サイアスの千日物語 三十二日目 その二十六
サイアスたちと鑷頭との死闘は、既に10分以上に及んでいた。
通常、よほど実力の拮抗した者同士であっても、
近接戦の場合は長くて数分。大抵は数秒から一分以内でかたが付いた。
相手の限定された接近戦はほぼ例外なく短期決戦であり、
短期決戦であるからこそ、相対する者同士
全身全霊を注ぎこんで最大限の力が出せると言えた。
サイアスと鑷頭はこの10分間、付かず離れずの状態で
ほぼ同等の運動をこなしていた。身体の大きさや重さに関係なく、
膂力が高ければ瞬発力を用いて素早く動くことができる。
そして体力があれば、継続的に身体を動かし続けることができる。
この二点において鑷頭がサイアスに劣ることなどまるでなく、
むしろ有利と言えたのだが、払うべき代償の点では圧倒的に不利であった。
大きくとも重くとも、膂力次第で素早く動ける。が、そのために
大柄で重い者が支払う代償すなわち体力は、小柄で軽量な者とは
比べ物にならぬほど多量であった。
サイアスの4倍以上の体格と10倍以上の質量を持つ鑷頭が膂力任せの
素早い挙動を成した場合、一度に消耗する体力はサイアスの消費量を
40倍したよりさらに大きいものだったのだ。
『戦闘てのは常に動きながらやる。装備状態で動き回るには体力が要る。
戦闘では武器を何度も振り回すことになる。武器を振り回すには
体力が要る。どんだけ腕がよくて装備が揃ってても、
疲労困憊したらただの的だぜ。袋叩きにされちまう。
ここじゃ、魔や眷属に美味しく召し上がられるわけだな』
オッピドゥスのこの言及は、まさに正鵠を射ていた。
鑷頭にとっての腕や装備とは、自らの巨体そのものであった。
これらを動かし続け疲労困憊の極致に至ろうとしていた鑷頭にとって、
もはや残された猶予も策も尽きつつあった。
ことここに至って、鑷頭は最後の賭けにでることにした。
疲労困憊を装って動きを止め、トドメを刺しにきたところを
喰らいついて仕留めるという策だ。
鑷頭がサイアスへ襲い掛かるのをやめ、サイアスとの
距離を取った上で動きを止めれば、十中八九、城門前にて
文字通り手薬煉を引いて待ち構えるラーズたちの餌食となるだろう。
だが鑷頭にはそれらを甘受したとしても仕留められ得ぬだけの防御力と
生命力があった。重傷を負っても致命傷は負わぬという自信があったのだ。
そこで自らの頑健さを盾として、まず眼前の目障りにして耳障りな小僧を、
こ奴だけは何としても始末しようと覚悟を決めた。
後のことは後で考えるべきだろう、と。
鑷頭はまさに捨て身の覚悟で方策を固めると、
間を置かず果断に策を実行に移した。
鑷頭が動きを止めたのを見て取ったサイアスは、
やや首を傾げつつも歌をやめず、警戒して近寄らず、
むしろ好機とばかりにさらなる大声で歌いだした。
人より遥かに優れた鑷頭の聴覚にとり、
この歌声は刺激が極めて強すぎたが、窮余の一策のためひたすら堪えた。
死闘を見据える大勢の観衆の声はいや増し、サイアスによる
止めの一撃を待ち望む風だった。サイアスはそれらを
その身に感じつつ、やや逡巡しつつも少しずつ鑷頭に近づき始めた。
鑷頭は心の中でほくそ笑み、
このくそ生意気なチビを噛み砕くその瞬間を切望した。
ドドドシュッ。
鑷頭は自らの頭部から迸る連続音と身を裂き貫く激痛に耐え切れず、
悲鳴を上げた。ラーズの放った渾身の征矢が、
神技の冴えを発揮したのだった。
ラーズはまず、鏃の先端が平らになった2矢を放った。
この鏃は一言で言えば鏨であり、板金や厚みのある
装甲を断ち割るためのものであった。鏨矢は装甲を粉砕する能力に
特化した矢であり、鑷頭の外皮といえども無傷では済まず、
矢の到達に先立ってかろうじて閉じた目の、瞼の外皮を突き破った。
ラーズの神技はここからだった。ラーズは鑷頭の目に付きたてた
2矢の僅かな間隙を縫って、鋭利な先端を持つ1矢を放った。
放たれた矢は過たず2矢の間隙へと潜り進んで、鑷頭の左目の奥まで
貫き進み、僅かに矢羽根を残すのみとなった。この一撃は鑷頭の頭部に
深刻な損害を与え、鑷頭は絶叫を堪えきれなかった。
だがこれで終わりではなかった。最後の1矢がさらに放たれ、
目に突き立った矢の羽根の中枢にある芯へと進み、
それを割り進みながらさらに奥へと刺し貫いた。
4矢目は3矢目の鏃にまで到達してこれを弾き飛ばし、
3矢目の鏃は矢から飛び立って右目から飛び出した。
これにより、鑷頭は両目を破壊され視覚を失ったのだった。
激痛と共に視界が赤く染まり、ついで黒くなって闇に落とされた鑷頭は、
絶望の絶叫をあげつつもまだ勝負を諦めてはいなかった。
この場を生き延びさえすれば、ゆっくり再生をかけることができたからだ。
魔や力ある眷属には驚異的な再生能力が備わっており、
四肢は言うに及ばず、時間と体力を消費しさえすれば
目すら元通りに修復できたのだ。
鑷頭は激痛で飛びそうになる意識の中、残された鋭敏なる聴覚で
サイアスの挙動を捕捉していた。サイアスは鑷頭に
止めの一撃を加えるべく徐々に距離を詰め、最後にタタタと足を鳴らした。
鑷頭は勝利を確信し、緩慢にしか開かぬ口に総ての膂力を注いで
千切れんばかりにこじ開けつつ前方へ跳躍した。悪くても体当たり、
美味くいけば噛み砕きがきまる。鑷頭は勝利を確信した。




