サイアスの千日物語 百四十四日目 その七十三
西方三博士とも呼ばれる祈祷師ら。
そのうち2名が商談に夢中であった頃。
ゼルミーラ作戦の戦闘現場となった小湿原の
北西、北往路の西の出口となる隘路一帯の
状況は大きく変化しようとしていた。
ゼルミーラ作戦の戦術目標は小湿原の調査だ。
戦略目標は小湿原の騎士団領化に向けた布石を
打つ事だが、大前提として荒野は敵地の只中。
戦闘状況の発生と同時にそうした目標は
一時留保されていた。
調査であれ制圧であれ既に敵が出張っていて
今後も自在に入り浸られそうだとなると話を
進めようがない。戦闘を死者皆無という最良
に近い形で終えた今一時撤退し再起を図るべき。
「『ゼルミーラ』はこれにて一時中断とし
支城まで退いて新たな戦局に備えましょう」
ゼルミーラ作戦の司令官たる支城副将、
城砦騎士ヘルムートはそう主張した。
城砦騎士団の防衛主軍たる第一戦隊の
幹部らしい、実に堅実な見解であった。
だが救援として同地に至ったサイアスは
「いえ、今退くべきではありません」
と異なる見解を示した。
「今後今この時以上にこの地より
敵の気配が消える事はないでしょう。
西方の岩場における魚人と大口手足の
縄張り争いが済めば魚人と騎士団との
共闘関係は消滅し、魚人が再び小湿原へと
攻め寄せてくる可能性を否定できません。
また従来魚人という必要十分な餌を得ていた
捕食者らが先の大鑷頭と同様に当地を新たな
餌場にせぬとも限りません。
ヘルムート卿、
一時的にせよ敵を当地より追い払った
今こそが、唯一にして最大の機なのです」
先の戦闘の疲労なぞ微塵も感じさせず、
サイアスは平素の装いでそう告げた。
「ふむ…… 確かに貴卿の仰せは
もっともです。ですがそれでも
我が兵らは一旦退かせねばなりません。
その…… 燃費が悪いのです。色々と」
ヘルムートは跳ね上げた面頬の下で
困じ果てた風に額を掻いた。
「あぁ……」
サイアスは直ぐに理解し、
「昼食ですか」
と苦笑した。
「申し訳ない!
近場なので輜重を帯同して居なかったのです。
いえ、本来一食抜くくらいは平気なのですが
先の戦闘では全力を出し切ってしまいまして」
「いえ、謝罪なさるような事は何も。
それもまた第一戦隊。むしろ
微笑ましい話ですね」
「お恥ずかしい……」
クスクスと楽しげに笑うサイアス。
赤面し面頬を下ろすヘルムート。
隘路東端付近で哨戒中の精兵らは
実にソワソワガチャついており、その様は
敵ではなく食い物を探している風情であった。
「問題ありません、ヘルムート卿、
戦闘状況を終えた兵には休養の義務も
ありますし、戦闘中隊は一旦支城へと
お戻しください」
サイアスは頷きそう告げた。
城砦騎士団の服務規程において。
一時間区分内で戦闘状況が途切れた場合、
事情の許す限り戦闘員は続く時間区分を
休養に当てよ。そういう事になっていた。
朝に出立し戦闘状況を経て今は昼。丁度
時間区分の区切れであり、出立前にたらふく
喰らって満ち満ちた精兵らの胃袋はほぼオケラ。
戦勝の高揚とサイアスの鼓舞で絶好調を維持
しているが、時間の経過と共に二次曲線的に
どん底化するのは自明であった。
逆に言えば最高潮なまま城へ戻して食い倒れ
させ休養をとらせれば士気爆超のままだ。
経験の昇華による成長においても良い影響が
出るに違いない。
如何に兵を使うかよりも如何に兵を休ませるか。
大隊指揮官となってからのサイアスはそうした
要素に随分気を遣うようになっていた。
もっとも所詮他人事というか、自分の事は
まるで棚上げして無茶しまくるため、嫁御衆
としては大層おかんむりだ。今も正に
「ただ調査小隊は当地に残し、
一時私にお預けくださいませんか。
作戦自体は是が非でも継続すべきです。
遠からず我が隊も当地に至ります。
小隊の安全は我が名に懸けお約束致します」
との事だった。
「閣下の気力の損耗状況に不安があります。
これ以上の戦闘は控えて頂きたく」
とこれには調査小隊の軍師がピシャリ。
さながら嫁御衆の代理人な様相だ。
と、唐突にサイアスの見知った声がした。
「そうだぞ、さっさと休め。
でないとお前んとこの女衆が
マジピリピリしておっかねぇんだよ」
「おや、レガさん?」
さして驚いた風もなく応えるサイアス。
声の主は第四戦隊騎兵隊「オーバーフラッグス」
の副官にしてデレクの供回りな古参の一人。
所謂「自称イケメンズ」のレガシィだ。
サイアスとはかつて共にこの地に哨戒部隊の
救援に懸け付けて、魚人や羽牙たるズーと
渡り合った仲だ。デレクの供回りのうちでも
特に馴染み深い人物と言えた。
見れば隘路の西の出口から軽騎兵らが滑り込む
ように流れてきて、あっという間にサイアスや
ヘルムート、軍師らを取り囲んだ。
「よース。
元気かーなーそうかー」
見事な青毛の名馬フレックの鞍上で、顎に
手指を添えニタニタとサイアスを眺める
第四戦隊騎兵隊長たる城砦騎士デレク。
軍師の目の保有者でもあり、先の戦闘を
制したサイアスの成長振りにご満悦のようだ。
「デレク様は相変わらず投げ槍ですね」
兄貴分の登場に幾らか表情の和らいだサイアス。
昨日中に別れて後、デレクもまた隊を率いて
大規模な戦闘をおこない完勝を収め、
上位眷属をも斬っていた。
その成長振りもまた確かなもので、そろそろ
若手の呼称が取れそうだ、とは同じく軍師の目
を有するサイアスの見立てだ。
城砦騎士団中騎士会における城砦騎士らへの
呼称のうち、「若手」とは年齢によるものでは
なく、戦力指数が10以上15未満の者を指す。
若手筆頭たるデレクの戦力指数は15弱だった。
今は名馬込みで騎士長級となっている。15を
超えているのは間違いないだろう。
「武器屋的には投げ槍は大歓迎だ。
どんどん投げて新しいのを買ってくれ」
自身に似たような眼差しを向けるサイアスに
デレクは飄々ととぼけてみせた。
「戻ってくる投げ槍とか、作れないですか」
「ないない、儲からないから」
戦地の只中であるはずだが、
周囲からはごく楽しげな笑いが起きた。
と、デレクの傍ら、やや後方からガッガッ
とデレクの鎧の脇腹を高速で小突く者が。
「あーサイアス。
これうちの小隊長な」
とデレク。
「サイアス様ごきげんよう!
騎兵小隊『フェアレディーズ』隊長
シルヴィアです。宜しくお願いねっ☆」
颯爽とサリットを外し髪を棚引かせ、
アイハントな敬礼をキメる女騎兵。
騎兵中隊中、女性のみで編成された小隊
フェアレディーズを率いるシルヴィアだ。
「あっ、アンタずるいわよ!」
早速女の戦いが始まり
「おぃ誰だよお前……」
とチャチャを入れたレガシィは
「他称ブサメンズはお黙り!」
「ちょ、許されざるぞッ!!」
無残にも返り討ちにあった。
「何だか賑やかになってきたので
ヘルムート卿、後は大丈夫です」
と完全に他人事なサイアス。
「そ、そうですな……
遠からず戻って参りますので!」
流れ弾が飛んでくる前に、と
そそくさと戦闘中隊の元へ向かうヘルムート。
「おー、くてらー」
相変わらず投げ槍なデレク。
とまれかくまれそういう事になった。




