕著なのは西手に陣取る大口手足の不活性化。
そして北方河川を棲み処とする魚人ら水の
眷属らの活性化だ。
たとえば魚人は水辺を離れ内陸に至るほど
戦力指数が低下する特質を持つ。また他の
ほとんどの水の眷属はそもそも水辺より
離れられないが、雨中ではその制限が失せる。
魚人とは暗黙裡の共闘がある。だが
地上の獣にとって満月がそうであるように
河川の眷属にとり雨がそうでない確証はない。
勢いの盛んな敵に近寄る愚を冒す真似は
厳に戒めたいところ。雨天が予測される際は
騎士団として極力城外活動は避ける方向だった。
もっとも都合の付かぬ事もある。
先の黒の月を目前に控えたとある日には
平原よりの大規模な輸送部隊の迎え入れと
来る宴への敵戦力の削減を目的として、雨天
が予測された中、戦隊規模の出動があった。
その際に出た被害は相応に大きく、また
雨天ゆえにか未知の上位眷属まで飛び出す
始末。とまれ戦況は存分に荒れたものだ。
そうしたお陰もあっての事か、少なくとも
その作戦以降、雨天が予測される際の城外
活動は禁止されていた。
そして。
昨今では城砦近郊の四方に巣食う異形らのうち、
東の羽牙、今はズーと呼ぶ飛行する眷属との
間に不戦協定が結ばれた事。
また南の「できそこない」と呼ぶ陸生眷属の
大多数が中央城砦より南西方向の先に在る
丘陵地帯の魔軍の拠点へと集結した事により。
雨天時に城砦へと軍事的に仕掛けてくる
異形自体がめっきりと途絶えていた。
言い換えるなら。中央城砦にとり雨天は
一時休戦を意味するようになってきていた。
「余り長く降り続けるようですと
北方河川の増水も懸念せねばなりません。
水堀化の進む大回廊にはいっそ好都合。
ですが北往路を用いて平原を目指すには
不都合極まりない状況です」
第四戦隊副長と騎兵隊長を代行する
ヴァディスがベオルクに応えていた。
「晴天かつ精鋭のみとの条件であれば
ビフレストからトーラナまでは概ね
1時間区分見ておけば宜しいでしょう」
「ふむ。逆算すると今日発つ場合は
昼までに晴れよと、そういう事だな」
「はい。既に諸方へはそういう
目算にて伝達を済ませてあります。
アウクシリウムでの式典については
トーラナで帳尻を合わせれば宜しいかと」
「良い手際だ。それでこそ
安心して後事を託せるというものだ」
「お任せあれ。マナサと協力し
一枚上手の部隊にしておきます」
「えぇ。心配は要らないわ」
「フッフッフ…… 兵どもの
嬉しげな悲鳴が聞こえてくるようだ」
ヴァディスやマナサに促され、ベオルクは
一旦自邸へと。来るべき出立に備えて
小休止を取る事とした。
やがて第一時間区分が終わった。
雨は未だしとしとと降り注いでいた。
「何だろうな、この雨ぁ……」
とラーズ。
城砦外郭北門の裏手で、四戦隊所属の
斥候馬であるグラニートに騎乗していた。
参謀部の軍師らが言うには、このまま
雨が降り続ける条件には無いとの事だ。
もっともそんな条件下で何故雨なのか。
そしていつまで降るのかは予測が付かぬとも。
「何だか泣いてるみたいだね……」
ランドがふとそう呟いた。
「……奸智公ってのがか?
洒落にならねぇ話だな……」
「うむ! リア充は須らく爆散せよ!」
「お前ぇは取りあえず黙ってな」
ラーズがうんざりシェドに応じた。
「まさか大将を帰さねぇって
つもりじゃぁねぇだろうな……」
「うわぁ……
それは確かに笑えない」
「まじで! リア充爆散事案やな!」
「お前ぇはブレねぇな」
「勿論悪い意味でね」
かように軽口を叩く三人衆を、馬や馬車に
分乗するサイアス一家の女衆が一斉にジロリ。
ラーズとランドは脱兎の如くシェドから離れ、
荒野の女衆の死線否視線を一身に浴びシェドは
「ひょぇッ!!」
と叫ぶや垂直跳び。そこから
ピンと伸ばした上半身と下半身を
水平ばりに前方へと展開し自重落下。
着地時には土下座形状に変形していた。
「なんまいだんまいだっふんだ
お許しWowWowWow……」
投影面積を減らしつつ絶対防御を展開し
ひたすら嵐が去るのを待つスタイルだ。
是非はともかく頗る堅実で現実的であった。
また笑いをとって怒りを減じんとするその
やり口は、某三リア王らと同じ。いわゆる
王者の交渉術であった。
一方サイアスは愛馬にして名馬
シグルドリーヴァの背で瞑目し
静かに時を待っていた。
「信じているのね」
その背でニティヤの声がした。
「あぁ。 ……怒ってる?」
「あらあら。
私がそんな狭量な女だと?」
「滅相もない。
っと、止んだようだね」
救われたようにサイアスが告げ、
人馬の群れの北方で機械音が轟いた。
徐々に開きゆく三重の鉄城門が
視界を大地の色に染めてゆく。
北門の操作を担う工兵や警備を担う小隊らから
敬礼を受け、帰境と見送りの人馬の列は城外へ。
そんな人馬の列はどよめき、歓声を上げた。
雨は既に止んでいた。
そして彼らの視線の先。
北の空には西から東へと。
東へ向かうその旅路を
祝い護り誘うかのように。
大きく虹が架かっていた。




