サイアスの千日物語 百四十四日目 その六十五
城砦騎士団の防衛主軍であり、最も最初に設立
された戦隊でもある第一戦隊の持つ編成上の
特徴の一つに、教導隊の存在があった。
現状教導隊を有するのは4つある戦隊のうち
第一第三の2戦隊のみ。もっとも第三戦隊の
教導隊は同隊が主管する訓練課程のための
教官衆であるため、原義的な意味での
教導隊は第一戦隊のみが有していた。
教導隊は自軍全体の戦闘技能の向上を企図して
徹底的な戦技研究と他隊のための仮想敵の役目
を負う特級の戦闘集団だ。
存在自体は平原諸国の軍隊でも見られる普遍的
なものではあるが、こと城砦騎士団では特異性
が随分際立っていた。
理由は敵が人ではないからだ。
平原の戦は常に人同士のものなので
装備を奪い戦術を学べば修練次第で
仮想敵が務まり得る。
だが騎士団の敵は異形だ。体格も体系も
思想も戦術も、何もかもが人と異なる存在だ。
真似ようにも不可能な要素の方が圧倒的に多く、
修練次第で仮想敵を務めるのは中々の難事業
だといえた。
だが限りなく困難なその役目を参謀部や資材部
の協賛により成し遂げて、対異形戦闘における
戦技戦術の蓄積と仮想敵の役割を果たしてきた
のが第一戦隊主力大隊所属教導隊。人呼んで
「ブラックマッスルズ」であった。
昨今では第四戦隊の敷地たる内郭北西区画に
新設された「戦技研究所」にその役目を譲り
つつあるが、そも戦技研究所に出向し所員を
兼ねるのがブラックマッスルズである。
同戦隊内では今も昔も変わることなく日々
鍛錬と教導に明け暮れていた。
城砦歴107年初夏、ブラックマッスルズは
戦闘状況の分析と戦技の研鑽を目的として、
他戦隊よりとある人物を招聘した。
その人物とは、黒の月が迫る中魔の気まぐれで
北方河川を離れ、魚人を手弁当として遠路遥遥
中央城砦にまで殴り込んできた大柄な鑷頭と
小隊を率い対峙して、初遭遇ながらも見事損耗
皆無で討ち果たした傑出した舞踏士。
兵団長サイアス・ラインドルフその人であった。
元来防衛主軍であるために中央城砦から
離れる機会の少ない第一戦隊にとって
鑷頭との戦闘経験は未だ希薄であり、
その対処法も万全とは言えぬ状況であった。
またかの鑷頭戦にて唯一人で盾役を務めた
サイアスの盾の扱いようには稀有な技巧が
含まれていたとの報告をも受けていた。
そこでブラックマッスルズはサイアスを自身ら
の拠点である内郭北東区画に呼んで、鑷頭の
実の挙動についての情報を追加しつつ彼の盾術
を吸収する事にした。
その際に戦隊長であるオッピドゥス自らも
現れてさらなる奥義の教示を受け、最高の
成果を挙げる事に成功してもいた。
そうした出来事から、
はや数月経った秋が今だ。
教導隊は会得した多くを惜しみなく
各隊へと伝授していた。特に第一戦隊戦闘員
総員のうち北方河川に面した支城ビフレスト
へと赴任する事となった精兵隊100名。
今は支城大隊精兵衆と呼ばれる精鋭らには、
徹底した対鑷頭の戦闘知識とかつてサイアスが
やってみせた、かの技についての教導が施され
ていた。すなわち。
南東から鉄槍投げ付け殺到するヘルムートへと
対峙した結果、東に左の体側を向ける格好と
なった大鑷頭へと、無言で殺到していた
ゼルミーラ戦闘中隊に対し、その挙動を
読みきっていた大鑷頭は豪壮な尾を盛大に
ブン回し薙ぎ払いに掛かった。
大樹の幹に勝る巨大な尾は、逃れ得ぬ、しかし
随分なまくらな死神の鎌となって戦闘中隊の
前衛らを稲穂の如く刈りに掛かり、自らこれに
飛び込む格好の精兵らにこの無常の面攻撃を
かわす術は既に無いように思われた。
だが精兵らの挙動には聊かの動揺も躊躇もなく、
さながらそれが定めであったかのように実に
自然に次なる所作へと意向していた。
高次密集陣の最前衛たる8名と二列目7名は
それぞれ右手の鉄槍を捨てた。そして重盾
メナンキュラスを右手に持ち替え左手を添えて、
北方から横殴りに来る巨大な尾の直撃に備え
「サイアスロールッッ!!」
とのヘルムートの叫びに合わせ
一斉に地を蹴り反時計周りに旋回した。
攻め寄せる防御の閾値を超えた攻撃に対し、
表面をこする様に盾をあてがい回転して
衝撃を殺し、裏を取る。
城砦騎士団兵団長サイアスが鑷頭との死闘の
最中に編み出し、城砦騎士団流盾術として
制式採用されたこの妙技を、精兵らは
一斉に繰り出したのだった。
無論、精兵らはサイアスではない。
この大鑷頭はかの鑷頭とも違うものだ。
よって全てが当時と同じ、
そういう訳にはいかなかった。
またサイアスの用いるサイアスロールは
縦回転であり、今精兵らの用いたものは
横回転。どちらかと言えばサイアスが
大ヒルに吹き飛ばされた際の回避法に近い。
そう、先刻隘路にて大ヒルの攻撃を受けた
最精鋭の精兵6名が繰り出した第一戦隊流に
特化した姿となっていた。
こちらの手法は身軽でなくとも使える反面、
地の防御力が重要となる。重盾と重甲冑で
固める精兵向きの様式ではあった。
とまれ精兵中未だ技量の完成していない
戦力指数4の精兵らには、大鑷頭の必殺の一撃
を完全に無効化するのは困難で、最前列の5名
と二列目の3名が予測以上の衝撃を受けた。
これらの兵は重盾を粉砕され数オッピ南方へと
弾き飛ばされ、密集陣ゆえ味方をも巻き込み
5名が追加で飛ばされ転倒し姿勢を崩した。
結果として8名中破、5名軽傷。
凄絶なる暴威にも関わらず死者は無し。
そして吹き飛ぶ味方を尻目に
後続が戦列を整え一気に踏み込み、
「砕破ァアッッ!!」
と轟雷の如く吼え、
連ねた鉄槍を繰り出した。
十数の鉄槍がその穂先を大鑷頭の尾や左側面
へと串刺すも、大鑷頭はまともな反撃を返す
事ができなかった。
その頃には単騎殺到していたヘルムートが
重剣シャルファウストで大鑷頭の頭部を
殴り付けるように叩き割り、衝撃で剣身を
へし折られるも柄で裏拳し重盾で乱打して
瀕死に追い込んでいたからだ。
戦闘開始よりほぼ2拍。
小湿原に潜んでいた尋常ならざる大鑷頭は
こうして城砦騎士ヘルムート率いる
「ゼルミーラ」戦闘中隊により撃破された。
ヘルムートは調査小隊の軍師と祈祷士に
負傷者への対応を任せ即座に部隊を再編成。
共に西へ。隘路へと味方の救援に向かった。




