サイアスの千日物語 三十二日目 その二十
生き残りの魚人2体は、夕日と同じ色をしていた。
以前見かけたものはくすんだ銀色と、緑と紫の斑模様であり、
細かいところで種類が違うのだろうと判断できた。
降り注ぐ矢を掻い潜って今もなお殺到するこれら2体の魚人は
小隊長に当たるのだろうか。姿勢を低くし這うようにしながら、
既に城砦から100歩と少しというところまで迫っていた。
川から離れた殺伐とした土壌、10体中8体までもが
既に射殺されたという事情にも関わらず、依然鬼気迫る勢いで
向かってくることに、サイアスは強い違和感を覚えた。
魚人たちの背後に、何者かの意思を感じ始めたのだ。
「……逃げねぇな。こんなもんか?」
ラーズがサイアスに尋ねた。
「魚人は基本的に勝てる戦いしかしないそうです」
「正しい判断だぜ。小銭をコツコツ稼いでこそ傭兵だ」
無論、魚人は傭兵ではない。とはいえサイアスは特に気にせず続けた。
「眷属の背後には魔が居ます。
捨て駒として使い捨てられているのか、もしくは……」
サイアスは前方を見て溜息を付いた。
「もしくは、の方か……」
迫り来る2体の後方、目測で概ね300歩という地点。
無残に転がる魚人の屍を、鑷頭が大口を開けて喰らっていた。
「うわっ きもっ!」
ロイエが声をあげた。
「共食いかよ…… てかむしろこいつは」
ラーズの後をサイアスが継いだ。
「追われていたのでしょう。補給物資扱い、かな……」
「はー…… 生魚弁当持参かよ。とんでもねぇとこに来ちまったなぁ」
そう嘆くラーズの顔はニタニタと笑っていた。
北方の河川を棲家とする魚人や鑷頭にとって、
やはり城砦は、気軽に出張るには遠すぎたのだ。
そのため魚人を先行させ、その後を鑷頭に追わせることで
魚人へは恐怖を煽って死地に挑ませ、鑷頭へは鼻先に餌をぶら下げ
遠征させる、ということであるらしかった。
「まぁ敵さんの思惑がどうであれ、俺らがやるこた変わんねぇんだろ?」
「勿論。過程に拘る必要はありません。 ……では」
サイアスはそう言い、間近に迫ってきた魚人へと歩み寄ろうとした。
その時、サイアスの右手後方からガシャガシャと音を立て、
これまで微動だにしていなかった大兜の人物が歩みでた。
大兜の人物は左の小手を上げてサイアスを留めると、
数歩前方へと進んで停止した。
「ほぅ、次はあんたが自己紹介かい」
ラーズは口元のみで笑ってそう言った。
大兜の人物はそれに答えず、右手に握った細身の鉄槍を地に突き立てると、
プレートメイルの上に羽織ったままだった鎖帷子をずぽっと脱ぎ、
なんとビリビリと引き裂き始めた。
「……」
「……」
ラーズが、ロイエが、口をポカンと開けてそれを眺めていた。
仮にも金属の、しかも防具である鎖帷子を無造作に引き千切る
その様に、かけるべき言葉、語るべき言葉を失っていた。
大兜の人物は鎖帷子を引き裂いて一枚の布状にし、
さらに四方から引っ張って継ぎ目を広げていた。やがて十分と感じたのか、
大兜の人物は随分と広がった鎖布を槍に引っ掛け、今度は腰のポーチを
ごそごそとまさぐって何かを二つ取り出した。そして取り出したそれらを
それぞれの手で兜の左右に当て、キュルキュルと器用にまわし始めた。
「……角飾りかよっ!」
「た、確かに鎖帷子着るのには邪魔だもん、ね……?」
「しかも取り外し式かよっ!
ってかこの俺をツッコミに回らせるたぁ、タダモンじゃねぇな……」
鎖帷子をビリビリ破いている時点でまったくタダモノではないのだが、
もはや特に問題とはされなかった。一つ判ったことは、
この無口にして無機質な大兜の人物は、
こう見えて意外に人間臭いということだった。
「あぁ、レティアリィだ」
サイアスはラーズやロイエとは異なり、
表面的な、という言葉で片付けるのはどうかと思われる事象には
頓着せず、何事か思案に耽っており、漸く解答を得たようだった。
サイアスの声に大兜は小さく頷き、そして左手に鎖布、右手に槍を掴み、
目前まで迫っていた魚人へと対峙した。




