サイアスの千日物語 百四十四日目 その五十九
お辞儀する大ヒルの如き形をした
多数のマッチョの群れ入り重甲冑の連なりを
外海へと突き出した防波堤の突端の如くにして。
最先端な重甲冑の背を足場に
調査を担う軍師は釣り糸を垂れていた。
眼下2オッピ弱ほどには隘路の南端より
侵入し得る小湿原外縁部が広がっている。
潅木は疎らで泥炭が勝る開けた一帯で、
例えばビフレストが渡すくびれなどに比して
水分が多く、まるで泥色のポタージュのようだ。
そして表面にはパセリや香草を散らすが如く
やり過ぎ感に溢れた夥しい蘚苔や浮き草の
類が散乱し繁茂して、内部を覆い隠していた。
軍師は潅木の周囲は問題ないとして避けていた。
潅木の下には根が張られ、土壌も安定しており
大柄な河川の眷属のための「隙が無い」からだ。
よって潜んでいるとすれば、これでも随分
毒々しさの薄まった泥炭のうちか、蘚苔や
浮き草が覆い隠す水中に違いない。
そう分析した軍師は鼻歌交じりでゆらゆらと
竿を揺らし、餌たる革手袋をひらりひらりと
泥ポタージュ表面に舞わせた。
反応がない。
「ふむぅ」
と軍師は思案した。
何も居ないと見るのは危険過ぎた。
奸智公ウェパルと兵団長サイアスの間で
交わされた不戦協定と小湿原委譲の盟約とは
かつて羽牙と呼ばれたズーなる種族、及び
奸魔軍に属する異形との間でのみ有効なものだ。
言い換えれば北方河川に棲まう野良の異形には
何の意味も制約も与えないものなのだ。
餌たる魚人がまったく寄り付かぬところだと
確かに判明したならば話は別だが、現段階で
それを知るのは暗黙の共闘を成す騎士団と
岩場攻め中の魚人らのみ。
また絶賛岩場攻めだった魚人らは、侵攻の
足掛かりとする拠点を騎士団によって内陸部
に与えられ、北方河川そのものからの攻め手を
半減させている。
これにより餌争いの倍率が高くなった大物ら
のうち気の利いた者であれば、他を当たると
いう選択肢を採るだろう。
そのためそうした選択肢の一つとして、
当地で待ち伏せしていれば迂闊な魚人なりを
踊り食いできると考える異形は居てしかるべき。
軍師はそのように考えていた。
「軍師殿、その…… 何も居ないのでは?」
絶賛軍師に踏まれ中な、マッチョタワー
最先端の重甲冑の中身が口を開いた。
「ん、じゃあ君ちょっと分離して
ザブンと飛び込んでみるかニャ」
「い、いえ! それはちょっと……」
筋肉は比重の関係で水に浮かない。よって
筋肉ダルマたるマッチョ衆は基本カナヅチ気味
であり、装備している重甲冑のメンテも大変な
ため水中を好む者は少なかった。
続いて
「餌を換えてみては」
と別の精兵らが
「そもそも何故中空を揺らすので?」
「中に漬けてしまえば反応も違うのでは」
口々に意見をのたまった。
いわゆる岡目八目というヤツだ。
横合いから口を出すのは気楽なもの。
ただしやっている者としてはイラっとくる。
「ふぅむ……」
軍師は猫耳をピク付かせ尻尾を逆立たせ
脳筋は黙っとれ! と脳裡で吠えつつ
さらに熟考した。
水中に漬けよという指摘は一見理に適っている。
だが深度も粘度も不透明な泥中に沈めた
革手袋を振り回すだけの膂力は軍師にはなく、
また視覚的に水中の状況を把握するための
「浮き」も具わってはいなかった。
さらに何より、お気に入りの革手袋が無為に
汚れてしまう。よって全面的に却下だった。
そも河川の異形らは視覚以外で敵を捉える。
足りないのは音だ。それで間違いなさそうだ。
が、中空で水中から飛びつきたくなるような
音を鳴らすのは中々に難しい。
そういう事ができるのはそれこそ
歌姫と呼ばれる兵団長くらいだろう。
そうなると、別の五感を刺激してやらねば。
やがて糸から外した手袋を付け、軍師は
確信に満ちて頷いた。
「よし、謎はすべて解けた」
と言うが早いか屈み込み、おぉ、と何やら
感心した声をあげる、足場としている最先端な
マッチョ入り重甲冑の被る鋼兜をむしり始めた。
「ぐ、軍師殿、何を!?」
「足りないのは臭い。間違いない」
どうやらそういう事らしい。
「……じっ、自分の兜は臭くないであります!」
中々むしれぬためダガーを取り出したらしき
チャキリとの金属音に危機感を覚えたらしき
精兵は、慌てて自ら留め具を外して鋼兜を
差し出しつつ半泣きで主張した。
「ふぅん? じゃぁ二番手の人、
ちょと嗅いでみるニャ」
軍師は泣く泣く差し出された鋼兜を
己が身から遠ざけつつ、最先端を肩車中な
二番手の精兵の鋼兜へとランデブーさせた。
「グッ、ウグァアアアァアッ!!」
「……」
「ついでに小手も付けとくと
ガチャガチャ鳴ってより宜しいニャ」
「理不尽だ……」
最先端の精兵は独り嘆いた。
理不尽ではない。自分の臭いには耐性が
出来ているだけだと語って聞かせつつ
軍師は新たな餌をセットして、
「では気を取り直して、調査再開ニャ」
と眼下に拡がる極彩色な沼地の水面間際へと
垂らし、ブラブラガチャガチャと揺らし始めた。
バクンッッ!!
効果は覿面だった。
巨大な口が飛び出して喰らい付き、
手ごたえすら残さず食いちぎった。
「鑷頭だ!!」
潜んでいたのは体長2オッピ近い、
超特大の大鑷頭であった。
派手に泥水を撒き散らし着水した鑷頭は
最早形振り構わじとばかりに連続でジャンプ
しまくりマッチョタワーへと襲い掛かってきた。
ウワァアアアアァアアッ!!
眼前に迫り火花を散らし噛み合わされる
大鑷頭の大口に度肝を抜かれ、マッチョタワー
先端部の精兵らは必死にえびぞりつつ絶叫した。
大鑷頭はとにかく喰らい付いて腹を満たさん
として、何度となく飛び上がり襲い掛かる。
一方マッチョタワーのマッチョたちは
めいめい腹筋と背筋を目一杯駆使し、
捩りうねってこれを回避。
まさに、喰うか喰われるか。
阿鼻叫喚、抱腹絶倒の地獄絵図となった。




