サイアスの千日物語 百五十二日目 その八
城砦内郭北東区画。
ここには城砦騎士団の防衛主軍たる
第一戦隊のうち主力大隊が駐屯している。
平素は昼夜を問わず縦にも横にも嵩張る大兵ら
が集い或いは陣形演習に、或いは第一戦隊体操
にと賑やかに励むこの一角も、ここ最近は随分
と閑静な佇まいだ。
理由は彼らの多くが昼夜を問わず、
各地の施工現場へと散っているからだ。
屈強な肉体を誇る第一戦隊総員は
土木作業員としても抜群の働きを示す。
ネジ穴などは一捻りで破壊してしまうため
細かい作業は絶対にさせてはならないが、
大型貨車で仰々しく運ぶべき多量の建材を
各自が手荷物感覚で現場へと持参しては鼻歌
交じりに組み付ける様など、三戦隊の工兵や
職人からすれば開いた口の塞がらない有様だ。
彼らはこうした作業を軍務でも工務でもなく
筋トレの一環として嬉々として取り組むため
施工の進捗はとにかく素晴らしかった。難点を
言えば隙あらばポージングに励む点だが、
その程度は目を瞑って然るべきだろう。
元来巨漢らが無理なく挙動できるよう設計されて
いるこの一帯は、道も壁も建物も全てが大味と
いうか大振りな造りだ。お陰で御伽噺の巨人の
国に迷い込んだかのような錯覚すら覚える。
そんな中、北東区画の中央やや北寄りに聳える
突拍子も無い大箱。第一戦隊の、いや城砦騎士団
の誇る超弩級大型食堂「ヴァルハラ」。
どれだけ人が出払っていてもここだけは常に
腹減りマッチョどもで溢れかえっている、
そんなヴァルハラの地表高2オッピを超える
巨大庭園の如き屋根の上にて、騎士と軍師が
対峙していた。
ローブ姿でありながら異様なまでに機敏に動く
不可思議な軍師とは、サイアスの命を受け当地
へと足を運んだ参謀長補佐官アトリアだ。
そして暇さえあればヴァルハラの屋上に
彫像の如く屹立して周囲を睥睨し、時間区分が
切り替わる毎に地に降り立っていざヴァルハラ
と勇み立つこの城砦騎士とはユニカであった。
「貴方がここにやって来るとは
珍しい事もあるものですね」
と第一戦隊主力大隊所属騎士ユニカ。
夜目にも眩い白磁の装甲にオリーブの縁取りが
成された瀟洒な重甲冑を纏い、左手に重盾
メナンキュラス。右手に専用の十文字槍。
彼女が自ら任じる最大の任務とは、第一戦隊の
神聖にして母なる地、このヴァルハラを遍く
外敵から護り抜く事である。
遠地への出征などは以ての外。よって他の
戦隊騎士や兵士らのように各地の施工現場へ
赴くような事は断じて無い。戦隊長命ですら
平然と無視する。騎士団長命など鼻で嗤おう。
「そうですね。
こうして態々ヴァルハラの屋上にまで
やって来たのは、はじめてかも知れません」
とアトリアは淡々と。
そもそもヴァルハラには屋上へと上る
如何なる階段も梯子も存在しなかった。
よって此処に至るには出鱈目な脚力で一気に
跳躍するか忍び道具でも用いて登攀するか、
或いは内郭隔壁より飛び移るかだ。
城砦騎士ユニカは前者を。一方の
城砦軍師アトリアは後者の手法を採っていた。
「それで私に何か?
判っているとは思うが、遠からず
第四時間区分が終了する。すると食事だ。
何人たりとも私の食事の邪魔は許さない」
第一戦隊では時間区分毎に食事をとる。
各時間区分の終盤とは第一戦隊員にとり、
最も腹減りの激しい頃合であった。
「サイアス卿より言伝です」
「サイアス殿? 私にですか?
ならば良し。じっくり伺いましょう」
食事の時間が差し迫っているというのに
ユニカは重々しく頷いて見せた。
「食事は宜しいのですか」
「勿論です。
『ただしイケメンに限る』
と言うではありませんか」
「確かに」
どうやらそういう事であった。
「ふむ、面白い……
『ブラックマッスルズ』に見せ場があって
『ビューティフラワーズ』には無いなどと、
断じて容認できるものではありません」
ユニカは力強く頷いた。
かつて第一戦隊には2つの精鋭部隊が在った。
一つは主力大隊長でもある戦隊長オッピドゥス
直属の最精鋭な教導隊。城砦騎士ルメール率いる
ブラックマッスルズだ。
今一つとは、現在はシベリウス大隊として
中央城砦を離れ北東の支城ビフレストに駐屯する
精兵隊であり、ユニカは精兵隊の元副長だ。そして
今はそのうち女性のみでビューティフラワーズなる
特務隊を成していた。
精兵隊150名は隊長シベリウスが支城詰め
となった事で100と50に分割され、うち
50は副長ユニカと共に中央城砦へ残留し
主力大隊に編入される事となった。
中央城砦に今なお詰めるオッピドゥスの
主力大隊は戦隊副長大隊と同様に多数の補充兵
や新兵を抱えており、教導隊と元精兵らは平素
はそれぞれ別個に彼らの教育を担当している。
つまり主力大隊には教導隊に育てられた黒組と
元精兵衆に育てられた花組がある訳で、両者は
互いに互いをライバル視する傾向があった。
要するに。
教導隊長ルメールと元精兵隊副長ユニカは
それぞれクラス担任のようなもので、平素
より何かに付け張り合う間柄だった。よって、
「引き受けて下さると」
「勿論です」
とユニカは二つ返事であった。
「得意な楽器などおありですか?」
とアトリア。
「チェンバロであれば相応に」
とユニカ。
もっともチェンバロとは室内に据え置いて
用いる家具並みに大きな鍵盤楽器であり
「生憎屋外での演奏ですので」
此度の演奏会で出番はなさそうだった。が
「担いで運べば良いではありませんか。
そういう勇者が居たという伝承もあります」
何やら無茶を言い出すユニカ。
彼女ならそれも可能なのかも知れないが
「すぐに露見してしまいます」
「あぁ、それは確かに……」
サプライズの意味が変わってしまう。
アトリアの言うところはもっともであった。
「選択肢はこちらです」
と矢張りブークの供回りより拝借した
平原より移送してきた軍楽隊制式装備群たる
楽器のリストを見せるアトリア。
「ふむ。ではこれにしましょう」
「チェロですか」
「えぇ、チェロです」
それがユニカの選択であり
「弾けるのですか?」
「名前が似ているから大丈夫でしょう」
「……そうですか。
では直ぐにお持ちしますね」
どうやらそういう事になった。




