サイアスの千日物語 百五十九日目 その七
参謀長セラエノとの密議を終えたサイアスが
中央塔下層3階まで降りてくると、アトリアと
アトリア邸を訪れていた女衆がその3階広間に。
すなわち「王家の食堂」として知られる
騎士団長とその配下らのためのその一画を
占拠。きゃっきゃと実に楽しげに騒いでいた。
毎度の事と言えば毎度の事だが場所が場所。
サイアスはやや怪訝な顔で一同を。そして
先日の戦勝式典宜しく司会業務に励む
騎士団長その人を見やった。
「おぅ、サイにゃんか!
チェルニープロデュース、冬の
新作スイーツ先行披露会へようこそ!」
おぉ! と黄色い喝采が上がった。
第七王子たるシェド同様フェルモリア王家
男子特有の「呪われた血」を色濃く有す
比類なきお困り様でありながら。
さりとてシェドとは異なって藩王たる王弟
チェルニーが女子衆から多少なりとも黄色い
歓声を浴び得るその理由とは、ひとえに彼の
スイーツ研究家としての名声にあった。
チェルニーは平原と荒野を含む全人類中でも
屈指のカレー愛好家でありスイーツ研究家だ。
特にラッシーに関する造詣が深く自著も多い。
此度は先の宴以降に開発した諸々の新作を
一挙公開し、スイーツに関しては蓋し一家言
ありそうな女子衆から意見を募るキャンペーン
的なアレらしい。
見ればサイアス一家やヴァディスらのみならず、
ファータやシラクサといった参謀部の誇る
スイーツ、否スイーツ好きも勢揃いだ。
「ラッシー部門ではあの
『ペアラッシー・サイアススペシャル』
も中々に好評を博しているぞ!
スイーツ部門では何と飛び入り参戦な
デネブ作『雪化粧の森』が王家の食堂発
『女神の秘め事』とデッドヒートだ。
どちらも素材の魅力を最大限引き立てた
スイーツの真髄に迫る逸品だ。これは
甲乙付け難いな!」
「うむ、デネブは正に四戦隊の誇りだ」
「おー」
よく見れば女子一同に紛れてベオルクが
自慢の黒ヒゲを撫でつつご満悦であった。
自身と一家作なスペシャルラッシーや
デネブの名作がノミネートされていると
なるとこれは黙っておるわけにはいかぬ。
さっさと自身も審査に加わるサイアス。
そしてサイアスと入れ替わるようにして、
アトリアがにこりと笑んで姿を消した。
アトリアが去り際に見せたその笑顔は、
これまでにサイアスが見た中で最も
自然でそして穏やかなものだった。
自身も釣られるように笑顔となり、
サイアスは自称辛口審査員らと共に
暫し甘味と甘露のめくるめく饗宴に酔った。
午後19時。荒野の夜空を星々が彩っていた。
平原では秋も深まる頃。荒野の気候は既に冬。
華やかな夏の天の川はこの時刻に南中。
夜空に華厳の如き滝に似て輝く。
夏の天の川がかくも眩いのは、
銀河の中心を仰ぎ見るためという。
眩きまほろばの彼方にて、
妙なる音色と包まれて。
天地開闢のかの神は
独り永久に微睡むという。
幾星霜、久遠の果てまで
遍く世界を夢見るという。
天之御中主神。
忘れ去られたこの大神へと酒杯を掲げ、
万感の想いを込め、ただ一言の挨拶を。
ごきげんよう、こちらは
元気でやっています。
ただそれだけだ。それだけで良い。
それが「星杯の儀」であった。
黒の月、宴の折に人魔の大戦の嚆矢と成り、
戦の帰趨を占う「天雷」。その天雷を発動
させるべく闇夜を渡る光矢と成る「精神の矢」。
魔軍に抗い平原を護らんとする城砦騎士団総員
の意志を抽出して精神の矢を生み出す「神鏡」
その神鏡が安置されているのがこの
中央塔中層上部「神鏡の座所」だ。
本来宴の折にのみ開かれるこの聖域が、
宴の気配を微塵も感じさせる事のない
宴と宴の狭間なこの時期に開かれるのは
城砦歴107年間でも初めての事だった。
幸いにして騎士団長や参謀長と直接対話し
許可を取り付ける事に成功したサイアスは、
自身と自身らの神のための儀式をこの
神韻縹渺たる神座にて執り行う事とした。
降り注ぐ星月の明かりとは裏腹に、
神座には深い暗がりが広がっていた。
と、暗がりの奥より鈴の音が鳴る。
その音色は薄らと輝く蒼と白銀の
装束を纏った巫女らの歩みを彩った。
神座に満ちる暗がりに包まれて
サイアス一家とその家中が見守る中。
今とかつて。二人の「光の巫女」に励まされ
数年振りに星天宮の「星巫女」の装束を纏った
天宮帝都。
今はディードと呼ばれる銀嶺の戦巫女が
夜空の側へ。天の川の下へと歩みゆく。
凛々しく涼やかな鈴の音に似たその声で
かの神への祝詞を詠じ、その後方からは
白銀のフルートの音色が響いた。
やがてディードは天の川そのものの色と成り、
黄金色の美酒が注がれた夜空色の杯を天へ。
天の川へと掲げた。
それに倣い、暗がりでそれぞれが同様に杯を。
そして暫し天の川を見つめ、思い思いの想い
を告げ、静かに杯を飲み干した。
ただそれだけ。
ただそれだけの儀式だった。
地にも天にも何一つ変化は起きず、
荒野の夜は変わらぬ星月の光を注いでいた。
いや、一つだけ。
夜空に揺蕩う白銀の帯。
天の川より流れ星が零れた。




