サイアスの千日物語 百五十三日目 その五
第三時間区分終盤、午後5時半。
式典会場の設営が完了した。
内郭北西区画南部、劇場前広場にはさながら
円形劇場の如く、或いは薔薇の花弁の如くに
外縁部へ向かう緩い上りを伴った観客席が
設えられていた。
施工の管理を担当した三戦隊資材部所属な
職人の頭は地表高半オッピ程となる外縁部より
中央の真円を見下ろし、再三に渡る強度確認の
末完了の許可を出した。
中央の舞台は半径10オッピ。何を演るにも
十二分に広く、さらに舞台内にも客席や指揮壇
などが設けられていた。言わば劇場内の劇場
であり、すなわち外縁部は第三の壁でもあった。
職人頭の許可を得て、工兵衆は城砦内の各地
へと伝令に散った。中央城砦は余りに広大だ。
例えば当地より対角線上となる内郭南東区画。
第二戦隊の城下町からは徒歩にて優に30分は
掛かる。伝令の往来に掛かる時間も含めれば
然程に余裕のある状況でもなかった。
式典準備完了の報せを担う工兵らのうち
本城入り口へと至った者は、歩哨の兵らに
当該内容を伝達した。歩哨の兵らはさらに
内奥に立つ歩哨へ向けて大声で伝令内容を
伝え、内奥の兵らはさらに深奥へと送る。
声のみが速やかに大路を駆けゆき中枢区画に
聳える中央塔にまで届き、中央塔上層にまで
到達した伝令内容は光通信となった。
此度の戦勝式典は騎士会の叙勲式も兼ねている。
城砦北方領域の支城ビフレストや歌陵楼。
そして新造の拠点エルデリート及び城砦南東の
防衛拠点へも通達が成され、それらの地の指揮官
である騎士や兵士長らも騎馬で会場を目指した。
城砦外、遠方へは光通信での伝達が成されたが
城内各所へは伝令がその足で直に伝達した。
彼らが城内各所、各戦隊の各隊の下へと赴くと、
不思議な事、なのかどうか。どの隊も既に隊伍
を整え待機して、鼻歌交じりでご機嫌な様子だ。
此度の式典には補充兵や新兵を除くほぼ全て
の城砦騎士団員が参列する事になっている。
参列者は恐らくこの式典本番に備える形で
この時間区分をも休養に当てていたのだろうか。
とにかくどの戦隊のどの隊においても参列者は
集合を済ませており、揃ってにこやかに鼻歌
なぞを響かせていた。
伝令を担う工兵は当然ながら劇場内で
最後の詰めに励む楽隊の下へもやってきた。
工兵は楽隊の余りに異常な死兵感に満ちた
雰囲気にうっと一声呻きつつ、目を爛々と
輝かすマナサへ。そして自身の上長でもある
ブークへと伝えるべきを伝えた。
「あちらは既に調ったか。
マナサ君、楽隊の様子はどうかな」
「下限値2は達成しているわ。
ソロパートを担う者にはもう少し
調、いえ教導を続けたいところだけど」
マナサは妖艶かつ嗜虐的な眼差しを楽隊へと
向けた。楽隊はこれに怯え竦む余力さえもなく、
ただ粛々と機械的に反復練習に励んでいた。
「ははは。まぁ楽隊は見た目も大事だからね。
目標値を達成しているなら休息させよう。
祈祷士諸君、回復祈祷漬けにしてくれたまえ」
ブークの言に合わせ、今や10名にまで
増派されていた祈祷士らが一斉に楽隊の下へ。
これでもかと回復祈祷を仕掛け、楽隊は徐々に
ぐったりと「休養」しはじめた。
技能値の習得には成果値に加え十分な休養が
必要となる事もある。此度の特訓に際しては
そちらも定期的かつ強引にとらせ最適最速の
成長環境が整えられていた。
「今回は1時間たっぷり休ませよう。
その後は暗示を掛けつつ最終調整だ」
大一番に臨むプレッシャーは生半ではない。
如何に高い技量を有していても、本番に
「呑まれて」しまっては使い物にならない。
そこで素人を本番で用いる場合は精神面での
ケアも多分に必要となる。技量が落ち着けば
あとはそれを最大限発揮できるよう精神状態を
整えてやる必要があるのだ。
元より荒野の異形と渡り合えるだけの高い
精神力を有する者らの集いではあるが、戦と
演奏会ではまた勝手が違ってくる。
個々人の精神の値を即座に伸ばす事はできぬ
ため、とりあえずは暗示で上積みしてやる
必要がある。それには回復祈祷により半ば
催眠状態となっている方が望ましい。
要するに、疲れているだろうからたっぷり
休ませる、という慈悲深い仕儀ではなかった。
暗示に掛かり易くなるようたっぷりの祈祷で
夢遊状態に。蓋しそういう事であった。
式典会場の完成と各所よりの人員の移動開始は
会場より最も近い、同一区画にある第四戦隊
へも伝達された。但し伝達を担ったのは工兵
ではなく、アトリアであった。
「各所より各隊が移動を開始しています。
四戦隊におかれては他の移動が済んだ後、
7時に現地入りで問題ありますまい」
とアトリア。
既に営舎にはベオルクと騎兵隊も戻っていた。
「うむ。ワシとサイアスは中央の
舞台内に着席する事となるな」
とベオルク。
酢昆布と茶を楽しんでいた。
「舞台内の客席と外部の観客席は完全に
別れているのですね。アトリアさんにも
舞台内に居ていただいた方が良さそうだ」
「でしたら参謀長の席に陣取っておきますね」
「というと此処かな。了解しました」
サイアスとアトリアは会場見取り図を下に
何やら打ち合わせに励み、周囲はそれを
鼻歌交じりでニヤニヤと見つめた。
この頃には四戦隊総員はサイアスの意図を
十二分に把握していたし、元よりとにかく
お祭り好きかつお調子者でもあるために、
積極的に応援する風でもあった。
無論根底には城砦の母たるブークへの
平素より伝えきれぬ感謝の想いがある。
母へのサプライズプレゼントのためなら
幾らでも嬉々として手伝おうというものだ。
「俺らにも見せ場が欲しいなぁサイにゃんよ」
とインプレッサ。
大口手足増し増しとの一戦で負った
傷の治療は大過なく進んでいるようだ。
「全員が主役。そういう
式典でありたいものですね」
とサイアスは薄く笑った。
「おーおー悪そうな顔だ。
副長そっくりだなぁお前」
「それはまた心外な」
インプレッサとサイアスの軽口に
騎兵衆はケラケラと笑い、
「……」
「副長! 怖いっす!」
ジロリとベオルクに睨まれ
インプレッサは怯えた。
「ここで斬られるか、直ちに
『くろくま』を注文してくるか、選べ」
「ッ!?」
魔剣の柄に手を掛けて
スイーツを寄越せと脅すベオルク。
その目は完全に据わり、部下の命より
スイーツが大事だと雄弁に物語っていた。
「私の分も宜しく」
「あぁ私もお願いしますね」
「うちらもね!」
「ほらさっさといきなさいよ!」
次々と副長に続くサイアスやアトリア、
さらにはサイアス一家にフェアレディーズ。
あれよあれよと「くろくま」14人前だ。
「ちきしょう……
ちきしょぉおおおおっッ!!」
インプレッサはこれ以上便乗が増える前に、
と半泣きで厨房へと駆けていった。
1オッピ≒4メートル




