サイアスの千日物語 百四十四日目 その六十一
その様はどこか荘厳ですらあった。
2オッピ弱ある巨大な異形が口の先から
尾の端まで余すところなく中空にあった。
総身を覆うぬめった大粒の鱗の群れに
陽光がギラリと留まり奔りゆく様には戦慄を
禁じえず、見る者すべてが身動きできなかった。
小湿原外延部に潜んでいた特大の鑷頭はその
魔もかくやといった膂力を活かして水中より
自身の身の丈に倍する高さにまで跳び上がり、
直立したマッチョタワーを追い覆った。
中空で総身をSの字にのたうたせて高度と
飛距離の限界を極めた大鑷頭は、その跳躍の
天頂に達するとさらにのたうち宙を舞った。
大鑷頭の形に暗がりが広がり、往路と
筋肉塔とを侵食していく。精兵らは
まさに絶体絶命の極致にあった。
勝負は時の運という。
果たして真か? 断じて否である。
確かに戦の趨勢とは、月下の湖上で薄氷を
踏み渡るが如く人の智にては読めぬもの。
だが彼我共に命を懸けて対峙して
死力を尽くす個々の戦闘状況下では、
運なるものの影響は存外に低い。低いのだ。
遍く森羅万象を数値として再構築する
「軍師の目」。これが示すところによれば、
戦闘状況下で予測を超えた特異な事象の発生
する確率とは、心的能力5種のうち「幸運」
の値と同じであるという。
人の心的能力の平均値は魔力を除けば9。
すなわち並みの人の幸運とは9であり、
よって特異な事象の発生する確率とは9%だ。
つまり91%は運以外で決まるのだ。
運以外の要素とは何か。言わずもがな。
それは実力に他ならない。
平素どれだけ鍛錬を積んだか。
平素どれけけ負荷に耐えたか。
平素どれだけ試練を超えたか。
それが窮地の趨勢を決するのだ。
そして城砦騎士団第一戦隊戦闘員とは
当代の人のうち最も平素より鍛錬に励み
負荷に耐え試練を超えてきた者たちであった。
彼らがそうして培った実力が
窮地を、逆境を克服せしめた。
何時如何なる状況においても例外なく着実に
精確に事を成す。軍隊とはそれを些細な挙動
から徹底して反復し戦時に実現していく組織だ。
第一戦隊戦闘員は平素より個人戦の技能では
なく集団戦の技能を徹底して叩きこまれていた。
集団戦では自我を殺し周囲と寸分違わず合わせ
動く事を旨とする。
密集陣しかり槍衾しかり、個人技はむしろ
忌避されて、如何に全体を一個として挙動
せしめるかが重視された。
精兵らが組体操宜しく塔足り得たのも
倒壊せず釣り竿宜しく傾斜し得たのも
ひとえにこうした鍛錬の賜物だ。
そして。
ピィー、ピッ!!
と鳴る笛の
ピッピッ! ピッピッ!
とのテンポに合わせ、26名による巨大な
筋肉と重甲冑の塔が直立姿勢を保ったまま
軽快に東へと駆け出したのも鍛錬の賜物だ。
まず間違いなく、そういう事だった。
小湿原外延部の沼の主の如き大鑷頭の成した
大なる跳躍と大なるダイブ。これを華麗かつ
小気味良いテンポなステップで交わしてのけた
マッチョタワーズ。
見守る調査小隊の面々は余りに余りな
怒涛の展開に見ているだけでぐったり消耗し
最早ほうほうの体と成っていた。
マッチョタワーへと怒りの超ダイブを敢行した
大鑷頭は、相手に圧し掛かる事で自身の大質量
な巨躯により生じる莫大な落下の衝撃を攻撃に
活かそうと目論んでいた。
だが何ともあり得ぬ挙動であっさり逃亡されて
しまったため、このままでは直に大地へと
頭から叩き付けられてしまう。
一言で言えば自爆。それも大爆発だ。
それだけは何としても避けねばならない。
そう考えたものか大鑷頭は落下しつつも
盛大にエビ反り、河中で獲物を顎に収めた
際に見せるローリングの如くギュルギュルと。
伸身から突如屈伸し歪曲して月面宙返りを
キめる高機動で巨躯の落下軌道を変更し
跳躍元とマッチョタワーの狭間にあった、
繁茂した灌木へと豪快に突っ込んだ。
ズゥゥウウゥウン……ッ!!
灌木の砕ける音を覆い隠して地響きが鳴り、
大鑷頭は隘路手前の曲がり角を形成する
繁茂しきった灌木群へと落ちた。
しかも総身のうち比較的柔らかい腹部に灌木が
刺さって損害を被らぬよう、硬質な外皮の背中
から落ちる徹底振りだ。
だが灌木を存分にクッションとしても
その大質量からくる衝撃は未だ甚大で、
脳震盪でも起こしたものか挙動は不確か。
随分隙が出来ていた。
そしてこの隙を活かさぬ精兵衆ではない。
「筋肉塔、分離解体ッ!」
「応ッッ!!」
「総員屈伸!
続いて両手を大きく回し
背伸びの運動ォゥッ!!」
「応ォゥッッ!!」
「再武装! 重盾構え!
8-7-8-7! 高次密集陣!」
ザザッ、ガシャシャンッ!!
「気勢を上げェィッ!!」
「ウォォオオオォオオオッッ!!」
あっという間に戦闘態勢を整え、
かつ迂闊には踏み込まない。
油断も予断もなく威嚇と高揚に努めるその様は
まさに、城砦騎士団の防衛主軍、第一戦隊の
誇る精兵衆の面目躍如であった。




