サイアスの千日物語 百四十七日目 その九
東西に長い楕円をした人の住まう平原。
その最西端で無数の篝火に抱かれて
巨影を落とす鉄色の城。
西方諸国連合軍所属。古い言葉で「門」を
意味する城砦騎士団領内最大の軍事拠点
「トーラナ」の4階。
貴賓室が枝葉となって連なる幹の如き広間は
中央城砦本城中央塔3階同様、食堂を兼ねる
格好と成っていた。
星月を描いたタペストリや随所に灯る
キャンドル等、内装にも随分共通点が多い。
これらはフェルモリア大王国発祥の地たる
北部高原域。すなわち第一藩国イェデンの
代表的な様式だ。
第四時間区分も中盤となる午後8時頃。
トーラナ版「王家の食堂」の一角を占拠して
備蓄問題特別対策室の言わば分室を立ち上げた
騎士団領の王たるクラニール・ブーク連合公爵。
会食後つい先刻までカエリア王その人や
トリクティアの前執政官と和やかに談笑
していた彼は、今は石像の如く硬直していた。
「君、済まないがもう一度頼む」
階下の言わば「本部」よりのっぴきならぬ
一報をもたらした従者に対し、ブークはそう
問い返していた。
ブークがトリクティア中央政府の財務大臣補
であった頃から城砦騎士団第三戦隊長たる
今日に至るまで、10年来の付き合いとなる
腹心たる従者は気遣わしげに再度報じた。
「本日中央城砦へと輸送しました物資のうち、
実際に到着したのは4割弱。備蓄としては
概ね二ヶ月分ほどとなっております」
再度報じられたブークはグラリと揺れた。
ブークはこれまでに何度も激務で身を損ね
ぶっ倒れてきた前科持ちだ。
即座に他の従者らが支えに回った。だが
子煩悩ブーストのお陰か此度は堪えたようだ。
「……どういう事だ。
敵襲でも受けたのかね?」
「いえ、それにつきましては……」
報じた長年来の付き合いな従者は、ブークが
恐らくは無意識裡に聞き流したのだと察し、
6割未着なその「事情」を再度説明した。
「……」
「……閣下」
「……いや、大丈夫だ。
若い頃の私であれば躊躇無く弾劾し
『消し』に掛かっていただろうがね……」
「……」
未だ御歳32。
施政者としては十分に歳若い
ブークは従者らに苦笑して見せた。
「数字を眺めるだけなのに飽きて
荒野の城砦に居付いた身だ。
現場の機微や判断は
十分理解し尊重しているとも」
「ハ……」
財務大臣補として大国の政務の中心にあり、
さながら城砦軍師の如くただ数字の推移のみを
凝視し管理し追い求めていた頃のブークであれば。
最終的な帳尻が合えばそれで良いとする
現場の判断は背任と債務不履行の温床である
としか、見做しはしなかった事だろう。
だがブークは人魔の大戦の最前線における
一挙一動への如実な「手応え」に魅せられて
人智の境界へと居付いた。
そして人の世を護るため笑って死んでいく
剽悍無比かつ実に儚い愛すべきお困り様らと
苦楽を共にして、ブークは変わったのだった。
「まぁ『城砦の母』だなどと呼ばれる
程度には、私も過保護で心配性だ。
ドラ息子どもの呆れた放蕩振りに
いちいち尻込みしては居られない。
ここは一つ、関税の類だと割り切って
いっそ6割増で『わんこそば』してやろう」
悪戯っぽく笑んで頷き、
再びワインへと手を伸ばすブーク。
トーラナ版「王家の食堂」には、かの
騎士団領ラインドルフより「銘酒・歌姫」が
直輸入されており、貴賓らはこの極上の甘露を
存分に堪能できるのであった。
「何と申しますか……
わんこそばと言うよりむしろ、
フォアグラなのかも知れませんな」
君らもどうだ、と杯を薦める
ブークに恐縮しつつ従者が苦笑した。
「ハハハ。確かにね…… とはいえ
『囮の餌箱』だったのも今は昔さ。
今後は『注文の多い料理店』かな」
すっかり平素の穏やかな風情に
立ち戻ったブークはそう応じた。
二日目以降の輸送品目には人資が含まれない。
その分物資の輸送状況は質・量ともに向上する。
現況の北往路であれば、物資のみなら
2時間弱は早く着くのだと判明した事もあり、
ブークは二日目以降の4便ずつな輸送予定を
一気に倍加。8便ずつに修正した。
後にビフレストはこれに負けじと精兵を
総動員する勢いで防壁構築に全力を傾け、
ブークもまた負けじと適宜増量。
終いには一日10便の大台に達せしめ、
強引に当初の備蓄充足速度に到達せしめた。
結果として本来1年は掛かるものと目されて
いた小湿原北側の防壁が1月ほどで完成する
見通しとなった。
とまれこの日、子煩悩ブーストと甘露パワーで
一気に諸々の修正案を仕上げたブーク公爵は
自身にあてがわれた貴賓室へと引き上げ、
鼻歌交じりで所領の奥方への手紙を認めて
まずはゆるりと就寝する事とした。




