サイアスの千日物語 百五十六日目
第二時間区分の初旬、午前7時を過ぎた頃。
再編成に係る諸々で慌しく人や物が行き来する
城砦内郭の他区画とは異なって、ここ北西区画
は実に穏やかで閑散とした朝を迎えていた。
他戦隊ではほぼ戦勝式典直後に開始された
騎士団全体規模の再編成だがここでは一月以上
も前、帰境作戦の最中から既に整備計画が開始
されていた。
帰境作戦と時期を重ねておこなわれた魔笛作戦
が終了し、合同作戦が始まる頃には第三戦隊の
工兵や職人らの移住も滞りなく済んでいたし、
第四戦隊は元より大騒ぎするほどの員数が無い。
また戦隊幹部の大半が合同作戦後に帰境し
長期休暇等に入る事が事前に決まっていた
ために、一通り済ませてあったからだ。
もっとも全てが予定通りとはいかなかった。
当初はブークの帰砦と戦勝式典の翌日辺りに
平原への帰路に着く予定であったサイアスだが、
式典より二日経った今なお動く気配を見せて
いない。理由は専ら人事面にあった。
「お早うさん。ここんとこは
調子が良さそうだなぁ、大将」
2度を2度ほどノックされ、扉の
先からラーズが現れ軽く手を上げた。
平素通り飄々としているが
そこはかとなく眠そうだ。
「やぁラーズ。
君はもう良いのか?」
とサイアス。
平原全図から騎士団領を切り取ったような
変わった形状の大振りな卓の西側に座して
仄かに笑んで手を上げてみせた。
「俺ぁ得物が同じだったからな
他に比べりゃ随分マシだぜ」
「するとあの二人はまだ掛かるかな」
「あぁ、お大事にってとこだ」
クツクツと笑い肩を揺すって
自身の席に着くラーズ。
すぐにデネブからおしぼりが差し出され、
軽く礼を言って手や顔を拭いた。
サイアス小隊の名物三人衆、ラーズ、ランド
そしてシェドは先の戦勝式典において軍楽隊
に参画し、都合5曲の演奏に臨んだ。
当初軍楽隊長から指定されたのは3曲。後に
アトリア経由でサイアスに指定されたのが2曲。
準備期間は僅かに一日半。この制約の中で
初めて触る楽器を操り5曲をまともに演奏
できるところまでもっていくという無理難題。
それを彼らは完遂してのけた。
完遂してのけた、のはいいのだが。
払った代償も少なからずあったのだ。
特に音楽について完全な素人からスタートした
三人衆の残り二人などは、特訓の反動により
二日経った今も寝たきりに近い状態であった。
中央城砦の規定する特訓とは通常の三倍の
成果値を獲得する高負荷の技能訓練である。
特訓は心身に極度の集中を伴う実戦さながらの
負荷を掛けるため、1時間区分の特訓の後は
1時間区分以上休養をとる事が推奨されていた。
だが此度の軍楽隊では小刻みに小休止と挟む
ものの総体としては6時間区分ほどぶっ続け。
本来とるべき6時間区分分の休養は、適宜の
回復祈祷で誤魔化していた。
回復祈祷とは人がその身に自然に具え持つ
「治癒力」を補助し回復速度を高めるための
魔術的な技法である。原義的に見ても回復祈祷
が成し得るのは回復を早める事だけなのだ。
負傷であれば患部の治癒状況が視認される
事もある。だが飽くまで補助的要素であって
実の回復には十分な滋養と休養が不可欠なのだ。
そして細切れに挟まれる小休止程度では
当然十分な休養足りえない。ゆえに心身の
疲労は着実に蓄積し、演奏会の終了を以て
大爆発。一気にへたばり今に至るという訳だ。
それでも此度の特訓は演奏技能の下限を高める
目的のものであったため、元より該当技能値の
高かった者らは通常の訓練と同程度の疲労で
済んでいた。
特に平素より昼夜兼行な特務慣れをしている
第四戦隊の古参らは実にケロリとしており、
マナサやデレクは言うに及ばず。他の兵らも
翌日には平素通り無駄に溌剌であった。
とまれかくも配下がへばっていたのでは
引継ぎも何もあったものではない。サイアス
は自身が軍楽隊副長に任命された事もあって
帰境を順延し、第四戦隊の平時の業務を。
すなわち待機を暢気に堪能していたのだった。
「いざ長く離れるのだとなると
何かと遣り残しが気になるね。
こちらも別件でもう少し掛かる。
焦らず二人の回復を待つとしよう」
公邸内の別の扉から続々と出てきては挨拶する
アクラら肉娘に仄かな笑顔を向けつつも、
サイアスは思案気にそう述べた。
「ほぅ、別件な……
まだ暴れ足りねぇ感じか?」
「いやいや、戦闘は暫くお預けだね。
戻って来る頃にはセメレーらに抜かれ
騎士会の序列が下がっているかも知れない」
城砦歴107年第275日目時点での
城砦騎士は総勢21名であった。
サイアスの騎士会序列は19位。
セメレーは20位でヘルムートが21位だ。
騎士会の序列は戦力指数のみで決まるため、
後から序されたサイアスに抜かれる格好と
なったセメレーの心境たるや推して知るべし。
「あぁ、あいつか……
マジで悔しがってたぜ。
間違いなくブッちぎりに来るだろ」
と苦笑するラーズ。
チェルニーがサイアスの序列を告げた際、
苦虫を噛み締めまくったような顔だったとか。
「顔を合わせると面倒臭そうだ……
まぁ気軽に抜かれてやる気はないけれど」
とサイアス。
人智の外なる異形らとの死闘で膨大な経験を
積める荒野と異なり、人しか居らぬ平原で
能力を高めるのは何かと困難であった。
だが故郷ではグラドゥスやベオルク、デレク
から彼らの有する様々な戦闘技能の極意や
奥義を伝授して貰う予定となっており、
そうした部分で成長が見込めるため易々と
抜かせはしない、とはサイアスの言だ。
「奥義伝授か。俺も馬術はあっちで5に
仕上げるぜ。帰って来る時ぁ名馬様だ」
ラーズはそう言ってニヤりと笑った。
ラーズの馬術は既に4半ば。成果値の稼ぎ難い
平原であっても、春までみっちり鍛錬すれば
5には届きそうだった。
「ミカとグラニートは連れて帰って
良いらしいわ。勿論シヴァとアイノもね。
クァードロンは機密だからダメらしいけど」
サイアスの傍らで適宜茶と書類を
しばきつつそう告げるロイエ。
平素は完全に一家の大黒柱であった。
今夏以降四戦隊の所有する2頭の斥候馬、
ミカとグラニートは、ほぼサイアス小隊の
専用馬として一家やラーズに用いられていた。
つまりは両馬とも乗り手と共に破格の活躍を
成してきたという事で、この機に特別休暇が
与えられたのだった。
またサイアスの愛馬たる名馬シヴァは極度の
人間嫌いであって、その巫女アイノ以外には
けして自身の世話をさせないため、アイノは
半ばサイアス小隊の一員として扱われていた。
当然のように先の帰境作戦で休暇を取っては
いないため、シヴァと共にサイアス一家扱いで
ラインシュタットに駐留する事となっていた。
「そいつぁ有り難ぇ話だな。て事ぁ
デレクの旦那やベオルクの御大将の
馬丁も一緒って事かねぇ」
とラーズ。
ロイエとサイアスは
「四戦隊が特務で出ずっぱりだったから
厩務員の大半は未だに特別休暇を
取れてないらしいわ」
「彼らはアウクシリウムで休むとの事だけれど、
お二人の名馬の担当者はうちに来て貰う
予定さ。規定の1週間以降は軍務扱いでね」
と応じてみせた。
ベオルクとデレクの名馬はシヴァほど強烈な
人嫌いではなく、普通に厩務員らの世話に
なっていた。ただしヴァディスが専属の厩務員
たるべき少女らを連れてきてからは、もう
ずっとそちらにべったりだ。
カエリア産の名馬のうち戦乙女の名を冠する
千年の名馬たちは皆牝馬な上プライドが高い。
自身専属の付き人が居る以上は、同行させねば
確実に機嫌を損ねるだろう。
「ほぅほぅ…… っと飯だな」
そうこうするうちデネブらが支度を整え終え、
名物三人衆のうち2名を除く15名での
賑やかな朝食が始まった。




