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サイアスの千日物語  作者: Iz
第六楽章 光と闇の交響曲
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サイアスの千日物語 百四十四日目 その四十一

荒野に在りて世を統べる大いなる荒神、

「魔」なる存在が自らの名を名乗る事例、

これは実のところ初ではなかった。


紅蓮の大公「ベルゼビュート」。

そして冷厳公「フルーレティ」。


2柱の公爵級の魔は自らそのように

名乗っていた。もっともどちらも魔剣と

成ってからの事。主への挨拶としてである。


未だ顕現をせぬため戦力指数の推定も出来ず、

その在り様から漠然と公爵級とされている

奸智公「ウェパル」。


この魔が自らの名をサイアスに明かした意味

とは何か。そしてそも名を名乗るという事に

どのような意味があるのだろうか。



名は体を表すとはよく言われる。

名と体は不可分であり、名を得てはじめて

実たり得るとする思想は全土に少なくない。


そして魔である。


魔とは高次の概念存在であり

黒の月、宴の折に無数の屍を依代として

現世に顕現しあらん限りの暴威を振るう。


元来形而上の存在が名辞により境界を得て

世界に認知され得る一個の概念となるその様と

概念存在たる魔が受肉し顕現する様は相似する。


よって荒野に在りて世を統べる大いなる荒神。

魔なる高次の存在もまた、名を得てはじめて

実たり得る。そう考える者も少なくなかった。



言い換えるなら、名とは物を現世に

繋ぎ止めるくびきでありかすがいである。

名によって物は現世にそういう存在として

あり得るのだ。


つまりは自ら真の名を名乗る事により、そして

その名を音として大気に震わせ厳然たる真言マントラ

することで、これまで奸智公爵と仮称で呼ばれて

きた魔が一柱は真の姿を得る事となる。


現世に、そして人の心に新たな大いなる

荒神ウェパルとして再誕するのだった。



名辞は斯様に重大な意義を伴い得るが、

それゆえ同時に危険をも、もたらし得る。


名が体を現すという仕組みを用いて

物の怪を呪縛し調伏する、そういう

魔術が東方諸国にはあった。


とまれかくまれ、それが余りに圧倒的な

力を有する神魔に通じるかは別として、

真名を明かすという行為は危険をも伴う。

だから「名に誓う」行為が成立するわけだ。


つまるところ、奸智公ウェパルがサイアスに

名乗った事は、アンズーとサイアスが結ぶ

不戦協定を文字通り天地神明にかけた

「契約」として保証していた。


よってはねっかえりや羽牙が不戦協定を

おのずから破る事はあり得ぬ。そのように

ロミュオーは補足した。





「要は主としてのメンツにかけて

 僕に約定を護らせる、そういう事だな」


ロミュオーの気合の入った説明は

すべて適当に聞き流し、結論のみ

しかと承った風のシベリウス。



「平たく言えばそういう事ですな」


「最初から平たく頼む」


「軍師の話は長いものです」



どうやら平行線のようだ。



「具体的な協定内容としては、

 本日夜明けと共に小湿原に残留する

 全てのズーが大湿原へと撤収いたします。


 城砦騎士団においては不戦協定に基づき

 この撤収への攻撃をせぬようにとの事」


「ふむ」



ようやくまともな軍務の話か、と一気に

気を取り直す風のシベリウスとヘルムート。

全て書状に記載済みの事項ではあった。



「現状小湿原に詰めているズーは

 200体前後であるとの事です」


「意外に多いな」


ロミュオーの語る数字に

シベリウスは率直な感想を漏らした。



かつて魔笛作戦を率いたサイアスは、

いくら仕留めてもまるで数が減らぬと

ヴァディスに語り肩を竦めていた。


荒野に棲まう異形の中でも軍事的な適正の

高いズーらは、百頭伯爵の命ずるままに、

大湿原から小湿原への兵力補充を

実に謹厳に成していたのだった。


魔笛作戦においてサイアスはこうしたズーの

前線配備について、奸智公の意向だと踏んで

いたが、実のところは百頭伯の企図であった。


だからこそかの作戦で当時四枚羽だった

アンズーは出てこなかったのだった。



「まぁ夜間は基本、渡り放題ですからな。


 とまれこれらは小湿原の南東部を発ち、

 一旦南下してその様を明示した上で東進。

 大湿原へと入るとの事。


 この撤収は協定者であるアンズーが指揮し

 同じくサイアス卿が見届ける予定です」


「単騎でか?」



現状城砦騎士団の有する航空戦力は

サイアスただ一人。そうならざるを

得ぬと思われた。



「単騎ですが奥方と相乗りだそうで。曰く、

『僅かでも不審があれば即殲滅する』との事」


「……確か奥方は城砦騎士扱いだったな」


「かの『皆殺しの』マナサ卿の義妹君です」


「成程な」



シベリウスやヘルムートは

その一言で重々納得したようだ。

 



 

「大湿原に移動した後のズーについてですが。

 騎士団との不戦協定を踏まえ、全体として

 大湿原南方へと移動するとの事。


 これにより今後北往路を通る輸送部隊を

 ズーらが襲う事は、ほぼなくなる模様です」


「ほぼ、とは」



シベリウスの副官である

城砦騎士ヘルムートが懸念を示した。



「再び百頭伯が顕現し大湿原へと逃げ込んで

 新たなズーを誕生せしめた場合、それらが

 奸智公の支配下に入るとは限らぬとの事。


 野良及び奸魔軍については不戦も

 百魔軍及び他の魔の軍勢については

 その限りではないわけです」



とロミュオー。アンズーとの間の協定なら

野良だけだが、奸智公の肝煎りゆえ奸魔軍

としてのズーとも協定が成立したのは

多大なる成果と言えた。もっとも、



「……百頭伯の次の顕現はいつだ」



とシベリウス。


その険しい表情には

何らかの直感が垣間見えていた。



「不明です。従来通りの間隔なら28年後。

 ですが昨日中アンズーがサイアス卿に語った

『カミハトキヲモタヌ』という言行の分析を

 進める者曰く、間隔で判断するのは危険だと」



とロミュオー。


オアシス近郊上空ではねっかえりとして

アンズーの語った人語は細部に若干硬さの

残るものであったため、参謀部では多義性を

排除せず慎重に分析を進めていた。



「成程な…… 当然奸智公は

 何らかを知っているのだろうな」



とシベリウス。



「そう見るのが妥当かと。一方、

 野良と奸魔軍におけるズーとの不戦協定は、

 サイアス卿が存命中は維持する意向だとも」


「……卿を死なすなと言いたいのか?」


「意訳すれば


『私のおもちゃに手をだすな』


 かと。とびきりのお気に入りを他の者が

 いじって壊すのは我慢ならんのでしょう。


 一方で自分は平気で上位眷属をけし掛けて

 いますからな。未だ生きておられるのが

 不思議な程です。蓋し歪んだ愛情かと」



とロミュオーは語り、

再び乾いた笑いを発した。


奸智公ウェパル。

益々もって面倒なヤツだ、

と広間の誰もが首を振っていた。

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