サイアスの千日物語 二十六日目
深夜。夜明けには未だ遠い、そんな頃。
甲冑を纏う騎士たちとは異なり大して嵩張らぬ
ため荷台に戻り、剣を抱き積荷の狭間に
紛れるようにしてサイアスは寝入っていた。
やがて物音に薄っすらと目を開けると、
空は未だ夜の色だが地上は昼の如く明るかった。
周囲には無数のかがり火が明明と焚かれ、
方々で騎士たちがせわしなく動いていた。
騎馬の蹄を調べ荷馬車の金具を確認する者。
弓に弦を張り、矢尻に何かを巻きつける者。
湯張りした桶に薬草を浸す者。
数種の粉末を混ぜ合わせる者。
皆、黙々と作業を続けている。
先夕、先を競うように寝入っていたのは、
ひとえにこのためだったようだ。
彼らは『外側』への準備を進めていた。
荷台の縁から顔を覗かせ、作業を興味津々で
眺めていたサイアスに、騎士の一人が声をかけた。
「サイアス、隊長がお呼びだ。
向こうの天幕にいるぞ」
サイアスは返事をすると荷馬車を降り
天幕へと向かった。天幕は風雨を避けるためと
いうよりむしろ明りを逃さぬためのもので、
裏張りの光沢ある白い布地が、ランプの灯を
2倍にも3倍にも増しているようだった。
サイアスの入った天幕は応接室程度には大きく、
中央には小さな台が置かれ、ラグナと数名の騎士が
それを囲んで座っていた。
「起きたかサイアス。
往路の再確認をしていたところだ。
君も見ておきたまえ。いずれ役立つ」
ラグナはそういうと台の上の地図を示した。
地図には簡素な地形の絵といくつかの記号。
また随所に注釈が施されていた。
ラグナは地図の右端に程近い三角印に
小さな馬の置物を置いた。
「ここが現在地だ。目指す城砦はここになる」
次に中央やや左側の四角印に旗の置物を置いた。
馬と旗の間には大きな沼が描かれていた。
沼の北、地図の上部やや下がった位置には
左右に長く河川の姿が。一方沼の南たる
地図の下部辺りには岩場が左右に広がっていた。
雑観したところ、地図の大部分は道ではなく、
特大の沼の上下にある間隙が往路であると思われた。
「直線距離ならば、馬の足で半日掛からない。
とはいえ荒野だ。街道などないし起伏も多い。
見ての通り中央には『大湿原』なる湿地帯もある。
湿原の外縁部は潅木や毒草、泥炭などだ。
人馬を問わず通れるような場所ではない。
よって少々迂回しつつ進むことになる。
また、随所にある短い縦線は道標だ。
方位の確認などに使っている」
ラグナは馬の置物を動かした。
地図に書き込まれた矢印のうち、
北側のものをなぞっている。
「現在地よりまずはしばらく西進し、
最初の道標が見えたら一旦北へ。
北に川が見えたら湿地の切れ目から再び西進。
隘路を抜けて湿地をやり過ごし、
道標が見えたら次は南へ」
馬の置物は大湿原と北方の河川の狭間を
右から左と進み、抜けていった。
「これがいわゆる『北往路』だ。
人員と物資とを問わず、輸送部隊は
大抵この順路で中央城砦を目指す。
川沿いを往く他に、南の断崖沿い進む
『南往路』もある。起伏が少なく道としては
走り易いがやや危険でね。まぁ今回は
常通り『北往路』を用いる予定だ」
サイアスは地図に描かれた地形、
書き込まれた記号や注釈を食い入るように見つめ
細大漏らさず脳裏に焼き付けようとした。
「この地図は城砦騎士団から供与されたものだ。
いずれ君にも与えられるだろう、が」
ラグナは紐止めされた羊皮紙を
す、とサイアスに差し出した。
「今手に入れて困ることは一つもあるまい。
写しだ。注釈は共通語で入れてある」
「あの、本当に何から何まで……」
差し出された地図を有難く頂戴したサイアスは、
礼を述べること以上が出来ぬ自分に歯痒さを感じ、
またラグナの厚意に戸惑ってもいた。
ラグナ様や王立騎士団の騎士の皆は
ただの積荷に過ぎない自分に対し、
どうしてこんなにも親切なのだろうか。
還らずの死地に向かう自分には、
返せるものなど、何もないというのに。
そうしたサイアスの戸惑いを見透かしたか、
ラグナは小さく頷き、笑んでみせた。
「良いさ。
私たちは遠からず、国許へ帰還する。
君はこれから長いだろう」
荒野の城砦に赴いて死闘に臨み、
勝ち抜き功を積み千日以内に騎士になる。
それがサイアスに今ある全てだ。
しかしその後はどうするのだろう。
騎士になれたとしても、いつかは必ず戦死する。
自らの命を盾に人の世を護る。それが、
それこそが城砦騎士なのだから。
覚悟はしている。物心ついたその時から、
いつか城砦に赴きそして死ぬ。ずっと自身に
そう言い聞かせ、サイアスは生きてきた。
だが自身が死んだ後、守るべき村は、
村の皆はどうなってしまうのか。
いやそもそも後何日、自分は生きていられるのか。
重く苦しく、まとまらない様々な問いが
脳裏に浮かんでは消えていく。
「言ったろう、悩むなら戦の後に、と」
ラグナは優しさと厳しさの同居する、
包み込むような眼差しでそう告げた。
周囲の騎士たちも微笑み、頷いている。
「騎士になるのだろう?
騎士とは心に盾を構え、前に進み続ける者の事。
城砦騎士も王立騎士も、魂の在り様は皆同じさ。
私たちもまた、騎士の端くれなのだ。
先輩の助言は聞いておきたまえ」
サイアスの視界が滲みだした。
この人たちは、自分を一人の後輩騎士として
見てくれている。子供でも積荷でもなく、
いずれ叙勲し、後事を担う後輩として。
騎士になるとの決意一つで
無謀に飛び出しただけの自分を。
武勇も知略も何もなく、こうしてただ
人に縋っているだけの自分を。
「……はい。先輩」
サイアスは目をこすり、頷いた。
「隊長、準備良いようです」
天幕の外から騎士が告げた。
「頃合か。日の出も近いな」
ラグナの左右のこれに騎士が頷き、
表情を引き締め天幕を出た。
そしてラグナもまた歴戦の騎士の顔になり
サイアスに頷き、言った。
「往くぞサイアス。人智の境界へ」