サイアスの千日物語 百四十四日目 その四十五
中央塔付属参謀部は騎士団長直属。
兵団にも騎士会にも属してはいない。
東方諸国の神話に登場する「思金神」に
喩えられたように、元来は稀有なる叡智を
活かして戦況を分析し戦術戦略に係る諸々を
企画立案し助言する参与の装置として存在する。
だが兵団各戦隊に優越する立ち位置や参謀部の
主要構成員たる城砦軍師の有する「軍師の目」。
すなわち遍く森羅万象を数値として再構築し
戦の帰趨を占う特殊能力を有する事から
監察としての機能をも有する。
軍機を扱い軍規を定め軍紀を取り締まる
城砦軍師らに対する一般兵の印象とは、
一言で言えば「おっかない」であった。
相手は何でも見抜く――と兵らは思う――
「軍師の目」持ちだ。隠し事なぞできよう
筈もなく天網恢恢に罰を与えられる。
見た目は柔和なローブ姿の女性だが
実のところは地獄の閻魔の女装に違いない。
一般兵の参謀部軍師らへの印象はこうだった。
闇夜に異形の群れへと斬り込んで行く連中だ。
恐怖に対する耐性は凄まじく呆れるほどに
図太い神経をしていたが、参謀部の怖さは
休暇や勲功に響く類だ。恐れざるを得なかった。
騎士団には参謀部をまったく恐れぬ連中もいた。
そうした連中は大抵べらぼうに強いか、或いは
べらぼうにお困り様であった。
図画や工作、発明や操作に関する比類なき才を
有するといえど、ランドは他のサイアス小隊員
とは違って至極真っ当な部類の精神をしていた。
さらにランドは参謀部絡みでは、かの魔笛作戦
において筆頭軍師と参謀長補佐官に無理難題を
押し付けられトラウマを暴かれた上、文字通り
洗い攫い吐かされるという大層精神的負荷の
大きい体験をしていた。
サイアス経由で異形の絵を描いた端から
買い取ってくれるお得意様ではあるものの
可能ならば極力直接は接したくはない集団。
それがランドの中の参謀部だ。
その参謀部から呼び出しだという。
一体どんな無理難題とトラウマが待ち受ける
ものか。ランドとしては暗鬱たる想いに頭を
抱えざるを得なかった。
外郭防壁北城門の兵士らは、ランドを
見やるとすぐに敬礼し道を開けてくれた。
中隊長を引き受けるようになってからは
ランドの顔も売れてきた。もっとも一番
売れた、いやウケたのは筋肉舞踏祭の
トリを飾る模擬戦の件。
あれ以来一気に知名度が増した感じだった。
城門をくぐり最初の広場を抜けてアーチを
一つ通り過ぎるとそこには既に本城北口が。
すべて一直線に繋がっている点は防衛機能
を思えば聊か単調に過ぎるきらいがあった。
この辺は「囮の餌箱」らしさ、なのだろうか。
本城北口の歩哨は城門警備の兵以上にランド
の顔に馴染んでいた。ランドは頻回に本城内
の資材部に顔を出すからで、軽く挨拶した後
動く歩道へと通してくれた。
動く歩道を暫し進むと資材部前の広場に出る。
そこではステラがランドを待っていた。彼女も
また同様に、参謀部に呼び出されているらしい。
ランドとステラはゆくゆくは互いの勲功を
合同し、ロンデミオン再建のための資金と
する事にしていた。
資材部は特務塗れな第四戦隊ほど勲功を稼げる
わけではない。がステラは得意の楽器製作と
営業力を以て資材部構成員らしからぬ
稼ぎを上げていた。
得意先としてはフラウト・トラヴェルソを
仕上げた端から買い占める第二戦隊長にして
剣聖ローディス。
さらにはかつて仮設された軍楽隊に支給する
ヴァイオリンを20挺ほど一括で注文した
第三戦隊長ブーク等錚々たる重鎮が名を連ねる。
ヴァイオリンは一挺仕上げるのに数ヶ月から
半年。最近になって漸く通し番号で一桁台の
ものが仕上がりだし、順次納品を開始していた。
家具製作や見習い彫金師として作成した装飾品
も順調に売れており、城砦兵士の平均を大きく
上回る7万点近い勲功を稼いでいたのだった。
勲功は給与ではなく飽くまで特別報酬だ。
兵士階級で1万点を超えるものは極稀だった。
多くの兵士が1000点と引き換えに得られる
アウクシリウムでの休暇を楽しみに生きている
事を思えば、ステラの稼ぎっぷりの凄まじさも
伝わろうというものだ。
現時点でランドと合同した場合の勲功は
40万点弱となる。これが所領取得申請の
下限となる50万点に達した際に、二人は
夫婦となるつもりであった。
とまれ二人揃って兵士らしからぬ膨大な勲功を
稼ぐ身だ。監察たる参謀部に睨まれて勲功没収
など洒落にならぬと共にそわそわ。
「ランド、何かしたの?
思い当たる節はある?」
とステラ。
「色々あるかも?
どれがバレたんだろう」
「何だと!」
「いや冗談だよ」
「笑えんわ!」
「すみません……」
自ら墓穴を掘っていくスタイルは不覚にも
シェドに似てきたのかも、とランドは嘆いた。
「まぁ何かあるとしたらあの『腕』だけど、
参謀部が欲しがるようなものじゃないよね」
「行ってみないと判らないかぁ……」
二人はそっくりな挙措で首を傾げつつ
動く歩道を乗り継ぎ大路を南下した。
参謀部の建物は本城中枢区画の中央に建つ
中央塔の外壁のような格好で併設されていた。
入って直ぐの受付で記帳を済ませ奥へ、二階へ。
通路を用いてさらに進み、やがて研究棟内の
一室へと辿り着いた。
房室の入り口のプレートには
「シラクサ及びファータ」と刻まれていた。
「お二人とも、お忙しいところ恐縮です。
是非ともお目に掛けたいものがありまして」
申し訳なさそうに念話で告げるシラクサ。
光が苦手なシラクサの房室は未だ夜の暗さを
保ち、卓上と壁の数基の燭台が丸く灯りを
彩って、それ以上の暗がりを揺らしていた。
「いえいえ、いつでも何なりと
ご用命くだされば!」
恐るべき速度で業務用スマイルを繰り出す
ステラ。笑顔は安堵の意味合いもあろう。
シラクサは参謀部といえど「表向き」ではない。
ランドやステラ同様職人の類だった。つまり
今回の呼び出しに監察は絡んでいない、と。
「こんにちはシラクサ。
見せたいものって何かな」
ランドとシラクサは共に城砦の、ひいては
人の歴史に残る大発明を連発しその出来栄えを
ときに競いときに競わされる間柄。一言で言えば
よきライバルだった。
「こちらをご覧ください」
シラクサが右手を差し出した先には
暗い夜色の布地が掛けてあった。
布地自体はありふれたものだ。
ありふれていないのは中空に在る点か。
その異常さに気付いたランドとステラが
無言のまま顔を見合わせて、息を潜めた
その途端、布地ははらりとその場を退いた。
「深夜に成された『アン・ズー』による
参謀長への奇襲において、サイアスさんが
得た『戦利品』の一つです」
暗がりに淡い紫の光を放ち、その身を数度
屈折させつつ総身の端から端までを、時折
輝度の高い筋が行ったり来り、奔っていた。
それはかのアンズーなる異形が手にし、
セラエノの庵、その扉へとに投げつけて
サイアスにより打って落とされたもの。
さながら雷を凝固させたが如き
剣とも槍とも付かぬ様をした
それは閃光の欠片であった。




