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サイアスの千日物語  作者: Iz
第七楽章 叙勲式典
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サイアスの千日物語 百五十三日目 その十三

命令権インペリウム

元来は軍事統制上の権能に過ぎず、

その効力の範疇は厳に軍務に限られた。


だが後に命令権者が皇帝を意味するように

変化すると、領民への生殺与奪を含むあまね

ことごとくを排他的に占有する絶対権となった。


死ねとの命あらば滞りなく死せよ。

生きよと命あらば死者でも蘇るべし。


それが命令権である。


2000余としてはつい今し方、不遜にも

帝政トリクティアの皇帝になぞらえてサイアスの

その名を連呼したばかりだ。


しかるにさながら亡国の皇帝の如くに

絶対的な命令権として用いられても文句を

言えた義理ではない。ゆえに鼻白まざるを得ず、



「この場に集う2000余に告ぐ」



との微塵の感情をも伴わぬどこか機械的な

物言いに対しては凍てつかざるを得ず、また



「手持ちの宝石を全て差し出せ」



との言には言葉を失わざるを得ず、かつ



「冗談にゃ。笑うにゃ」



とのどこかのお髭様の如き物言いに対しては

引き攣りきった笑いを発せざるを得なかった。





「さて、場が和んだところで」


とサイアス。


勿論欠片も和んでなどいないが、そんな事を

気にしていては全権命令者も連合辺境伯も

まるで務まらない。務まらないのだ。



「本題に入りましょう」



誰もが硬直するなか一人頷いて

サイアスはちゃっちゃと話を進めた。



「事前に通達された式次では

 此度の戦勝式典はここまで。

 これにて終了と相成っている。


 だが諸君、これに違和感を感じるのは何も

 私ただ一人ではないだろう。諸君も理解

 しているはずだ。この場には今一人、

 祝福されるべき方がおられる事を。


 その方は常に裏方で労する事に徹し、

 陰ながら我らを支える事を好まれる。


 本来なら誰より祝われてしかるべき立場で

 ありながら配下を祝う側に徹し、自身への

 祝辞は笑って不要と流される。


 8年前当城砦に赴任して以来粉骨砕身し

 何度も身を損ね私財まで投げ打って、

 破綻し立ち行かぬ当城砦を立ち直らせた

 偉大なる城砦騎士団中興の祖。


 我ら騎士団員全てにとり、寄るべき大樹

 であり慕うべき慈母である『城砦の母』。


 此度の合同作戦においてもやはり陰ながら

 これを差配し支え成功に導いて、遂には

 西方諸国連合国中序列4位。連合公爵位

 へと累進するに至った我らが騎士団領の王。


 城砦騎士団第三戦隊長にして城砦騎士

 クラニール・ブーク連合公爵閣下。


 諸君、この方へと些かの祝意をも示さずに

 此度の集いを終えて良いはずがあるだろうか」



サイアスの問い掛けに2000余は

口ぐちに否やを唱え、会場は濁流に

呑まれたが如き騒擾に包まれた。



サイアスは再び手を掲げすっと下ろした。

すると無間の如き喧騒は一気に静まって

再び耳をつんざく静寂が訪れた。



「あぁ、そうだろう。

 そうであろうとも。


 人の世を護るべく人の世の温もりを捨てた

 我らだが、母への敬慕を示せぬ程には

 人を辞めてはいないのだ。


 されば諸君、まずはこのサイアスに、

 諸君ら全てのその想いをことづけて頂こう。


 我らの謝意と祝意と歓びとを

 私は旋律に乗せて伝えよう。


 城砦の母にしてパパとも成った方。

 第三戦隊長クラニール・ブーク閣下。

 これぞ我らの想い、その一端です」



サイアスはそう語るといつのまにか

自身の席へと引き上げていた騎士団長

チェルニーに代わって壇上へと向かった。


向かいざま不意に現れたアトリアより自身の

ヴァイオリンを受け取ったサイアスは

それを構える、かに見せて。


まずは壇の西手で照れたような、

困ったような笑みを浮かべる

ブークその人へと一礼した。




と、その時音色が響いた。


深く豊かで緩やかな弦の音は、柔らかく軋む

揺り椅子でのまどろみに似た。そして再び

繰り返される旋律は母の腕に抱かれて

眠る赤子の心地を想起させた。


音色は円形舞台のやや東手から。

騎士会の座席の半ばより響いていた。


2000余はそこに座す一人の女性騎士が

人の同ほどもある大振りな楽器を床に立て、

抱きかかえるように演奏している様を見た。


ふくよかでそれでいて規則正しい、

心地よい音の揺れを響かせているのは

第一戦隊の騎士ユニカだ。


ユニカの一列前の先で不意に同形の、

こちらは子供の胴ほどの楽器を構えたのは

第二戦隊の騎士ミツルギであった。


ユニカの響かせる旋律に合わせ、ミツルギは

それよりもやや高い、艶やかな男声に似た

音色を奏でた。奏でる旋律はユニカのものと

似て豊かであり緩やかで、ユニカの旋律を

追いかけるようにして自らの音色を歌った。


大小二つの弦楽器が同じ主題に則り

自らの旋律を朗々と奏でる中、新たな

音色が北西より鳴った。


見やれば参謀部の席の最中に立つアトリアが

ミツルギと同種の弦楽器を構え、それより

やや高く調律された、甘やかな女声に似た

音色を奏でていた。


アトリアの奏でる旋律もまたユニカと

ミツルギの奏でる旋律に似ていた。


朗々たる大地、滔滔たる大河。


ユニカとミツルギの奏でるそれらに

アトリアの奏でる川風の如き音色が加わって

同じ主題を追い調和した旋律を奏でていた。


そこにさらなる音色が連なった。

円形舞台の壇上よりサイアスの奏でる

その音色はそれまでの三つよりさらに高く、

大地と大河の狭間に立って川風と水を浴び

歌う乙女たちの声に似て麗しく澄明だった。



こうして四つのヴァイオリン属は

各々の音色で一つの主題を歌い上げ

予定調和の如き天上の多重奏ポリフォニーを成した。


四つの高さの四つの旋律は一つまた一つと

追い連なって重なり合って四重奏となり、

緩やかに上下しつつ円環する主題は次第に

その華やかさを増してゆく。


いや、四つばかりではなかった。

いつしか音色はブークの周囲からも響いていた。

四重奏を或いは追い或いは導くように楽隊は

めいめいの楽器で同じ主題と旋律を表し、甘く

優しい音色の風が立ち竦むブークを包んでいた。





――古い曲だ。


ブークは瞑目した。


――トリクティアの宮廷で、劇場で。

  好んで聴いていた、あの曲だ。


人魔の攻防の最前線に8年。二度と耳にする

ことはあるまいと思っていたあの曲が、戦友

たちによって今、自身のために奏でられていた。



さながら巡り移ろいゆく歳月と人の生。

そして人として、人と共に生きる喜び。

旋律は優しくそう歌っていた。



天を仰ぎ降り注ぐ星月の滴を浴びるが如く瞑目

するブークの心中には、荒野の城砦へと至って

より8年間の苦難が去来した。


そしてそれらは今この音色によって、

一つ残らず溶け解け消えていくのだった。

此度のサイアスらの演奏は

「カノン(パッヘルベル)」の主題と

旋律をそのモチーフとしております。

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