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サイアスの千日物語  作者: Iz
第六楽章 光と闇の交響曲
1124/1317

サイアスの千日物語 百四十四日目 その六十六

少なからぬ戦力を代価に払いつつも初手で

大鑷頭を撃破した城砦騎士ヘルムート率いる

ゼルミーラ戦闘中隊は、考えうる限り最速の

時宜を以て隘路へと足を踏み入れた。


そこで彼らが見たものは、さながら闇夜の

宴の如き在り得ぬ不可思議な光景だった。


南北幅数オッピと手狭な往路の大部分を

大柄な精兵らよりなお大柄な黒々とした壁が

水滴らせつつ蠢いていて、ずるずると北へ

滑り引き上げていった。


呆気に取られていると河川からは沈んだばかり

の黒壁が、丁度彼らが先刻まで象っていた塔の

如くに聳え立ち、やはり彼らがそうしたように

隘路目掛けてしな垂れ掛かる。


彼らが成した筋肉の塔と明確に異なる点もある。

それはぬめる黒壁のその挙措が圧倒的に敏速で

破壊的である点だ。


鉈の如く降って落ちる度地響きを起こし

鞭の如く撓って薙ぎ払う度突風を巻き起こす。

およそ人の成しうる挙措とは次元の異なる威風

を以て、その黒き禍禍しさは暴威をふるっていた。





「ッ! これが大ヒル……」


歴戦の精兵らが鼻白んでいた。


彼らの多くにとり、大ヒルに遭遇するのは

初めての事であった。さらに遭遇経験がある

者にとっても、かくも近侍した経験は無かった。


精兵衆の詰める支城ビフレストは北往路のうち

大小の湿原の狭間に位置するため北方河川の

河岸そのものからはやや離れている。


そして大ヒルは他の河川の眷属と異なり好んで

揚陸する事はない。河川から身を乗り出して

届く範囲を襲うのが彼らの定石だ。


そのため河岸からやや離れたビフレストと

積極的に関わる事は稀であった。


また大ヒルの主たる生息域はより水深のある

城砦北方領域で、大小の湿原との狭間である

北往路に面した一帯に常に張り付いていると

いうわけでもなかった。


北往路全体で最も頻回に大ヒルと遭遇すると

されていたのは小湿原北方の隘路一帯である。

そしてビフレストの建造によりその一帯を

輸送部隊が通過する事はなくなった。


そうした事由から昨今北往路界隈で大ヒルを

目撃する機会自体が減少傾向にあり、精兵の

うちで大ヒルと遭遇した経験を有するのは

それこそ取水任務に従事した経験のある者に

限られていたのだった。





類稀なる大物と死闘し制したその矢先に

それと同格かむしろ上回る大物が纏めて3体。

いかな猛者とて絶望を禁じえぬ状況だった。


だが彼らの視線を断続的に塞ぐ黒壁のさらに

先たる隘路半ばでは、彼らの同朋が軍師を護り

悲壮なる覚悟で大形異形らの暴威を凌いでいた。


同朋の危機に奮い立たぬ者など精兵ではない。

駆けつけた戦闘中隊は自身の動揺と恐怖を

気迫で圧殺し指揮官の下知を待った。



城砦騎士ヘルムートはこれまでに大ヒルと

近接戦闘を成した経験を有しては居なかった。

無論大ヒルの生態や特徴は、知識としては

十二分に把握している。


そこでそれらを元に現状と照らし適切な方策を

手に入れるべく、もがき足掻くように思惟した。



敵は大ヒル、数は3体。

いずれも城砦騎士たるヘルムートよりも

戦力指数が高い大物だ。敵の手の内で連携

されたなら一溜まりもなく殲滅されるだろう。


それぞれ水面より現れ襲い来る部分だけで

優に2オッピ弱はある。総身としては3から

4オッピか。先の大鑷頭より一回り大きく、

攻撃の威力も段違いとなるだろう。


ただし先の大鑷頭とは異なり、大ヒルや縦長の

ような元来大型の異形らは、捕食目的の際は

手加減をしてくる。全力で襲ったのでは

可食部が残らなくなるからだ。


そのため必要十分な威力を企図して序盤は

極力威力を殺し、敵の出来に合わせ徐々に

本気になる傾向がある。


ただし捕食対象が粘りに粘ると一線を越えて

殺戮に目的を変更し手加減抜きの猛攻を開始。

こうなっては文字通り手に負えぬ。


よって可能な限り少ない手数で手傷を負わせ、

怯んだところを退避するのが上策だ。


もっとも大ヒルの分厚くぬめった表皮は高い

防御力を有しており、さらに再生加速処理の

触媒に用いられるほど高い治癒能力をも

具えている。


要は並の仕手では浅手を与える事すら困難で、

その上浅手程度はすぐ治る。結果として

とにかく撃破が困難な相手であった。


現に大ヒルに殴り付けられ吹き飛ばされつつも

最精鋭6名は幾度となくこれを斬り付けて

浅手を負わせる事に成功しており、そして

浅手はほどなくして掻き消えていた。





地勢としては道幅が南北に数オッピ、

東西に十数オッピ。最も道幅が狭いのは

隘路の両端で2オッピ強であり最も安定して

いるのは中盤で4オッピ弱となっている。


中盤では南端にへばりつくようにしていれば

ぎりぎり攻撃範囲から外れるようだ。現状は

そこに負傷した軍師を置いて手前で攻め手の

侵攻を防いでいた。


大ヒル3体は当初各個に暴れる風だったが、

戦闘中隊が駆け付けたのを振動で察してか

連携体制をとり始めていた。


3体のうち2体は隘路両端の出口付近へと

散開して身を乗り出すように打ち下ろし、

戦闘中隊の隘路侵入と護衛班のとの合流を

妨げ、かつ護衛班の隘路脱出を阻止していた。


そして中央の1体、最も大きく最も強かろう

その1体は打ち下ろしではなく薙ぎ払いを用い、

奥まった位置に陣取る護衛班らを掻き出し河川

へと落とし込むべく暴れていた。


隘路東端大ヒルについても、迂闊に手を出せば

薙ぎ払いに移行して隘路への面攻撃を敢行し、

精兵らを河川に落とそうとするだろう。そして

一度河川へと引きずり込まれたなら

二度と地上へは戻れまい。


護衛班の救出を望むなら、少なくとも

隘路東端の1体は撃破せねばならぬだろう。


それにはまず件の東の大ヒルを

「死にてい」にせねばならなかった。


そのためには矢張り、面攻撃であるが

ゆえに出が遅く長い、薙ぎ払いを誘わねば

ならぬだろう。極めて危険な賭けであった。


敵に大振りを空振りさせて隙だらけの

死に体にし、そこを仕手が襲って痛打する。

そのまま仕留められれば理想的だが

無理ならせめて火で再生能力を奪うのだ。


この時点で撤退してくれれば在り難いのだが、

それは楽観的観測が過ぎるというものだ。


手負いとなった大ヒルが逃げずに逆上し狂乱

して暴れ出した場合、仕手にどれほど甚大な

被害が出るかは、軍師でなくとも予測がつく。


残念ながら相手が誰より格上だ。

仕手は生半な者には務まらず、

かつ間違いなく助かるまい。

賭けとしては成立しないレベルと言えた。


とまれ他の手をすぐに思い付く事はできず、

戦況は時間の経過と共に悪化する一方だ。

即時決断せねばならなかった。





「これより最も手前の大ヒルを撃破し

 護衛班の隘路脱出を支援する。

 手順としては以下の通りだ。


 1.本隊が高次密集陣で囮を務め

   河川へと掻き出す薙ぎ払いを誘い

   これを真っ向受け止め食い止める。


 2.死に体となった大ヒルに決死隊で

   突撃。確実に息の根を止める。


 同志諸君。済まんが諸君らは囮だ。

 その鍛え上げた肉体と重装備を以て

 見事敵の一撃を受け止めてみせてくれ。


 決死隊は不肖ヘルムートが引き受ける。

 城砦騎士の名に懸けて。

 必ずや奴を仕留めて見せよう」



ヘルムートはそう配下らに語った。


奇しくもかつてデレクとサイアスが

ディードを救うべく採用したのと同じ手法を、

今ヘルムートは用いようとしていた。


結局それが唯一解なのだ。

何かを捨てる覚悟なくして

何かを護る事なぞできぬのだ。


ヘルムートは自身の命を質に入れ

配下に命を投げ出させる事とした。そして


「御意ッッ!!」


戦闘中隊は一人残らず即断即決。

自らを囮と成す事を快諾した。



「良し! 往くぞッ!!」

1オッピ≒4メートル

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