サイアスの千日物語 百四十四日目 その五十七
総身に纏う重甲冑と重厚な鉄靴の鳴りのために
元より隠密性には乏しかったゼルミーラ本隊は
それでも奇襲を警戒して周囲に気を配り慎重に
歩調を合わせつつ粛然たる行軍を成していた。
行軍の狭間の休息中も同様に、可能な範囲で
静粛に振舞う努力を忘れなかった彼らでは
あったが、それも今は昔といったところ。
今は何憚る事なく派手に往路中央を占拠して
ドスの利きたる掛け声発し、数歩進んで
ポージング、反転数歩でポージング、と
傍らに異形無きが若しといった様だった。
戦隊設立以来の由緒ある第一戦隊体操とは
元来筋肉の稼動状況を高めつつその美を
愛でるためのものだ。
よって筋肉の隆起する様相をすっかり覆い
隠してしまう重甲冑は、これを纏わずに
おこなうのが常だった。
だが流石にそこは戦地での事。此度は
重甲冑を纏ったままでという事になった。
「ゼルミーラ」の戦闘員たる精兵中隊36名は
指揮官ヘルムートの号令一下、その総身に纏う
鉄塊の重みを欠片も感じさせぬ軽快なステップ
で荘厳なポージングを繰り返していたのだった。
ヘルムートを煽って策に乗せた軍師2名を
はじめとするゼルミーラ調査小隊の面々は、
共にやろうと爽やかに勧められるも全力で
丁重にこれを固辞。
不気味なほどに揃って笑顔な筋肉の踊り子らの
大地に舞い遊ぶ様を生暖かい目で見守っていた。
もっとも軍師らは目深なフードの下で
周囲に知られずほくそ笑んでいた。
河川の眷属は地上を聴覚で探っている。
大地に染み入り水中へと伝わった振動を以て
獲物の数や規模、挙動を探り不意を打って
襲い掛かるのが彼らの狩りのやり方だ。
そんな河川の眷属らにとり、今この往路で
繰り広げられている筋肉舞踏の織り成す騒擾
とは、大軍勢の侵攻と選ぶところなくどでかく
響く形勢不利を告げる軍鼓。または一時撤退も
余儀なしと喚く銅鑼の如くに聞こえる事だろう。
少なくともこの後に成す一手を即座に妨害する
事はできぬだろう、と分析していたからだ。
事実仮にその場に状況を俯瞰するものがあれば
河岸より遠からぬ水中から幾つもの黒ずみが
すぅと消えていくのを見て取れたに違いない。
とまれどえらく派手な準備体操はこうして
恙無く終了し、精兵らはとても達成感に満ち
上気した笑顔で指揮官の次の命を待っていた。
「では諸君。
我々が平素より手塩にかけて
育んだ鋼に勝る筋肉に懸けて。
特務を敢行するとしよう」
「応ッッ!!」
ヘルムートの檄に精兵らは声を揃えた。
「これより我らは釣りをおこなうッ!」
「応ッッ!!」
「釣りとは文字通りの意味である。
すなわち魚釣りの釣りの事だ」
「応ッッ!!」
「しかし我らは釣り道具を有していない。
竿も糸も餌さえも無いのだ」
「応ッッ!!」
げに理の当然を語っているに過ぎないのだが、
高揚感がそうさせるのか、何故だか彼らの
意気は高々と高く、
「だが案ずる事はない。
我ら筋肉の女神の地上代行者たる
第一戦隊員に不可能な事など何一つない!」
「ゥオオォオウッッ!!」
この言により天をも焦がすほど燃え上がった。
ちなみに当節、否、古今を通じ、
「筋肉の女神」なる存在の伝承は存在しない。
とまれ大いに盛り上がりまくった万丈の気焔は
「『ゼルミーラ』戦闘中隊諸君!
諸君こそ竿であり釣り糸であり餌なのだ!」
「オ…… ゥオォオ!?」
一気に、そして劇的に
「『縦長』に出来て我らに出来ぬ訳がない!
護衛に最精鋭6名を残す。5班30名、
組体操、用ォ意ッ!!」
「ゥワァアアァアッ!!」
混沌の坩堝で闇鍋状態となった。
まずは仮組みがおこなわれた。
8名が最下部で基部となり、一人置きの
うち4名が肩車で1名ずつ背負った。
肩車された4名もまた、それぞれ1名ずつを
肩車し、最上部の4名のうち2名が1名ずつ
肩車した。
2名の二段の上にはさらに1名置き、あとは
単独での肩車を3つ連ねていた。
下から順に編成を見たならば
8-4-4-2-2-1-1-1-1。
頭頂部の地上高は実に4オッピ弱となった。
恐ろしいのは総員重甲冑を纏ったままだと
いう事だ。
こうして総勢24名による即席の巨大な竿、
というか塔というかむしろ筍の如き何物かが
出来上がり、軍師の監修の下可動性と柔軟性
を微調整。
何とまだ数名積む余裕があると判明し、
さらに1-1を追加し4オッピ超えを達成した。
残る4名については倒壊防止と資材受け渡しを
担う補助要因として用いる方向で最終確認が
おこなわれ、あとは実践を待つばかりとなった。
「意外に上手くいくものだな。
心底驚いている。矢張り私は
常識の殻を破れぬ愚物のようだ」
徐々に北へと曲がり行き、遂に西へと大きく
折れて隘路に入る、曲がり角の様相を呈した
往路の付け根にて。
見通しの無い曲がり角を形勢する繁茂しきった
潅木の手前で足場を固め、とっくに観念し覚悟
を決めて、むしろ楽しむ気概すら見せる兵らを
眺めるヘルムートは嘆息した。
「卑下なさるような事ではありますまい。
我々が少々、いや多少おかしいという
それだけの事です」
と策を提示した軍師が告げた。
「我らとて自然に思い付いたとは言い難く。
奸魔軍の深夜のアレが無ければ脳裏を
かすめもしなかったでしょう」
オアシスでアイーダ主力軍と対峙した奸魔軍は
縦長を縦に連ねて超縦長とし、鈴生りの大口手足
を泉を越してブン投げる攻城兵器と成していた。
あれぞ正しく魔の発想。
これはその模倣に過ぎぬのだと
軍師2名は苦笑していた。
「将が軍師を兼ねる必要はありません。
卿は卿の在り様を貫き、必要に応じて
我らを利用されればそれで宜しいのです」
「我らはとうに一線を超えていますし
気兼ねなくお使い回しくださいませ」
目深に被ったフードの下で、
軍師2名は口元に笑みを湛えていた。
「『一線を超えている』か……
見た目に何ら違いはないように思うが」
とヘルムート。
思考や発想の違いが魔への親和性、すなわち
魔力によるのだとしても、こうして話している
限りでは極普通の、極一般的な若い女性である
ように感じていた。
「……そう思います?」
と軍師。
「……」
ヘルムートが硬直し返す言葉を見出せずに
いると、軍師の一人がふいに背を向けて
ローブの上に羽織ったケープを持ち上げた。
「ッ!?」
ほっそりと柔和な肢体の線を隠す事なく包む
ローブの腰元、そのすぐ下には肘から先程の
長さをしたフサッフサの尾が生えており、
見られている事を意識してか、照れたように
左右に揺れしなった。
「何て事だ……」
声を押し殺すヘルムート。
垣間見た精兵や調査員らも
同様に息を飲んで沈黙を保った。
「むしろそれは勝ち組ではッ!!」
声を荒げるヘルムート。
垣間見た精兵や調査員らも
同様に大いに同意し激しく頷いた。
どうやら揃いも揃ってけもみみ倶楽部の
客として、高い適正を有しているようだ。
「それほどでもあるニャ」
フードをはだけて猫耳を晒し、
軍師は小さく舌を出した。




