サイアスの千日物語 百五十一日目 その十二
第4時間区分の半ば、午後の9時。
この頃には合流したデレクらを含む総員が
ほぼ初見となる各々の担当楽器で意図通りの
音を出せるようになっていた。
言わば楽器を有意な音を鳴らすための道具
として、適宜使えるようになったわけだ。
だが単に音を鳴らせるだけでは
使いこなせるとまでは言い切れない。
この先有意な音の組み合わせを時宜に則り奏で、
旋律と成して初めて楽器を使えると言えるのだ。
つまりは彼ら新生軍楽隊の面々は漸く
スタートラインに立った、蓋しそういう
見立てが適切であろう。ブークはそう判じた。
「うむ。皆、得物が
手に馴染んできたようだね」
選曲に励む手を止めて楽団員らを見渡し、
満足げに頷いてそう告げるブーク。そして
一同は満足げに、これに頷き返していた。
「ではそろそろ特訓を開始しようか」
それが武器であれ武器以外であれ、道具を
適切に扱うにはその道具への習熟度が必要だ。
これを種毎に分類して分析し数値化したものが
「軍師の目」の判じる「技能値」である。
楽器の演奏に関してはまず大前提として
「演奏」技能が必要で、これの範疇内の小分類
として個々の楽器の技能値が設定される。
例えば死闘の最中でさえ平然と、異形らをも
魅了する旋律を奏でるサイアスの「演奏技能」
は平原なら師範級とされる6に達していた。
一方ハープやフルートにチェンバロさらには
ヴァイオリンといった、幼少より母にそれは
もぅ徹底的に仕込まれまくった楽器群自体の
技能値は死闘を経て7。既に名手の域にあった。
この場合、実践もしくは実戦に際して顕れる
技能値は、大分類たる演奏技能に準じるところ
となり、つまりは6。そういう事なのだ。
よって各楽器の技能に合わせて演奏技能を
習得せねば、演奏会のような大舞台では機能
せず、逆に演奏技能が高ければ個々の楽器の
技能値が低くても多少アドリブが効くのだった。
新生軍楽隊で言えば新入りなシェドらを除けば
演奏技能が2から3、数名4が混じる程度で
ブークの指揮技能が6。楽器に慣れさえすれば
十分演奏会に耐え得る風であった。
よってブークは此度の演奏会に向けて、
総員の演奏技能値を最低でも2以上にする事を
目指した。現状最も演奏技能が低いのはシェド
とランドで0であるからこれを2にするのが
目標という事だ。
技能値の上昇には成果値が要る。
成果値は訓練や実戦経験により獲得され、
此度は訓練での獲得を目指す。
訓練には3種ある。「独学、師事、特訓」だ。
このうち特訓は前者2種と重複し得る。
此度は師事かつ特訓でいく事になる。
またさらに集団教導を併用する。こちらは
指導者の「雄弁技能」による補正も入る分
師事よりさらに高い効果を得られる
可能性があった。
第三戦隊長たる城砦騎士クラニール・ブークの
演奏技能は一流の4。雄弁技能は8と達人級だ。
演奏技能値0なシェドらに対しては1時間区分
につき最大で45点もの成果値が得られる
可能性があり、無論ブークはそれを目指す。
技能値が0から1になるには100点の
成果値が。1から2へと至るには200点の
成果値が要る。合計では300点という事だ。
演奏会は二日後の夕刻なため、時間区分は
ぎりぎり7つ。7回全ての教導判定で致命的な
結果を出せば、現段階で技能値0の者は
303点の成果値を獲得できる。
まさにギリギリの綱渡りだ。
だが一点致命的な問題もある。それは特訓の
特徴に起因した。特訓は成果値を3倍に増す。
が、極度の疲労から次の時間区分を休養に
あてねば壊れてしまう。
特訓は連続ではおこなえず、
特訓を混ぜる以上休養も必要なため
使える時間区分は精々4回となってしまう。
そこで、ブークは一計を案じた。
第4時間区分終了間際、午後11時50分。
徹底した教示と反復、周囲との合わせにより
漸く音の粒が揃い出した一同は疲労と共に
達成感、満足感を堪能していた。
中央城砦での生活は時間区分単位で設計
されている。時間区分の運用法は訓練、軍務
そして休養の三種の組み合わせであり、大抵
軍務や訓練の前後は休養が入る事となる。
此度のこれがそれら三種のどれにあたるのかは
不明だが、とまれ次の時間区分には次の行動を。
それが楽団員らの成す穏当な判断であった。
そこで一同はふぅ、やれやれと良い笑顔を
浮かべつつ、とりあえず帰るか、といった
素振りを見せ始めた。
だが、現実は非常であった。
非情ではない。非常で合っている。
何故ならば彼らのもとへと参謀部所属
祈祷士の群れが押し寄せたからだ。
呆気に取られ説明を求めて見やる楽団員らに、
楽団長であり指揮者であり、コンサートマスター
でもあるブーク公爵閣下は微笑んだ。
「皆、よく頑張ってくれたね。
随分疲れただろう。そうだろうとも。
そこで回復祈祷だ。疲れは霧消する。
その後すぐに特訓再開だ」
そう、ブークは楽団員らを帰す気も
休ませてやる気も持ち合わせてはいなかった。
疲れは回復祈祷で強制撤去し、そのまま
只管訓練続行。疲労困憊する度祈祷で回復し
以降二日後まで時間区分7つ分、とことん
しごき倒す気であった。
「大丈夫だ。諸君らの上官には
二日間諸君らを貸与くださるよう
許可を取ってある。特務召集という事さ。
この劇場には一通りの施設が揃っているし
空腹ならどこの営舎からでも幾らでも出前を
取り寄せさせて貰うよ。無論一戦隊の流儀に
合わせ1日4食で構わない。
とにかく二日後の本番が終わるまで、諸君は
只管音楽漬けだ。余事は一切考えなくて良い。
私が城砦に着たばかりの頃はこんな感じで
経理に励んだものさ。経験談からいって
三日までは不眠不休で大丈夫だ。それ以上は
倒れてしまうからお勧めできないが、今回は
二日だからね。ヌルいヌルい。ははは」
8年前に経営顧問として中央城砦に赴任した
ブークは、破綻寸前の財政と真っ向勝負し
何度もボテボテと倒れつつ遂には黒字経営に。
そうして騎士団中興の祖、城砦の母となった。
そのブークが言うのだ。確かに祈祷士込みで
二日ぶっ通し、程度なら死ぬ事はないのかも
知れない。 ……いやどうだろう…… などと
楽団員らは或いは大いに狼狽し、或いはいっそ
さっさと観念した。
「総員の最低水準を実戦レベルにする。
上は伸ばせるだけどこまでも伸ばす。
さぁ次は楽器毎に演奏内容を換えて連携
する訓練だ。朝までに楽団としての調和を
目指す。是非張り切っていこうじゃないか」
総員への回復祈祷が済むのを確認して
ポン、と両手を打ち合わせ、実に良い笑顔で
促すブーク。その目は全く笑っていなかった。




