表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイアスの千日物語  作者: Iz
第六楽章 光と闇の交響曲
1114/1317

サイアスの千日物語 百四十四日目 その五十六

荒野東域の北方を東から西へ。豊かな水流を

誇る大河は総じて直線的に大地を横断していた。


もっとも局所での紆余曲折はある。例えば

大小の湿原の狭間のくびれ近辺では南に大きく

振れ始め、これがより西手の隘路を生んでいた。



隘路は従来なら北往路最後の難関であった。

だが大小の湿原の狭間に架橋するという一大

事業を成功させ、恒久的な防衛拠点を築いた

事で一気に戦略的価値を失っていた。



有り体に申さば、隘路は廃路と成ったのだ。



そうした事由から、最早北往路の一部とは

見做されなくなった隘路を、北往路と支城の

防衛を第一義とするビフレスト詰めの戦力が

巡回警邏する機会は失せていた。


ただし此度の合同作戦の戦果として小湿原の

支配権確保が決定的となった今、隘路には

新たな戦略的価値が生まれていた。



北方河川との境界としての価値である。



隘路の幅は数オッピから十数オッピと

周囲の地勢からみてずば抜けて狭隘で、

河岸との高低差も比較的小さい。


極端な話、隘路に乗り上げた大ヒルが数度

寝返りのた打てば渡ってしまえる距離であった。



隘路一帯は魚人が水攻めの起点と見込んだだけ

あって小湿原外延部の灌木が最も少なく、泥炭

や毒草も当初より希薄であった。


魚人が掘った溝は既に騎士団が埋め立てて

いるし、また野良の魚人とは仮初の、

忖度塗れな共闘状態にある。


何より今魚人らは数千オッピ西方の岩場を

巡って大口手足と全面戦争中だ。こちらに

出張る余裕などないはずだ。


お陰で隘路一帯は不気味なほどに平原の辺境と

見紛うほどに、空疎な様相を見せていた。





「敵影は無いようだ」


眼前から遠眼鏡を下げてヘルムートが言った。


二度目の小休止での事だ。


鋼兜アーメットは重盾「メナンキュラス」ごと小脇に

抱えている。城砦騎士ヘルムートは未だ20代

だという話だが、常々気苦労が絶えぬゆえか、

一回り上と見て取れる容貌だった。


城砦騎士団では常識人ほど気苦労が多い。

平原風の正気では異形を前に発狂必至なため

歴戦の勇士ほどかなぐり捨ててしまっていた。


ヘルムートは無論歴戦の勇士なのだが、

戦歴に比して意外なほどに平原風の常識人だ。

お陰でお困り様だらけの城砦では割を食わざる

を得ず、その上面倒見が素晴らしく良い。

好んで損する性格であった。


ただそういう篤実な人柄ゆえ、

兵からも将からも信頼が厚い。


ただしそれは専ら「頼もしい人物」ではなく

「良い人」という評価であり、当人的には

一個の武人として不服がない訳でもなかった。



傍らには軍師、周囲には精兵。

軍師は泰然と、精兵らは粛然と

ヘルムートの挙措を見守っていた。


隘路の東手50オッピ程。西に向かうに

つれ、往路は徐々に道幅を失っていく。


ゼルミーラ本隊は北往路の南端を小湿原に

接するように進んでいた。かつては鼻を刺す

ような悪臭に満ち溢れていた小湿原からは

些かの異臭も漂っては来ない。


いやむしろ、施療院の如き薬品臭が仄かにした。

外延部に繁茂する毒草が本来の姿である薬草

へと変じ始めた証左だろう。


中央城砦で用いる薬草類は平原で産出した

ものが殆どだが、ここらの野草はその現生種

であると見做されていた。


人の都合で品種改良されてはおらず、用いる

には多分に癖も強いがその分効能も抜群だ。


優れた薬師や祈祷士、衛生兵らはこれらを

利用し強力な消毒、治療効果のある薬品を

調合する術を有していた。





「それはそうでしょう。

 河川に棲まう眷属らにとり

 隘路は食卓の類です。食卓は食事を

 載せる場所。自ら載る場所ではありません」


軽く肩を竦めて軍師が言った。


ヘルムートが親しみやすい人柄ゆえ、

ざっくばらんな口調でもあった。


相手がシベリウスやオッピドゥスでは

こう冗談めかしては話せまい。


ただこの発言は年中無休の食い倒れである

第一戦隊戦闘員諸氏には大いに受け、おぉ、

なるほど、などとどよめきが起きた。


こと食い物が関わると彼らの理解力は

飛躍的に高まる。さらに肉の話なら

軍師級の知性すら発揮した。



「我らが食卓に並ぶのが先、そういう事か」



軍師同様肩を竦め苦笑するヘルムート。



「しかし先の話、どうだろうな……」



何とも言えぬ複雑な表情で懊悩した。





「ヘルムート卿。

 我々の目的地は隘路ではありません。


 飽くまで隘路の南側、灌木や泥炭の

 希薄な一帯を経由して南進した先の、

 小湿原の内部なのです。


 ですので未だ道幅があるこの辺りに

 陣取って、途中の灌木や泥炭を跨ぎ、

 往路を通らず直接隘路の南側へと

 乗り込んでしまえば結果は同じなのです」



先刻件の提言を成した軍師がそう言った。

小柄ながらローブの上に丈の長いケープを

羽織った人物で、フードが目深で顔は見えない。



「それは判る。判るとも。

 半月の孤では無く弦を進め、だろう?


 理屈は勿論判っているとも。だがな……

 そんな事が本当にできるのか?」



ヘルムートは現場一筋な叩き上げの類だが

他の騎士同様戦絡みならずば抜けて頭が回った。

ただ、とにかく常識的だった。



「いけませんねヘルムート卿。

 卿はご自身のその筋肉を

 信じてはおられないのですか?」



ともう一方の軍師が煽った。



「待て、それは聞き捨てならない。

 私だって怒る時は怒るぞ?」



ヘルムートとてあらゆる肉をこよなく愛する

第一戦隊戦闘員だ。己が肉たる筋肉に関しては

到底譲れない想いがあった。


周囲では精兵らがそうだそうだと

口ぐちに相槌を打っていた。



「他の方とて想いはきっと同じでしょう。

 当方の試算によれば理論値上は可能です。


 それでも不可能だとお感じになるのは、

 凝り固まった常識の殻を破れぬがゆえ。

 栄えある城砦騎士団の幹部の一員として

 是非とも一線を踏み外していただかないと」



それを受け、一層しれっと煽る軍師。



「誉めているのかけなしているのか」



苦虫をよく噛んだ顔をするヘルムート。



「支城副将の名に懸けて、

 目に物見せよと申しております」


「よく言った! ならば良し!

 目に物見せてやろうではないか!」


「有り難きお言葉」



結局乗せられる事となり、



「では総員に告ぐ!

 まずは第一戦隊体操、用ォ意ッ!」



何故かそういう事になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ