サイアスの千日物語 百四十四日目 その四十
城砦歴を俯瞰したならば。
107年とは新奇な事象が怒涛の如く
押し寄せて、既知と未知とを混交し攪拌し
閃光の如き叡智の雷が一撃を浴びせ。
神智に触れて人智を止揚し真の叡智へと
変じていく、新約創世神話の序幕であった。
広大無辺の夜の海を往く孤独な船が
満天の星星から北辰を見出し、自らの
旅路を定めて進む、そうした年であった。
これまで見知ったつもりでいた様々の事象が
ものの見事に裏返され隠されていた本当の姿を
見せる事による、受け手の衝撃は計り知れない。
表裏に差異が在れば在るほどそうしたものは
受け入れ難く、脳裏で知覚と思考が仲違いして
争いを繰り返し、疲弊し憔悴し逃避していく。
要は、狂うのだ。
自身の既知を護るために
否定できぬ現実を否定しようとして
それが許されず自棄になった人の思考は
赤子の如く駄々をこね、実際に赤子の
如き振る舞いをその人にさせる事となる。
赤子の振る舞いとは泣くか笑うか
あとは手足を振る程度だろう。
有用なのは声を上げ、腹を抱えて笑う事だ。
悲嘆に暮れてみたところで何も始まらぬ。
が笑えば身体は乗り気になる。状況を
乗り切るべく動く気になるのだ。
だからロミュオーは笑っていた。
人一倍秀でた理性を持つがゆえに
人一倍狂い易いロミュオー。
火と風の症例のお陰で一層そうなり易い
ロミュオーは笑い飛ばすことにしたのだ。
狂気を打ち払う、そのために。
もっとも。
聡いがゆえに惑うロミュオーの
内面の葛藤なぞ傍からは見えぬ。
さらに申さば根深い理性と常識に拠って立つ
から事実に拒否反応を起こし狂うのであって、
端から理解できない者やまるで理解する気が
ない者は、特に問題を生じる事がない。
ましてや肉と鎧と盾で割って割り切れる
思考の持ち主らにロミュオーの辛楚が
理解できるはずもなく。
「何やこの方大丈夫なんでっか?」
とシェド。
「えぇ。いつもの発作です」
とヘルムート。
「ロミュオーは頭の病気なのだ」
とシベリウス。
「そらまた大変どすなぁ」
シェドは右手を両目の前で水平にし
軽く波打たせつつ左右に動かした。
彼の愛読書たる
「明日からデキる! イケてるポーズ18選」
では選外として紹介されている、ウ・ソナァキ
のポーズであった。
クッ、こいつら…… と内心イラっとしつつも
お多福面のお陰で常ににこやかなロミュオーは、
「まぁ、簡潔に申し上げると。
奸智公は騎士団に百頭伯を討たせようと
企図している可能性がある、という事です」
「ファッ!? 何でやねん!?」
シェドはここぞとばかりに
ナン・デヤネンのポーズを取った。
「何でやもかんでやもないわ!」
と火男面なシェドに対し
「てかかんでやってなんやねん!」
「修辞表現の一部だ。
それ自体に意味などない!」
まったく同じ挙措でやり返す
お多福面のロミュオー。
「ぬぅぅ、やりおるわぃ」
「フハハ!
屁理屈で軍師に勝てると思うな!」
「そのセリフどっかで聞いたで!」
「城砦軍師のキメ台詞だ!」
「何だ、と……」
まったく同レベルでやりあう
奇矯な面同士のその様はシュール。
だが広間に集う他の面々は、また
いつもの発作か…… と冷静だった。
「とにかく、だ。
落とし仔云々はこの際措くとして。
百頭伯爵が手駒を使ってやらせている事を
手駒自体を横取りにして妨害している訳だ。
宴の折にはやはり羽牙を用いた百頭伯爵の
中央城砦への奇襲を、四枚羽を用いて
騎士団へと示唆し妨害している。
奸智公は事あるごとに百頭伯の成す
騎士団への謀略を邪魔している。
騎士団が百頭伯との戦いにおいて
あっさり負けぬよう支援しているのだ。
実に迂遠で自身にとり『楽しい』方法でな。
奸智公爵の手駒が『奸魔軍』ならば
百頭伯爵の手駒な『百魔軍』なるものもある。
両者は共に騎士団の敵だが両者自体も敵同士。
そこで奸智公は騎士団と百魔軍を争わせ、
自身は高みの見物と洒落込む。元々物見遊山
が好みの女だ。そういう企図があるのだろう、
とそういう事だ」
ロミュオーは語り掛ける相手を
シベリウスからシェドへと変更していた。
これはシェドが巧みに「司会」を
務めている事に気付いたせいでもあった。
城代とは言え城砦兵士長相当官の城砦軍師たる
ロミュオーが城砦騎士らに頭ごなしに説明した
のでは何かと角が立つ。
だがシェドは四戦隊兵士。すなわち階級上は
城砦兵士長でロミュオーと同格である。多少
ぞんざいな物言いをしても問題ない訳だ。
「ほなら奸智っちは味方なんでっか!?」
と早速促してみせるシェド。
「対百頭伯及び『百魔軍』に関しては
そうなる。だから『不戦協定』なのだよ。
もっともこれは、
大小の湿原の羽牙に限った話だ。
また宴で別の魔が率いる魔軍に関しても、
現段階ではまったく不透明な状態だ」
適宜答弁するロミュオー。
記者会見的な風情もあった。
「奸智っちは何で百頭伯だけそういう感じに?」
「嫌いなんだろ。キモいからな」
「誰がキモいねん!」
「百頭伯だ」
「おぉ、そうじゃったそうじゃった」
「……シェドよ、強く生きるのだ」
「言われるまでもないべや!」
両者は何やら頷きあった。
話がひと段落し、
「あぁそうそう。『羽牙』についてですが。
彼らは奸智公に『ズー』と呼ばれています。
四枚羽は『アン・ズー』との事。
はねっかえりは四枚羽たるアン・ズーからの
個体進化の最中であり、最終的な呼称は未定。
彼らを統べる大魔『奸智公爵』は、ズーや
アン・ズーには『神』と畏み称されています。
が、奸智公は態々アン・ズーを通じて
サイアス卿に名を名乗ったそうです」
とロミュオー。これは城主
シベリウスへの報としてだ。
「……まことか」
と一際険しい表情となるシベリウス。
他の面々も身を乗り出して次なる言を待った。
「『ウェパル』。
それが奸智公と呼ぶ魔の真名です」




