サイアスの千日物語 百五十二日目 その三
「まず大前提として、実物は既に
処分しました。完全に。根底から。
この世に在ったという『記憶』ごと。
ですので『あの仮面』に係る
如何なる事象も最早起こりえません。
この世界では、ね…… フフ」
目深なフードの下から微笑を覗かせ、
祈祷師パンチョはそう語った。
「『処分』には騎士団長及び筆頭軍師が
立ち会っている事を補足しておきます」
軍議の進行役を務める筆頭軍師
ルジヌが無表情にそう述べ、
「正直、見るんじゃなかった」
と騎士団長チェルニーがぼやいた。
「まぁまぁそう仰らず…… 私への
不審を取り除くには必要な事なので」
クツクツとパンチョは笑い、
「簡潔に申さば、アレは面ではない。
『門』です。アレを通してこの世界に
あちらの存在を受肉させるための、ね」
と述べ、室内の空気は不穏に満ちた。
「……ふむ。魔に関わる事か?」
剣聖ローディスが思案気にパンチョを見やった。
その眼光と剣気には平素の如き容赦がなかった。
剣聖の剣呑ならざる剣気を浴びても何ら動じず
目深なフードの下に微笑を覗かせるパンチョは
「仰せの通りかと存じます。ただし
『仕手』は飽く迄も人ですがね……
要は黒の月、宴の折の魔の『顕現』
を人工的に起こすための道具なのです」
と述べて周囲を凍りつかせた。
「かつて参謀長に問われたサイアス卿が
答えられたように、魔の顕現なる事象では
然るべき『界面』の発生が要件となります。
概念と具象、彼岸と此岸との接点たる
界面を構築し『境界』を越えて行き来する。
この事象を『あちら』の大物がやる場合に
『顕現』だの『降臨』だの呼び習わしている。
幸い未遂に終わったので、『あちら』さんが
何方かまでは判じようがありませんがね……」
「既知の魔では無い可能性もあるという事か?」
とオッピドゥス。
「悩ましいところですねぇ。そもそも
『人からみて』超常かつ高次の存在なんて
幾らでもおりますので。ただその一方で
『人が』認知している存在なんて限られている。
ですので何とも申し上げられません。
ただ奸智公ではないとだけは断言できます。
彼女は取り立てて顕現すべき理由も意向も
まるで持ち合わせてはいないので。
呼ばれたところで鼻で嗤って無視でしょう。
……とあるお方が呼んだなら話は別ですが」
うぅむ、ぬぅん、と如何とも
し難い風な呻き声が満ちた。
「魔法陣やら数字の仮面やらについては
矢張り関連性があったのだろうかね」
とブーク。
「方法論として、矢張り多量の血と屍を
用いようとしていたのは間違いないかと。
異形に比べ人は小柄で血も肉も少ないので
数百から千程度では不十分だったのでしょう」
とパンチョ。
「先のラインドルフ襲撃も
この面に絡んでいると見ているのか?」
とベオルク。
「ラインドルフ襲撃及び赤の覇王による
拠点殲滅。さらには先日の女傑三人衆に
よる『取立て』も絡んでいるものかと。
面が砕かれても再生したのは、既に
ある程度『力』が集まっていたから
だと、私はそう見ております。
数字の仮面に関しては件の面の
『劣位な』複製品の類でしょう。実際に
どれほど力を有していたかは、実物を
見ておりませんので、何とも申せません」
パンチョは問われるままに淀みなく
「『劣位な』とは?」
「『優位な』または『同等の』複製品も
在る、もしくは在った模様です」
さらなる呻きをもたらした。
「件の面とはその実半ば『概念存在』であり
物理的に破壊するのはほぼ不可能なのですが
当方へと持ち込まれた時点で既にその機能の
大半が損壊しておりましてね。
まったくヴァディスの馬鹿力には畏れ入る
しかありません。 ……今のは議事録から
省くようお願いしますよ? 後生ですので。
とまれ機能面では既に使い物にならず、
吸い出せる情報も限られてはいたのですが、
少なくとも『優位な』或いは『同等の』
複製品が、少なくとも1つは存在する事が
判明しております。
また外観に関して言えば……
ヴァディスに粉砕される以前から、あの面の
目の周囲にひび割れ風の模様があったらしき
事が確認できております」
「……」
パンチョのその言に
ブークがはっとして黙り込んだ。
ブークはその目で見た事があったからだ。
およそ人ならざる気配を持った、目元に
ひび割れを有する顔をした者を。
「グウィディオン……
あの男は、そういう事なのかね?」
ブークは慎重に言葉を選んでいた。
かつて平原の東域で。
私掠兵団を率いて暴虐の限りを尽くし、
無数の死と絶望を振りまいた末追われて
潜伏し荒野へと逃亡して、遂にはニティヤに
討ち取られた、現行史上最凶かつ随一の梟雄。
東方の都市メロードの豪族グウィディオン。
面頬の下から覗くあの者の気配そして眼光は
人の領域に既になく、その目元には無数の
ひび割れがあった。
かの者が面を所持している、またはいた事が
あったとするなら、どうだろう。諸々符号する
ところはないだろうか。
ブークの言に会議室は騒然となった。
「蓋然性は高い。遺憾ながらそういう
言い方でしか表現できません。矢張り
『実物』を見ておりませんので。
仮面の多くは魔具であり、着用した者を
乗っ取ろうとします。また大抵の仮面は
仮面としての実体を保ったままそうする
ものですが、中には着用者と同化する
ものもあります。
仮定に推論を重ねればの話ではありますが
案外そうかも知れないな、とは思いますよ。
むしろその方が筋書きとしては面白い。
と、これは失敬…… ククク」
目深なフードのその下には
仮面の如き笑みがあった。




