サイアスの千日物語 百四十四日目 その三十八
「一応確認致しますが。協定内容は
一通りご覧になられたのですな?」
城代ロミュオーは城主シベリウスに問うた。
「閲覧したが脳が理解を拒んだ」
威風堂々と、欠片も悪びれず
そう答えるシベリウス。
ただそこにあるだけで万の民を統べ得る
天下の武人だが、そこは城砦騎士団の幹部。
武断派と呼ぶには余りにお困り様であった。
武威を以て全てをねじ伏せるのが彼の流儀だ。
生来の気質が忠勇な騎士ゆえ万事上手くいく。
が、確実に軍師の補佐が要る人物だった。
「門外漢なもので」
とヘルムート。
こちらは叩き上げの武官なので単純に
こうした政治的な駆け引きに素養がない。
基本、城砦騎士団第一戦隊員とは、肉体を
徹底的に鍛え上げ重甲冑を纏い戦列を組んで
与えられた任務に愚直なまでに死力を尽くす。
それを美学としている人々である。
肉、鎧、盾。
これで全ての説明が済む人々であった。
「……あぁ。
そう、そうでしたな……」
小刻みに数度頷くロミュオー。
実のところいつもの事なのだ。
頭脳労働はロミュオー以外「しない」。
それがビフレストだった。
「ちなみに君は……」
胡乱げに火男面を見つめるお多福面。
シェドは待ってましたとばかりに
「伝令は思索せぬ!
ただ駆けるのみッ!!」
とカ・ブゥキのポーズをキメた。
「そうか」
「うむ。見事だ」
城代と城主はそれぞれ納得した。
「では一から説明すると致しましょう。
まずは敵方の提示した条件から。
羽牙飛行軍団300体の指揮官たる
上位眷属「はねっかえり」はサイアス卿に
対して捕縛状態からの開放を要求しました。
実のところ完全な捕縛状態にはなく、相手が
実はそれに気付いていた可能性もあります。
要は『交渉』そのものを目的とした交渉
であった可能性もないわけではありません。
そもそも互いに相容れぬ存在である
人と異形との交渉なぞ前代未聞。
なれば成されれば歴史に残るわけです。
異形の背後に居る奸智公爵がそれを。
最も気に入りの手駒たるはねっかえりと
最も贔屓の役者たるサイアス卿に見せ場を
与える事を望んだがゆえの可能性もあります。
交渉それ自体に意味がある事は、当然
日中にもそれを成したサイアス卿は理解
しておられますので、内容面で譲歩する
意向はあったものと思われます」
とロミュオーは分析的な前提を置いた。
「それはそうだろうな。
彼は兼ねてより、小湿原から
羽牙を駆逐しに掛かっていた。
また四戦隊は魚人の水攻めを懸念し
積極的な対処を企図していた。要は彼らは
小湿原を軍事的に制圧しに掛かっていたのだ。
そして抜群の成果をあげていた。
遠からず実力行使で『獲れる』場所なのだ。
態々『譲っていただく』理由などなかろう」
とシベリウス。
戦絡みで在ればロミュオーが舌を巻くほど
理解が深い。明らかに戦闘用の頭脳であった。
「サイアス卿はあの若さで兵団長となられる
だけあって、極めて怜悧な結果主義者です。
ですので利率が悪くともさっさと処理し
『はったり』が『実益』になるなら良し、
とそういう判断をされています。
ただ、それだけで済ますならただの一流。
超一流はここからが肝という事でして。
異形から持ちかけたこの交渉の内容が
騎士団にとり飛びつくに値する有益なもの
である事を、証立てるよう要求します。
放っておいてもそのうち手に入るものを
ここで交換条件として受け入れて欲しいなら。
まずは交換条件として受け入れたくなるよう
その魅力を十二分に説明せよ。としたのです」
とロミュオー。
これに対しヘルムートは首を傾げたが
「……要は『誘い』だな?
相手の仕掛けを誘うには隙を見せよと」
とシベリウスが頷き、成程、と手を打った。
「そう! そうなのです。
『買わせたいなら売り口上からだ』と
本当にそう言ったそうですよあの方は……」
ロミュオーは苦笑しつつそう語った。
あの状況でそうした発言ができる神経の
図太さにはお手上げだと言わんばかりであった。
「そこで重要になってくるのは、
人と異形との『知識の格差』。
それも『荒野の知識の格差』です。
血の宴を経て退魔の楔作戦に基づき
荒野へと攻め来たった我らの有する
荒野の知識とは精々100年分のもの。
そも城砦騎士団は只管城砦に籠っての
防衛戦を展開してきたわけです。正直な
ところ荒野については何も知らぬのです。
一方の異形は元より当地に棲まう者共。
当地の事は我らより遥かによく知っており、
また異形自身が如何なる存在かについても
我らが推し量る以上に正しい認識を有して
いる可能性が高いのです。
そこでサイアス卿は、
我ら騎士団が『小湿原』と呼び
はねっかえりが『砦』と呼ぶ地勢について。
さらには羽牙や魚人といった同地一帯に深い
由縁を持つ存在についてまずは説明せよ、と。
交渉に応じて欲しいなら、まずは
前提となる『荒野の知識』を寄越せと。
婉曲的にそう要求してみせたわけです」
「おぉ、これは中々に強かだな」
とシベリウス。
周囲も楽しげな様子であった。
「まったくです!
修羅場でこんな芸当を異形相手にしれっと
やってのける辺り、言葉は悪いですが
おかしいですよ、あの方は。
正に王者の器と言って良いでしょう。
とまれこれにより城砦騎士団は
荒野と異形、さらには魔についての
非常に有意な情報を手に入れたのです」




