サイアスの千日物語 三十二日目 その二十九
「やぁ、四人ともお疲れさま!
凄かったねー…… 僕サイアスさんのファンになっちゃったよ。
後でサインお願いしていい?」
ロイエが書面をしたため終わった頃、東側から向かってくる
行軍中の隊伍から、ランドが声をかけてきた。
「あ、ランド。 ……って私にはあんたも大変そうに見えるわ……」
ロイエは我が目を疑うといった様子でランドを見た。
ランドは同じ隊にいた騒がしい男を、手荷物か何かのように
小脇に抱えて行軍していたのだった。ロイエを追って向き直った
サイアスやラーズも思わず己が目を疑った。大兜の人物は
微動だにしなかったが、これはむしろ硬直しているようだった。
「あぁこれ? いやぁ、確かに大変だよ。重くて嵩張るし」
「なんでそんなの抱えてんのよ?」
ロイエがもっとも過ぎる問いを発した。
「いやぁ、それがね…… 眷族が目の前に現われたら、突然
『死んだふり』し始めてさ。本気で気絶したみたいなんだよね……」
ランドは行軍を乱さぬよう、手早く簡潔に話した。
補足すると以下のような事情だった。
城砦の東の一辺において、隊伍を乱して飛び出した数名を
あっさりと斬穫し、捕食し出した大柄なできそこない3体に対し、
警護の任についていた教導隊は隊を割って6名で応戦をすべく、
武器を構えて殺到した。できそこない3体はまずは邪魔者を始末すべく
教導隊に向き直って迎撃態勢を取り、まさに食うか食われるか
の死闘を開始した。
そしてその死闘の現場に丁度差し掛かったのが
ランドたちの小隊であり、突然の緊張状態に面食らった
ランドたちは暫しその場で硬直してしまったが、
件の男は誰よりも素早く判断を固め、行動に出た。
彼の取った行動とは、「死んだふり」だった。
平原南部の俗信に
「野獣に襲われたら死んだふりをしてやり過ごせ」
というものがある。実しやかに語られるこの窮余の一策は
実は極めて成功率が低く、ロクな結果を招くことがなかった。
人間同士の戦いですら、確認のため屍に一突き入れて回るのだ。
人間より遥かに鋭い野獣相手では十中八九見破られるか、
頓着せずにそのまま食われるのが関の山だった。
それでもこの俗信が廃れない理由はただひとつ。
そうした状況で助かった人間がほぼ絶無だからというだけだった。
何かの拍子にうっかり助かった者が思い当たる節を適当に並べただけで、
特に明確な根拠の無い、まさに俗信だったのだ。
ともあれこの騒がしい男は眼前の大柄なできそこないに対して
渾身無比の「死んだふり」を行った。
結果ばったり倒れて動かなくなったのだ。
ランドの小隊は教導隊や前方の小隊から防壁に密着して進むよう言われ、
直ちに実行しようとしたのだが、倒れている男が移動にも戦闘にもとにかく
邪魔になりそうだったので、致し方なく小脇に抱えて運ぶことにした、と。
「それは…… まぁ、何というか。お疲れ様……」
ロイエは絶句しつつもランドを労った。
サイアスはジト目でランドの小脇の男を眺め、
ラーズは腹を抱えて笑っていた。
大兜の人物はなにやら小刻みに震えていた。
どうやら笑っているようだった。
「ひー、勘弁してくれ笑い死ぬ!
緊張の後だから余計にクるぜ。そいつもとんだ大物だな!
『死んだふり』なんかダメに決まってんだろ……
ほれ見ろよ。そこのそいつも失敗したんだぜ」
ラーズは鑷頭の屍を指差した。鑷頭の窮余の一策も、
疲労困憊した振りで油断を誘う、いわゆる「死んだふり」であった。
「はは…… その眷属はまた色々格が違いすぎるから、
参考にはならないかもね…… っと、起きたかな?」
ランドはそう言うと、小脇に抱えていた男をどさりと落とした。
「ぐぇぁ!」
件の騒がしい男は奇妙な悲鳴をあげ、キョロキョロと辺りを見渡した。
そしてサイアスたちの脇に転がる焦げた鑷頭の頭部と、背後に続く
巨大な体躯を見て取り、絶叫した。
「ぎゃあぁあぁあ! な、な、ななんじゃこりゃあぁ!」
起きるやいなや周囲を一気に騒然とさせ、
周囲の者たちはあるいは顔をしかめ、あるいは頭を抱えた。
件の男は座り込んで後ずさりしつつ、鑷頭を指差し喚いていた。
「お早う。重かったよ。とても、ね……
それは『鑷頭』っていうそうだよ」
ランドはどこかぞっとするような声でそう告げた。
多分、いやきっと怒っている。サイアスはそう感じた。
件の男はヒっとランドから距離を取りつつも、
鑷頭の斬り飛ばされた焼けた頭部や穂先や戦斧が突き立ったままの
巨体を指差し、なにやらうわごとのように叫び続けた。
「じょ、じょ? じょ、じょ! じょ……
鑷頭に焼けましたぁ! ってやかましいわ!!」
「……オメェは何を言っているんだ……」
ラーズが怪訝な顔でそう言った。
「馬鹿じゃないの? てか、馬鹿じゃないの」
ロイエは腰に手をあて吐き捨てた。
「……訳がわからないよ」
ランドは深く溜息をついた。大兜の人物は、
「どうでもいい」
と足で地面に文字を書いた。サイアスはそれを見て、
無言であっても筆談ならできそうだ、と思い付いた。
件の男は救いを求めるようにサイアスを見たが、
サイアスはそちらを見やることもなく、
「興味ない」
と述べ、城門から急ぎ足でやってくる治療部隊に挨拶をした。
「おぅふ、見事な連携だ…… ってか酷い! お前ら何か酷いよ!!」
件の男はがっつりへこみつつもそう言って吠えたが、
「ほら、邪魔になるから」
とランドに引きずられて行軍に戻っていった。




