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サイアスの千日物語  作者: Iz
第六楽章 光と闇の交響曲
1101/1317

サイアスの千日物語 百四十四日目 その四十三

中央城砦の北方領域では、大小の湿原や

北方河川のもたらす水の気配が強い。


立ち込める水の気配は白んだ雫を象って

そわそわと当て所なく大地を彷徨っていた。



眼下に見やる夜明けの霧は

高山から見下ろす雲海のようだ。


高山に登った経験も

雲海を見下ろした経験も

サイアスは有してはいなかった。


だが時折そんな夢を見る。

あれは誰かの記憶なのだろうか。


とても澄明で、とても孤独。


厳粛で荘厳な光景は束の間の感動を

拭えぬ感傷に変えて心を締め付ける。


始まりもなく、終わりもない。

ただ在ってずっと在り続ける。


とても遼遠で、とても孤独。


押し潰されそうになる。

叫びたくなる。この無辺の世界の

空の彼方にただ一人、ずっとただ独り。





「……本当は、ただ

 寂しいだけなのかも知れない」


暗がりに聳える篝火に囲まれて

歌陵楼の屋上で騎影が呟いた。


「誰の事を言っているの?」


新たな呟きが暗がりに零れた。

どちらも同じ騎影からだった。



「魔の事さ。

 ずっと一人で、寂しくて。

 一人が嫌で寂しくて。それで

 構って欲しくて泣いているだけなのかも」


「……そう」


「でも誰も側に居られない。

 私に気付いて、私に構って、って

 遠くに見えるほの明かりに手を伸ばして。


 でも触れた途端にかき消えてしまう。

 かき消してしまうんだ。魔からは余りに

 脆くて儚くて。けして共には居られない」


「……そういう夢を見たのね」


「何で判った」



ニティヤにそう指摘され、

確かにそうなのだろうと

サイアスは笑った。


水の症例、眠り病。既に常人の

時の流れからは逸脱している。


ゆくゆくはセラエノ同様眠りの中で

親しい笑顔たちと永久の別れを

繰り返していく事になるのだろう。


覚悟はしていても辛い事には変わりない。

だから時折無防備な夢に見る、そういう事か。



「貴方にはそういう事は起きないわ。

 だってずっと私が一緒に居るもの」


はっきりと、毅然と、

そして優しくニティヤは言った。



「あぁ、宜しく頼む」



サイアスは仄かにはにかんで頷いた。


喩え何がどう転んでも

この身が魔になる事はないだろう。

だって一人ではないのだから。





第一時間区分終了間際。午前5時47分。

参謀部の観測通りの時刻に夜明けが訪れた。


大湿原の東の果てより夜空は徐々に明るんで

歌陵楼上に単騎佇む人馬の姿を照らし出した。


濃紺の布地に金色の刺繍が施された馬鎧バーディングから

時折零れる毛並みの輝きは明けの明星に同じ。


面頬シャフロンの狭間で瑠璃色の瞳を細めた

名馬シグルドリーヴァは、その背で主が頷くのを

感じ、歌陵楼上の指揮壇より蹴上がった。


小山を飛び越えるが如き跳躍は、落下に移る

事なく虚空に足場を見出して踏みしめ、次々

繰り返して高みへと登っていく。


地平の果てで登る朝日を導くようにして、

地上の陽光シヴァは空を駆け上っていった。


歌陵楼上より北上方に数十オッピ登った

位置には、何時の間にか忽然と異影があった。


豊かな鬣に覆われて、ほぼ円形のシルエットを

成す大なる獅子の頭部の周囲には11時と1時

の方向に荘厳なる角が生え10時と2時には

一対の雄大な翼、8時と4時にも同様に翼。


そして7時と5時には人のものに

酷似した、一対の腕が生えていた。



「随分バランスがよくなったな。

 胴や足は生えないのか?」



昨夜の攻防なぞ素知らぬ風。そして

先刻の繊細な表情なぞ微塵も見せず

サイアスは異形に声を掛けた。



「神ノミゾ知ル、ダ」



聊かの隙も見せる事なく淡々と応じてみせる

はねっかえり。どうもアンズーはサイアスが

命名したこの呼称をお気に召した模様だ。


生みの親であり元主である百頭伯爵へ叛旗を

翻した自身の気骨を象徴しているから、らしい。



「中々面白い冗談だ」


「冗談デハナイ。事実ダ」


「そういうのは笑えない冗談と言う」


「ホゥ……」



僅か4度目の会話にして、はねっかえりの使う

人語はほぼ完璧な状態にまで仕上がっていた。





「デハ約定通リ、撤退サセテイタダコウ」


「城砦騎士団兵団長並びに西方諸国連合準爵

 サイアス・ラインドルフが貴下の見届けを

 務めさせて頂く。 ……が」


「……ガ、何カ」



地表より数十オッピ上空で1オッピ程の

距離にて対面し、共に高度を維持して留まる

両者の間に、言葉に出来ぬ緊張が走った。


眼下北西、小湿原の南西の外れには

無数の黒だかりが見えている。


羽牙たるズーの一個飛行軍団200体である

事は疑いようもなく、続くサイアスの一言

次第では一斉に全力で切り込んで来るのだろう。


孤立無援、されど背後にはニティヤが居た。

はねっかえりを瞬殺してしまえばあとは

どうとでもなりそうではある。


もっともサイアスは一触即発の気配なぞ

どこ吹く風。平素の通りツンと済ました

風情で一言。



「まずは荒野に在りて世を統べる

 偉大な荒神、奸智公ウェパルへと

 サイアスより一曲奏上したてまつらむ」



と背後に手を伸ばし、

ニティヤの抱えていた

小振りなハープを受け取った。



「……謹シンデ賜ロウ」



はねっかえりはどこで覚えたものか、

胸前にて右の拳を左手で包む、拱手と

呼ばれる敬礼をおこなった。



サイアスはその様に薄く笑んで頷くと、

ハープを構え、すぅと息を吸い込んだ。


夜明けの大気に緩やかに

滔々と揺蕩い流れるその曲は、

騎士と魔物の哀しい恋の物語。



すなわち「川の乙女」であった。

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