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サイアスの千日物語  作者: Iz
第一楽章 荒野の学び舎
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サイアスの千日物語 三十二日目 その二十三

鑷頭へと歩みでたサイアスは右足を引いて左構えとなり、

拳闘士のように左肘を軽く曲げて拳を鑷頭に向け、

ホプロンの円形の面が鑷頭に対し垂直となるように構えた。

右手は右半身よりさらに後方へと伸ばし、手にしたジャベリンを

くるりと旋回させ逆手に握り、穂先を鑷頭に向け風にたなびく

草葉のごとくにゆらゆらと揺らし構えていた。



バックラーのような小型かつ特殊な用途のものを除き、

歩兵や騎兵が手に持つ盾は、ほぼ例外なく非金属製であった。

手でもつ部分にのみ金属を用い、そこに本体となる薄い木の板を

貼り付け、さらにその上から布地や革を貼り付けて補強し、

場合によってはさらに縁取りを施して使用していたのだ。

そのため盾は絶対的な強度や信頼度を誇る主防具ではなく、

斧の数撃で容易に砕かれる程度の使い捨ての補助具とされていた。


そのため盾は敵の攻撃を待ち構えて受け止める「防具」というよりは、

敵の攻め手が完全な形を取る前に自ら進んで当てに行き、

姿勢を崩したり軌道を変えさせたりといった、

積極的な仕掛けで結果論的に防衛をもたらす「武具」であるといえた。


そうした事由で、盾の扱いに長けた者ほど盾を攻撃に用いることになり、

サイアスもまたそうした意図を持ってホプロンを構えていたのだった。



9体目の屍を食らい終えた鑷頭は残る一体を捨て置いて、

食いではなさそうだが活きのいい新たな獲物へと向き直り、

のたりのたりと距離を詰め始めた。

鑷頭まであと10歩という所まで迫ったサイアスは

あらためてこの凶大な眷族を観察した。

鑷頭は大人4人分程の全長を持ち、

そのうち頭部がずば抜けて大きく、全身の4分の1ほどを占有していた。

地に伏せるようにしてたたずむその頭部は閉じた状態で

サイアスの腰ほどの高さがあり、開けば優に大人一人を

縦に噛み潰せるほどの大きさと見てとれた。


鑷頭はこれまで同様のらりくらりとした動きでサイアスに近づき、

やや緩慢な動きでガパリと口を開け始めた。

サイアスは軽く膝を曲げ腰を落とし、瞬時に動ける態勢を取った。

1拍の後、鑷頭の口がサイアスの目線近くまで開きあがったその途端、

鑷頭は目にも止まらぬ速さでサイアスに突進した。


後方で見ていたラーズやロイエは、あまりの速さに目を疑った。

一瞬の半分程の間に鑷頭は10歩分の間合いを詰め、

高く開いたその口をサイアス目掛けて噛みおろしたのだ。

バグリ、と鈍い音を響かせて鑷頭の口は噛みあわされ、

ロイエは思わず声を上げそうになった。

だが、実際に声を上げたのは鑷頭であった。


サイアスは鑷頭の突進にあわせて自ら斜め右へと突進し、

ホプロンの縁を鑷頭の頭を削るように突き出して、

こすり付けつつそのまま側頭部まで滑り進んだのだった。


一昨日までのサイアスであれば、

鑷頭によるこの神速の奇襲をかわせなかった可能性が高かった。

が、昨日巨体を誇るオッピドゥスが一瞬で間合いを詰める様を目撃し、

身体の大きさと速度は反比例せず、むしろ

膂力が瞬発力に強く影響するらしいことを学んでいた。

驚異的な膂力を誇る鑷頭であれば、

驚異的な瞬発力を発揮しても何ら不思議はない、と

端から警戒していたのだった。


陸上での鑷頭は長期的に見れば鈍重そのものではあったが、

短距離短時間においては持ち前の膂力を十全に活かした

爆発的な速度での挙動を成し得ており、緩慢な動きのまま

接近して油断を誘い、瞬時に加速して噛み砕くという戦法を以って

無数の獲物を屠っていた。思わず声を漏らしたのは、絶対的な成功率を

誇る必殺の一撃が外されたことによる怒りと失望ゆえと察せられた。


鑷頭は怒りに任せ、盾で小突きつつ自らの側面を取った生意気な

獲物をひねり潰すべく、左の前肢を振り上げた。

そして寸断した丸太に申し訳程度に指を取り付けたようなその肢で、

サイアスの左足を踏みつけにかかった。


立会いにおいて踏み付けで相手の動きを封じ攻撃するやり口は、

道場剣術などでは忌避されるものであった。逆に言えば卑怯の謗りを受け

忌避される程有用な戦法でもあり、戦場ではこうしたやり口も多くみられ、

まして荒野の眷属はなんの気兼ねもなく嬉嬉として用いた。


もっともサイアスはこれを見切っており、踏みつけにくる肢を空振りさせ、

その肢の膝らしき部分を逆に踏みつけ宙へと飛んだ。

サイアスには鑷頭の後方で尾が左へと撓る様が見えており、

前肢の踏み付けは踏み込みと同義であり、動きを封じつつ

尾による薙ぎ払いの軸とするためだと看破したためであった。


サイアスは足を高く振り上げ、鑷頭の後頭部にホプロンを

なすりつけつつ、くるりと鑷頭の左側面へと滑り落ちた。

直前までサイアスのいた場所を鞭のように撓る丸太の如き尾が薙ぎ払い、

地を叩き付け地面を抉った。


サイアスは着地と同時に左方へと駆け、7歩進んだところで反転した。

鑷頭は悔しげに吠え、大口を開けて威嚇しつつサイアスに向き直った。

その結果、鑷頭は城砦側に左側面を晒すことになったのだった。

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